さてこんな出来事がもしあったとしよう。さてこの時、最後の心中した家族を殺した遠縁には、僕が遅刻をしたということも含まれるだろうか?
一応理屈ではそういうことになるだろう。僕が遅刻さえしなければ、電車に乗っていた人はいつ通り座席に座ることなく立っていたわけで、乗り過ごすこともなかった。飛行機にも間に合ったし、そうなれば二人の男女は出会うこともなかった。子供も生まれなかったし、交通事故も起こらなかったし、会社が倒産することもなかったし、だとすれば心中することもなかったわけである。
しかしまあ当然の話であるが、そこまで面倒みてられないだろう。
アメリカで蝶々が羽ばたけば…というような「バタフライ効果」と名付けられた現象もあるのだろうけど、しかしそこまでいくと、風が吹けば桶屋が儲かる、というのとほとんど変わらなくなる。
しかし間違いなく言えることは、今僕がこうして普通に生きているだけで、誰かを傷つけているし、誰かを殺しているかもしれないということだ。
上記のような薄氷を踏むようなケースでなくたって、そういう例はいくらでも挙げられる。例えば僕らが住んでいる家を建てるために、どこかの国の森林が伐採されているのかもしれない。あるいは、僕らが日々恩恵を受けている石油燃料を巡って争いが起きたりしているのだろう。
たとえ意識して誰にも迷惑を掛けないように生きていこうと決心したところで、それはまったく達成されない。自分の周囲の人間についてならば可能であるかもしれないが、自分とは全然無関係の誰かが、僕が生きているというだけの理由で不自由を甘受しなくてはならなくなっているという現実は確かにある。
まあ別にそれはどうしようもないことであるし、気にしてもしょうがないことだし、そもそも僕は偽善者であるのでそういうことを特に気にしているわけでもないのだけど、でもこういう風には考えてしまう。わざわざ人に迷惑を掛けてまで生きている価値はあるんだろうか、と。
世の中には、人に迷惑を掛けてでも生きている価値のある人というのはたぶんいるのだろう。どういう人かよくわからないが、より多くの人間にとって何らかの価値を持つ人間、ということだ。しかしそうではない僕のような人間は、人に迷惑を掛けてまで生きていることにしがみついていていいんだろうか、と思ってしまう。
それにもしかしたら、僕が生きているということが、顔も知らないだれかだけではなく、身近にいる顔の分かる誰かをも傷つけたりしているのだとしたら、なおさら心苦しいというものだ。
本当に気づかないうちに人を不快にしているものだ。本人としてはそんなつもりはまるでないのだが、意図しないうちに誰かを不快にさせている。そういうことを考えると本当に怖いと思うのだ。出来るだけそういう部分には敏感であろうと思っているのだけど、しかしそれでも防げるものではない。
よく人に嫌われている人を見かけると、本人はそれに気づいていないのだろうな、と思う。概してそういう傾向がある。周囲から見て、明らかに嫌われているという人でも、本人はそれにまったく気づいていないということは普通だ。実は自分もそういう状況にあるんではないか、とか考えてしまうと、思考のラビリンスである。
一番いいのは、なるべく人と関わらないことである。とにかく静かに、ひっそりと生きていき、自分の存在が何かのきっかけになるようなことがないように祈りながら生活をしていくのがいいだろう。
まあなるべくそれを実践したいと思っているのだけれども、実際のところなかなか難しいものである…。
そろそろ内容に入ろうと思います。
大学で講師をしながら国文学について研究をしている松嶋は、現在義父母との関係で微妙な立場に置かれている。あることをきっかけにして妻を怒らせ、子供と共に実家に帰ってしまったのだが、その帰省の際に交通事故に遭い命を落としてしまったのだ。以来一人娘は義父母の家に預けられたまま取り返すことは出来ていないし、義父母との仲もギクシャクしたままである。特に義父は、同じ大学の直属の教授でもあるので問題は深刻だ。
そんな折、ふとしたことから松嶋は、佐脇依彦という作家の未発表の手記を手に入れることになった。佐脇依彦というのは戦後の作家で、そこまで知名度があるわけではないが、しかし未発表の原稿であるならば面白い。義父との関係が微妙であり、出来ればここらで一発論文で当てて別の大学にでも移ろうかと考えていたので、渡りに船とも言えるものだった。
早速手記を読んでみるのだが、それは佐脇が死に至るまでの回想録という形のものだった。自分がどうして死を選択することになったのか、ということが綴られるのだが、その内容がまさにミステリとしか形容しようがないものであった。
ある男と出会ったことをきっかけにして一人の女性を探すことになったのであるが、しかしその後周囲を含めて様々な嫌がらせを受けることになり、その積み重ねの結果死を選ぶことにした、という内容であった。
松嶋はその内容に、そしてそれを使って書けるだろう論文のことを思って興奮したのだが、論文の発表には条件があると言われ…。
というような話です。
いやぁ、なかなか面白い話でした。最近こういうちゃんとしたミステリから遠ざかっていたというのもあるかもしれないですけど、やっぱりこう二転三転するミステリというのは読み応えがありますね。
未発表の手記を見つけて、それを発表して名声を得ようとするだけの話であったはずなのに、物語がどんどんと思わぬ方向へと進んでいってしまいます。ミステリなので詳しく書けないですけど、後半幾度もどんでん返しがあり、さすが貫井徳郎だと思いました。
その手記を巡って何度も解決らしきところに落ち着きそうになるんですけど、しかしさらにそこからひっくり返し、まだひっくり返すか、という感じで、お見事と言った感じでした。
最終的に行き着いた結論は、正直理解しがたいと言った感じではありますが、しかしそれまでの伏線を見事にまとめ、かつ多少無理があるような気はしないではないけどそこまで破綻のない結末で、何度もどんでん返しをした後で最後のあの結末を用意出来るのはさすがだな、と思いました。
状況の設定もお見事で、詳しくはやっぱり書けないけれども、本作に現れるありとあらゆる状況や人間関係が意味のある伏線で、手記の存在を含めてうまく道具を使い切ったなぁ、という感じはします。
まあ欠点も挙げておきましょう。僕が読んだ中では、手記の部分が途中ちょっとダルいな、という感じがしました。人探しが中心の手記なのだけど、その人探しの部分が冗長というかちょっと退屈な部分はあるな、という気はします。まあ必要な部分ではあると思いますけど、そこが難点かな、と思いました。
けど、その手記も、旧仮名遣いで書かれているのにすごく読みやすくて驚きました。僕は古典とかかなり苦手だったんで、あぁ旧仮名遣いの文章があるのか、これはちょっと読むのに時間が掛かるかもしれないなぁ、と思っていたんですけど、全然そんなことはなくて、普通の文章と同じように読めました。
まあそんなわけで、貫井徳郎の作品の中でもかなり好きな部類に入ります。僕の中で貫井徳郎という作家は、かなり当たり外れの大きい作家だという認識なんですけど、今回は大当たりの部類でした。多少長いとは思いますけど、かなり面白い楽しめる作品だと思います。是非読んでみてください。
貫井徳郎「追憶のかけら」

追憶のかけらハード