僕らは生きている中で、様々なものを獲得して行きながら前に進んでいる。それはあたかも服を着飾るようなもので、裕福であればあるほど装飾は増えるし、逆に貧しければ装飾は減っていく。人生という囲いの中で僕らは、その装飾の差を競い、より装飾の多い生活を目指しながら、一方で装飾の少ない人生になってしまうことを極度に恐れながら生きている。
格差という言葉がよく使われることになったけど、本当に僕らの生き方というのは人によって大きな差がある。裕福であったり、上の立場にいる人であればあるほど出来ることは増え、やらなくてはならないことは減るし、貧しければその逆になる。生まれつきその立ち位置が決まっている人もいるし、努力してあるいは何か不幸があってその立ち位置になってしまった人もいるだろうが、とにかく人の生き方というのは千差万別、人の数だけ存在すると言っていい。
大抵そういう生き方に差のある人同士というのは、人生が交錯するようなこともなければそもそも共通項がない。普通であれば同じ立場に立つことは決してありえない。お互いを理解しあうということもないだろう。
しかし、病気というのはその格差というものを飛び越えていく。まったく共通項のなかった人々を、病気という一つの括りで大きく括ってしまう。
正直、治る余地のある病気であれば、病気になっても依然格差は存在するだろうと思う。お金があるかどうかによって、受ける医療が全然変わってくるだろう。医療機関や主治医も、お金さえあれば自在である。お金がないために貧しい人には治せない病気も、裕福な人であれば簡単になんとかなってしまう。
しかし、治ることのない病気であれば、人は病気という地平で平等になる。
ガンというのは基本的に治療法は存在しない。あるのは、ガンに侵された部分を切除する、という外科的な手術だけである。もちろん最近は医療が発達して、初期の段階で発見されたガンなんかは薬で治せたりするのかもしれないけど、基本的には切るしかないものだと僕は思っている。
そして、ガンが臓器のあちこちに散らばっているとか、あるいは切除することが絶対に出来ない部分にガンが転移したとか、そういう場合であればもうほぼ生き残ることは不可能な病気である。
医者がもう無理だと言えば、もう無理である。これは、お金があろうとなかろうと関係ない。たとえ100億円用意したとしても、治せないものは治せない。今後新たな治療法が開発されたりすればまた別かもしれないが(なんとなくありえそうなのは、クローン技術によってガンに侵された自分の臓器をあらたに作り出し、それと取り替えるという治療法である)、しかし現段階では、治らないガンというのはとにかく治らないのである。
さてそうなると、金持ちだろうが貧乏人だろうが、政治家だろうが芸能人だろうが、ビンラディンだろうがダライラマだろうが関係ない。どんな人間だろうと、もうすぐ死ぬという事実を突きつけられ、その現実を目の前にして生きていかなくてはいけないのである。
その生き方は、ガンになった人間にしか、もうすぐ死ぬと言われた人間にしか分からないだろう。そういう意味で彼らは、他のすべての括りを失って、ガンという括りで僕らと隔てられる。あちら側とこちら側に分けられる。
もうすぐ死ぬと言われた人間は、日々をどう生きているのだろうか。やっぱり僕には想像することもなかなか出来ない。
僕の拙い想像では、今日と変わらない明日が来ることが恐怖になってくるのではないか、と思う。痛みはどんどんと強くなってくる。日々痛みに気力を奪われていき、寝ることもままならない。そんな一日がまた明日もやってくる。自分がガンであるということを嫌でも思い知らされる明日がまたやってくる。その当たり前の事実がもの凄く恐ろしくなるのではないかと思う。
また、少しずつ死に確実に近づいているというその感覚を日々味わっていかなくてはいけないというのも辛いだろう。僕は、もし自分が死ぬのなら、死ぬと分かってから死ぬまでの時間がとにかく短い死に方がいい。交通事故とか地震とか脳卒中とか、そういう死に方である。とにかく、あぁこれで自分は死んでしまうということが分かってから長くは生きていたくない。
それで考えると、ガンというのは最悪である。少しずつ生を削り取られていく。子供の頃、砂山に棒を立てて周りの砂を少しずつ取り去っていき、最後棒を倒した人が負けというような遊びがあったけど、まさにそんな感じで少しずつ削り取られていくのだと思う。それはきっと僕には耐えられないだろうな、と思う。
ガンは突然やってくる。そこには、どんな意味においても理由など存在しない。どんなに悪いことをしてきた人にも、逆にどんなにいいことをしてきた人にも平等にやってくる。誰からも好かれている人でも、誰からも嫌われている人でも、素晴らしい功績を残した人でも、最悪な汚点を残した人でも、人を助けた人でも、人を殺した人でも、全然そんなのは関係なくガンというのはやってくる。そういう意味においてもガンというのは平等で、同時に平等であることが憎らしくなってくる。
