2007年03月17日

ミミズクと夜の王(紅玉いづき)

幸せになりたい、と人は望む。多くの人は、ぼんやりとであれはっきりとであれ、なんだかんだで幸せを追い求めるものである。
しかし、その形は本当にひとそれぞれ違うものなのだろう。
明確ではないかもしれないが、人それぞれ幸せの形みたいなものを持っているものであろう。
お金持ちになりたいだとか。
有名になりたいだとか。
結婚して子供が欲しいだとか。
楽しく生きたいだとか。
まあなんでもいいのである。人それぞれそういう形を持っているものだろうし、その形は本当に人それぞれまるで違うものなのだろうと思う。
僕は、普通の人が望むような幸せみたいなものにはあんまり興味が持てなくて、お金持ちになりたいわけでも有名になりたいわけでも結婚して子供が欲しいわけでもない。僕の幸せは、死ぬまで特別苦労なく生き、一瞬で死ぬ、というものである。これが僕の幸せの形である。なんにせよ、僕の場合かなり運任せなところがあって、そういう自分の手で幸せを掴むんだみたいな気概がないからかもしれないな、と思ってみたり。
さてまあそんなわけで人は皆何らかの幸せを追い求めているものだと思うけど、しかしなんとなくぼんやりと、僕はこんな風に思うわけです。
幸せというものは、追い求めている人間には見えないのではないか、と。
何故なら、幸せへの欲望というものは際限がないからです。
金持ちになりたいという人がいるとしましょう。さてではこの人は、どこまでいけば幸せであると感じることが出来るでしょうか?1億稼いだら。10億、100億稼いだら…果てしなく続きますね。満足することなく、どこまでも追い求めてしまうものでしょう。
そうなると、結局のところ幸せであるという状態に辿り付くことが出来ません。明確に、「僕は10億円手に入れることが出来れば幸せだ」と思っていれば、10億円手に入れた時点で幸せを感じるかもですが、しかしさらにと欲は続いて行くことでしょう。
結婚して子供が欲しい場合でも変わりません。結婚して子供が生まれても、そこで幸せへの探求は止まりません。子供を幸せにしようと願い、子供に幸せにされたいと願い、結局それはどこまでも終わることがありません。
そうなると結局、幸せを追い求めている人には幸せは見えない、ということになるのでしょう。
隣の芝は青く見える、という言葉がありますが、まさにその通りでしょう。自分の家の庭の芝の青さを自覚することなく、隣の芝ばかりみて青いなぁ、と言っている。しかしその隣の人だって、こっちの芝を見て青いなぁと思っているものなのです。
だからなんというかなぁ、これは提案なんですけど、積極的に幸せを追求するのを止めればいいんではないか、と思うんですよ。これ、たぶん最高の幸福追求の方法ですよ。
つまり、現状を認識し、現状を幸せであると感じるようになれば、これほど素晴らしいものはないでしょう。自分の庭の芝が青く見えるわけです。他人と比較するのではなく、自分自身の幸せを判断するには、これが一番いいのではないか、と思うのです。
なんか、恋愛でも同じことが起こっていそうですね。お互い好き同士で付き合い始めたはずなのに、お互いを求めすぎて幸せになれない、みたいな。本当は自分は幸せな状態にいるはずなのに、もっともっとと追求しているうちに、いつの間にか幸せだったはずのものも壊れてしまうみたいな、そんな恋愛もあったりしそうな気がします。
僕は、他の人から見たらどう見えるかわかりませんが、現状に非常に満足しています。特に野心も夢も希望もないですけど、しかし穏やかで平穏で凪いだ優しい人生を過ごすことが出来て、非常に幸せであると感じています。これからこの生活に変化がなくても、まあ少なくとも不満を感じることはないでしょう。新たな幸せを追求しようと特に思うわけでもないので、今の幸せが壊れてしまうことも恐らくはないでしょう。これこそ、完璧な幸福追求の姿勢ではないでしょうか?
そろそろ内容に入ろうと思います。
ミミズクは、魔物に食べてもらおうと思って夜の森にやってきた。額には数字が刻印され、手には鎖、ガリガリに痩せ、舌足らずな口調で喋るミミズクは、魔物に食べてもらいたいというその一心だけで夜の森までやってきました。
そこで、美貌の魔物に出会いました。月のような眼を持つその美しい魔物は、しかしミミズクを食べてはくれませんでした。
