ありとあらゆる技術の進歩によって、様々に便利な機械が発明され、現在の僕らの生活に広く浸透している。ほんの一昔まえには想像すら出来なかった機械が発明され、恐らく今後も誰しもが想像し得なかったものが次々に生み出されていくことだろうと思う。
しかしそれは、決して人間の能力を豊かにする方向には進んでいかない。
最近見たニュースに、人の誕生日を覚えられなくなった、というものがあった。携帯電話にいろんな情報を登録できるようになってから、見れば記録してあるという安心感から誕生日などの情報をわざわざ覚えるようなことはしない、というのだ。まあこれは確かにそうだろう。僕らは最近、自分の脳ではなく、機械の方にあらゆる情報を溜め込むようにしている。もちろんそれは、いつでも取り出せる状態にあるのだから、自分の脳にあるのと大して変わらないかもしれない。しかし同時に、確実に脳の機能は退化していくことだろう。
こういうことは例を挙げればキリがないが、例えば暦なども挙げられる。昔はカレンダーなどなかったし、天気予報もなかった。けれども昔は、今以上にそうした情報が重要視されていたはずだ。作物を育てたり、あるいは祭事を執り行ったりするのに必要だからだ。であれば、どうにかしてそうした情報を得るしかない。だから、星や陽の沈み方などから季節を知り、また周囲の様々な変動から天気を推し量っていたのだろう。恐らく昔の人は、誰でもこういう感覚を持っていたはずだ。そうしたものも、既に今では失われてしまっている。
もし昔の人を現代に連れてきたら、僕らは魔法使いに思われることだろう。見慣れない機械を自由に操り、さも大したことではないと言わんばかりに複雑なことをあっさりとやってのけるのである。
しかし同時に、僕らが過去に行ったとしたら、その時代に生きる人々を超能力者であると感じるのではないかと思う。恐らく、今の僕らからは完全に失われてしまった感覚というのを持っているはずだと思う。それをうまくは説明できないのだが、要するに今僕らが機械の力を借りてやっていることを機械なしでやっていたのであるから、それだけ個々人の感覚や能力みたいなものが強かったのではないか、と思うのだ。
だからこそ、僕は思うのだ。今の僕らからは完全に失われてしまったが、特殊な能力を持った人が過去にいたとしても決しておかしくはないな、と。
僕が知っているそういう人々に、陰陽師がいる。詳しくは知らないが、恐らく魔術的な能力を有した人々だったのだろう。もちろん実際にそういう能力を持った人が実在していたのかどうかは分からない。それでも、今の僕らには失われてしまっているだけで、元々人間には備わっていた種類の能力であるのかもしれない、とも思うのだ。
きっと人間というのはもっと出来る生き物だと思うのだ。まだまだ余力はいくらでもある。普段は表には出てこないが、かつてはきちんと機能していた、秘められた能力みたいなものが必ずあるはずだと思う。
しかし、それが進化という形でもう一度日の目を見ることはないのだろうと思う。機械に依存しすぎていて、能力を開発するような機会にまったく恵まれないからである。恐らくこれからも、今の僕らは持っているけど未来では失われてしまう能力というのがあるはずだと思う。それはもはや仕方のないことで、そういう生き方を人間が選択したのだから今さらどうこう出来るものでもない。
それでも、機械に頼るのではなく、己の能力だけで生きていたはずの時代を羨ましく思ってしまったりもするのである。
そろそろ内容に入ろうと思います。
小夜は人の心の声が聞こえる特殊な能力を持つ少女だ。子供の頃、手負いの狐を救い、また森陰屋敷に幽閉されていた少年と親しくなった。それがまさかずっと先に意味を持つことになるなんて…。
大人になった小夜はある時、今はなき母のことを知る人々と出会う。自分の出生についても知っている彼らの話を聞くうちに、春名ノ国と湯来ノ国の間の微妙な争いについて知ることになった。
ある事情から湯来ノ国は春名ノ国に恨みがあった。そのため湯来ノ国は呪者を使って春名ノ国を攻撃し続けていた。春名ノ国にも呪者はいたのだがある時命を落とし、それ以降はなんとか相手の攻撃をかわすのが精一杯の状況であった。
ある日、そんな微妙な状況だった両者に決定的な事態が持ち上がった。
春名ノ国の後継ぎが落馬によって命を落としてしまったのである。血筋から後継ぎを出さねばらなぬので、このまであれば春名ノ国は湯来ノ国から養子をもらわねばならない。しかしそれだけは是非とも避けたい。
春名ノ国の後継者問題に、あらゆる人間が巻き込まれていく…。
というような話です。
著者は児童文学出身の人で、今でも児童文学を書き続けている、んだと思います(たぶん)。最近著作が文庫になってきていて、児童文学の世界だけではなく広く知られるようになってきていると思います(僕も文庫になるまでこの作家のことは知りませんでした)。それにしても最近は、児童文学出身の作家が元気だな、と思います。あさのあつこ・森絵都・佐藤多佳子らが切り開いた道を、後継者がどんどんと続いている、という印象です。
さて本作ですが、ジャンルで言えばファンタジーになります。でどうも僕にはファンタジーというジャンルは合わないようなのです。まあ昔からそれは分かっていたわけですけど。ハリーポッターも一巻を読んだけどそんなにまあまあかなっていう感じだったし、宮部みゆきの「ブレイブストーリー」もまあまあかなという感じでした。
何でかというのを考えてみたんですけど、特別理由みたいなものが思い浮かばないんですよね。ただ一つ挙げるとすれば、日本ではファンタジー=児童文学という構図がある、という点があるかもしれません。児童文学というのは基本的に大人も楽しめる作品が多いですが、それでも基本はやはり子供向けに書かれているはずです。だから、ちょっと物足りなさを感じてしまうのかもしれない、という風には思います。
実際ファンタジーというジャンルは得意ではないですけど、それはつまらないというようなものではなくて、面白さを深く理解できないという意味です。本作も、物語としてはまあまあ面白かったとは思うのですが、しかし絶賛するほどの作品でもないかなと思ってしまいます。たぶん僕は、ファンタジーを読んだら、全部そこそこ面白い、という評価になるのではないかと思います。そういう意味での合わなさを感じる、ということです。
本作では、小夜と野火の関係がまあ面白いですかね。女性であれば、こういう報われない恋みたいな設定は結構好きだったりするかもしれないですね。
でもやっぱり、呪いだとか魔法だとかっていうのはどうも僕にはピンとこないですね。だって、「呪いだ!」とか「魔法だ!」とか言ってしまえば、原則なんでもアリですからね。もちろんそこに一定の制限を加えて調整するからこそ面白くなるんでしょうが、どうも四次元ポケットのような都合の良さを感じてしまうのでしっくりきません。そういうところもファンタジーが得意ではない要因かもしれません。
まあ軽く読める作品だし、大人でも子供でも読める作品だと思います。ファンタジーが好きという人は読んでみてもいいのではないでしょうか。
上橋菜穂子「狐笛のかなた」

狐笛のかなた文庫