その一つが、屋久島の屋久杉を見る、というものだ。
恐らく何度かテレビで見てはいるだろう。ただ、はっきりと屋久杉というものをイメージしろと言われても、とんでもなくデカイ、ということしか思い浮かばない。僕の中で屋久杉という樹は、まあそんなイメージでしかない。
しかし、とんでもないデカイ樹というのは、一見の価値があるだろう、と僕は思う。
写真で見るのとは、おそらくわけが違うはずだ。
僕は、大抵のものは写真で見ればまあいいと思っている人間で、別にわざわざ本物を見に行かなくたって構わないと思っている。モナリザだってピサの斜塔だってエベレストだって、別に本物を見に行かなくたって写真で充分だろうとか思う。
しかし、なんだか分からないけど、樹というのは違う気がするのだ。写真で見るのと、その場に行って見るのとでは、まるで違った体験なのではないだろうか、と思うのだ。それが巨木ならなおさらだ。
屋久杉というのは、樹齢どれくらいの樹なのか僕は知らない。しかし、とんでもなくデカイ樹なのだから、とんでもなく長い年月を掛けて成長をしたのだろう。
その歴史の蓄積が、見る者を震わせるのかもしれない。
あるいは、樹という存在そのものが持つ、何か魔力的な魅力があるのかもしれない。
ご神木という言葉があるように、昔から樹には神が宿ると思われていたのだろう。もちろん日本という国は、八百万の神というように、ありとあらゆるものに神が宿ると思われているわけで、それは樹に限らないのかもしれないが、しかし一人の人間と比して余りにも長い年月を経ている樹という存在が、何か超越したものであるように感じられるのかもしれない。
僕は、まあ比較的田舎出身の人間である。比較的、というのは、割と中途半端だったなぁ、と思うわけで、自然に溢れているわけでもなく、かといって都会的なわけでもなく、どこにでもありそうな中途半端な田舎であったのだけど、しかしそれでもまあ周囲に自然がある環境で育った。子供の頃は、近くの森に基地を作ったりして遊んだものだし、防空壕を見つけては恐がったりしていたものだ。
当時、樹というものに対して何かを感じていたわけはないけれども、しかし振り返ってみると、森というのはなんとなくだけど優しい気がした。守られている、という風な感覚があったような気がする。気のせいかもしれないが、しかし樹に守られているのだ、みたいな感覚が少しはあったのかもしれないと思う。
今では、まあそこそこ都会に住んでいるわけで、樹を見るような機会はなくなってしまった。それこそ、森など近くにはまったくない(たぶん)。
もし自分の周りに、樹齢千年を越すような巨木があったとしたら。やはり、その樹に畏敬の念を感じることだろう。それだけの年月を生き続けたという、ただそれだけのことなのだけど、しかし自分が死んだ後も変わらずに残るだろうなと思える樹の存在は、何だか無性に安心感を与えるのではないだろうか。
樹は恐らく、人間のことなど見てはいないだろう。守りもしなければ注意もしていない。うるさいな、くらいには思っているかもしれないが。
だから人間の側の片想いということになるだろう。その異形に怖れをなしたとしても、その根底には慕う気持ちが隠されているのだろうと、そんな風に思う。
屋久杉を見ることがあれば、僕はそこに何を感じるだろう。畏敬の念を感じ、その歴史に深く思いを馳せるかもしれない。あるいは、樹に取り込まれたりするかもしれない。何にしても、樹というのは魅力的なものではないか。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は非常に珍しい構成の作品だな、と思います。長編ではないのだけれども、しかし短編とも言いがたいという作品です。
中心には常にある一本の大木があります。時代を超えたいくつもの物語が、その大木を中心に交じり合う、というような構成になっています。
とりあえず短編小説だと見なして、それぞれの内容を紹介しようと思います。
「萌芽」
大昔、まだ争いの絶えなかった時代に謀反を起こされ、家族と共に深い森に追いやられたある一家。片足が不自由になった男とその妻、そして五歳になる息子は、生き延びようと必至で森を這いずり回るうちに、いつしか巨木の根元にたどり着く。
一方で、パシリとして使われる雅也は、今日もコンビニへの買出しを命じられ、その帰り途中であった。近道であるこの森を抜けようとするも、どうにもうまくいかない。
この巨木で首吊りでもしちゃおうかな…。
「瓶詰の約束」
戦時中、空襲の真っ只中に巨木の根元まで命からがら逃げてきた少年は、これだけは手放さないようにと、ランドセルの中に宝ものを詰めていた…。
一方で、巨木の脇にある神社が経営する幼稚園に勤める保母さんは、今流行のタイムカプセルをこの巨木の根元に埋めるアイデアを思いつくのだが…。
「梢の呼ぶ声」
大学進学のために北海道へと行ってしまった彼氏と久々に会えることになった。待ち合わせ場所は、中学時代を懐かしんで、この巨木にしたにすることにした。本当は薄暗くて不気味なところなんだけど、でもここでの待ち合わせにこだわった。早くこないかなぁ…。
一方、若い頃に遊郭へと売りに出された女は、自分の身請けをしてくれそうな客に出会った。恋を知らない自分が、初めて知った恋だった。しかし物事はうまくはいかない。最後の旅と決めて二人でいろんな場所を回った。そしてたどり着いたのが、この巨木だった…。
「蝉鳴くや」
現実味がない。白無地の小袖に、目の前には短刀。横には介錯人。あれよという間に、切腹をしなくてはいけない事態に追い込まれてしまった。何故だ。何故自分が。蝉が騒がしくわめく巨木の傍らで、男は考え続ける…。
一方、中学の教師である男は、巨木の洞に隠したナイフを持って、巨木と対峙している。頭に思い浮かべるのは、校長や学年主任の姿だ。彼らを罵倒する言葉を口にしながら、男は巨木に向ってナイフを突き立てる…。
「夜鳴き鳥」
少し前まで山賊の集団で生活をしていたハチ。今は一人で暮らしている。巨木の近くに出来た洞窟を寝床にし、森で取れる食料をかき集め、時折通りかかる人を襲っては、何とか生き延びている…。
一方、ヤクザであるケンジは、兄貴分である堀井さんに命じられて車を運転している。後部座席には、ガムテープでぐるぐる巻きの岸本が横たわっている。
エンストして停まったその近くにあったのが、あの巨木だ。堀井さんは、ちょうどいいからと言って、その巨木の根元に穴を掘るように言った。
えっ。ヤクザになるからにはいつかは人を殺さなくてはいけないだろうとは思ってたけど、こんなに早く?