それが、ミミズクと夜の王との出会いでした。
ミミズクは期せずして、夜の森を統べる夜の王と邂逅し、そして消極的ながら森にいることを許されたのです。
ミミズクは、自分に優しくしてくれるクロちゃんという魔物とやりとりを交わしながら、次第に夜の王へと近づいていきます。夜の王はミミズクを無視するかあるいは嫌悪のような眼差しで見るだけですが、しかしそれでもミミズクは幸せでした…。
というような話です。
本作は、電撃大賞を受賞して電撃文庫から発売された本です。電撃文庫といえば、言わずと知れたライトノベルのキングレーベルであり、つまり本作も一応ライトノベルと呼ばれるわけです。
僕がこの本を読もうと思った理由は、ネットで評判がよかったからです。ネットで、ライトノベルらしくない、すごくいい話だ、と評判で、だったら読んでみようか、と思った次第です。
実際、これは結構いいと思いました。帯で有川浩が、「薄情します。泣きました」と書いているんですけど、正直僕もラストのラストではうるうるしてしまいました。さすがに泣くところまではいかなかったけど、ちょっと危なかったです。
正直、全編を通じて淡々とした描写が続くので、中盤辺りでちょっと飽きてくる感じはありました。そこから物語を強く引っ張る何かがあったわけでは特にないんですけど、でも最後はかなりよかったと思います。
とにかくミミズクのキャラクターがすごくいいです。どこかの村で奴隷にされていた過去を持つ少女なのだけど、物語の冒頭で、魔物に食べてもらうことが心底幸せなことなのだ、ということを繰り返し語ります。ちょっと壊れているというか、むしろ知識が足りないという表現の方が正しいかもしれないのだけど、そんな普通ではないミミズクが、今まで出逢ったことのない優しさに触れ、どんどんと変わっていく話です。最終的にはラブストーリーチックなんですけど、でもベタベタしてるわけでもなく、自然な感じだと思いました。
ライトノベルレーベルから出ているとは言え、内容はファンタジー小説という感じです。実際、ライトノベルには必ずつきものの挿絵も本作には一切なく、装丁を除けば普通の小説という感じでした。僕は正直、ファンタジーというのは得意ではないのだけど、それでも結構いいなと思いました。ファンタジーが好きだという人はさらにいいかもしれません。
まっすぐで純粋なミミズクに読んでてどんどん惹かれていくのではないかと思います。ミミズクの最後の選択は、理解できるとも言えるし出来ないとも言えるけど、でも何にしても正しい選択だったんだろうな、と思いました。
願わくは、全体的にもう少し背景的なものが深く掘り下げられていたらいいな、と思いました。夜の森や公国の設定や、夜の王やミミズクやアン・デュークの過去など、ちょっと断片的すぎて物足りない気がしました。もう少しそういう部分を加筆して分量を増やしてもよかったかもしれないなと思います。
ライトノベルっぽくない表紙なので、割と手にとりやすいのではないかと思います。ファンタジー小説が好きだという人は是非読んでみてください。

紅玉いづき「ミミズクと夜の王」


ミミズクと夜の王文庫

ミミズクと夜の王文庫
 

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ミミズクと夜の王に関する内容を紹介しています。
「ミミズクと夜の王」のこと【「ミミズクと夜の王」面白かったヨ!】 at 2007年06月18日 20:06
紅玉いづき先生に関する内容を紹介しています。
紅玉いづき先生のこと【「ミミズクと夜の王」面白かったヨ!】 at 2007年06月18日 20:22
この記事へのコメント
もしかして私のことかな(;_;)
幸せってふと感じるものだね、瞬間的に。幸福感をずっと持続するのは難しい(>_<)
Posted by ペイフォワード at 2007年03月18日 13:46
よく読んでるなぁ。
んで、よくわかったね。そうそう、一応イメージして書いてみたよ。
幸せなのに幸せだと感じられない、と見た。

幸せってのは追うものだからね。追いついてしまうことは、たぶんないのよ。
Posted by 通りすがり at 2007年03月19日 01:25