「郭公の巣」
サファリ・パークの帰り道、ハーブ園へと寄っていこうとした家族四人は、しかし道に迷い、巨木のある場所へと迷い込んだ。彼等は巨木を見ることに決め、その大きさに驚嘆した…。
一方で、男の後継ぎを生まなくてはいけない女は、しかし生まれたのがまた女であることを知って悲嘆にくれた。案の定、生活のために、生まれた子供を捨ててくるように諭される。捨てる場所は決まっている。あの巨木の側にある池だ…。
「バァバの石段」
バァバが死んじゃう。みんなは、もうそろそろだっていう感じで諦めてるけど、厭だそんなの。バァバが死んじゃうなんて。付き合ってる彼氏からノー天気なメールが来るし、なんかムカつく。バァバは幸せだったのかなぁ。親が決めた相手と結婚したとか言ってたし…。
一方、後年バァバと呼ばれるようになる女性は、今19歳。そろそろ結婚しないと「行かず後家」と呼ばれる年齢になってしまう。かと言って、今候補として目されているのは、かえるさんと言われる人で、お世辞にもかっこいいとは言えない人だ。仕方ないのかもしれないけど、好きになった人と結婚したいものだわ…。
「落枝」
市役所に設置された「あれこれ課」に、最近あの巨木に関する苦情が殺到している。枯れた枝が落ちてきて怪我をするという話も頻繁で、今回もそれだ。一応顔を出すために現場に向う雅也だが、この巨木を見ると、中学時代に自殺しようとしたことを思い出すから厭なのだ…。
一方、ごろつきどもに村を襲われ、女子供が攫われてしまった。クラもその一人だ。自分がなんとか助けにいかないと。場所はわかっている。あの巨木がある森だ。そこへ行って、奴等からクラを奪い返さないと…。
というような感じです。
どの作品も、長い年月を超えた二つの物語が、巨木を通じてシンクロするという構成の話で、その構成はホント見事という感じでした。二つの物語は、時代も人もまるで共通しない関係のない話であるのに、巨木という共通項で括ることによって浮かび上がる三つ目の物語が存在し、それが巨木の見せる幻影であるようで、面白かったです。
本作を読んで、構成が似てると思った作品があります。それは、東野圭吾の「白夜行」です。
ちょっとだけ、「白夜行」という作品の説明をさせてください。「白夜行」では、二人の男女が主人公ですが、その男女が直接描かれるわけではなく、その周囲の人間を通して描かれていきます。二人の男女の内面描写は一切なく、ただ周囲からの描写のみです。また、二人が幼い子供である頃から大人になるまでの長い長い年月の物語でもあります。
本作の場合、その主人公の男女に当たるのが巨木です。直接に巨木が描かれているというわけではないのに、どの物語でも最終的には巨木が主人公であるかのように感じられます。また長い年月の物語であることも共通で、似ているな、と僕は思いました。
長い年月を経て立っている樹には、なるほどこういう物語が映っているのかもしれないな、と思える作品でした。長く積み重ねてきた歴史の一コマ一コマを丁寧に取り出して見ました、というような感じで、まさに樹を通じて描かれる作品であるという風に感じました。
普段の荻原浩らしさ(つまり、ユーモアたっぷりに面白く仕上げる)という作風ではないですが、樹が背負ってきた重みをそのまま感じさせる文章と、細部にまでこだわる描写はさすがで、新境地と言ってもいい作品かもしれません。
あらゆる顔を見せてくれる多彩な作家・荻原浩の新たな一面を垣間見ることの出来る作品です。いいと思います。是非読んでみてください。表紙もなかなか素敵ですしね。
荻原浩「千年樹」

千年樹ハード