どうせなら、と考えてみる。どうせなら、デスノートみたいにガンが決まればいいのに。この世の中に要らないと思われた人の名前がノートに書かれ、その人がガンになる。そうなれば、少しは溜飲が下がろうというものだ。まあそんなことはありえないのだけど。
ガンは人の命を奪っていく。何故奪っていくかに理由はない。平等という言葉も、ガンという言葉の前には空しいなぁ、と思う。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、世界的なサーファーであった著者が、ガンに侵されたことをきっかけにして書いた小説です。著者は39歳で死んでしまいました。最近映画化もされましたね。
僕は本作を読む前ずっと、本作は自伝みたいなものなんだとばかり思っていたんですけど、でも普通に小説でした。勘違いだったですね。
野々上純一は今、手紙屋という仕事をやっている。元々精神科医だったのだけど、ひょんなことからこの手紙屋という仕事をやるようになったのだ。
そもそもは美容師だった野々上は、しかしあることをきっかけにして医者を目指すことになる。
自身もうつ病になった経験があるということもあり、また別の医師からの勧めもあって精神科医になったのだけど、それで配属されたのががんセンター。そこでしばらく、患者からの不満をとにかく一手に引き受けるサウンドバックのような日々を過ごしていた。
しかしその後、ガン患者の心の内を知ろうとするプロジェクトが始まり、やがてそれが「手紙屋Heaven」という形になっていく…。
というような話です。
いやはやなかなかいい話だと思いました。初めて小説を書いた人の本だとは思えないですね。ちゃんと小説になっているし、面白い。それでいて、ガン患者自身が書いた小説だから、ガンというものについて語られる言葉に重みがある。ストーリー自体はユーモアに溢れ明るいものなのだけど、ふとガンというものに深く考えさせられる作品だなと思います。
手紙屋というのは何をするのかと言えば、要するにガン患者の話を聞いてそれを手紙の形にまとめる、ということです。もうすぐ死ぬと宣告されている人々は、しかし本当の胸のうちというものをなかなか明かしません。それを、誰かに手紙を宛てるという設定にして話を聞き、患者のカウンセリングにしよう、という試みです。また、もうすぐ死んでしまうわけで、遺される人々にちゃんと気持ちを伝えたいということもあります。そうやって手紙屋Heavenは存在しています。
本作では、その手紙屋Heavenを始めることになる野々上の生い立ちと、手紙屋Heavenを開いてからの日々を描いた作品という構成です。
手紙屋という設定はなかなか面白くて、恐らくこれは著者の希望でもあるのではないか、と思います。あとがきで著者の奥さんが文章を寄せているのだけど、その中で、「僕は子供達に文章を残す」と言って著者は小説を書き始めた、というようなことが書いてあります。それは、自分が伝えたいと思うことを小説に残すということでしょう。自分は小説として残せるけど、他の人はそうとも限らない。だから手紙屋みたいな存在があればいいのに、ということで考えたのではないか、という風に思います。
手紙屋Heavenにやってくる人はまあなかなか変わった人間が多くて、皆何らかの形で悩んでいるのだけど、やはり人と話をするということで気持ちが安らいでいくものでしょうね。手紙屋Heavenみたいなものが実際出来たら面白いなと思います。
その手紙屋Heavenを運営する野々上もまあなかなか大変な人生を歩んでいますが、しかしその人生の中でも特に面白いなと思ったのが、野々上の妻の祖父の存在です。
源三というその祖父は事業を成功させた人でもあり、また話しているとなんだかすべてを話したくなってくるようなそんな魅力を持った人です。
その源三さんが、手紙屋Heavenのすべてを作ったと言ってもいい人です。野々上から、ガン患者の話を聞くというプロジェクトがうまくいかないことを聞いた源三さんは、すぐさま動き出し、あれよあれよという間に様々な人を取り込んでは手紙屋Heavenを生み出してしまいました。この作品の中でこの源三さんが一番インパクトがあって一番好きなキャラクターですね。ほんの一瞬しか出てこないんですけど、しかし強烈でした。
また最後もなかなかよかったです。一人のガン患者がいかにして死と向き合っていったのかという話で、悲壮感はまったくなくて、こんな風に力強く死ねたらいいだろうなと思わせる話でした。ここに、自分の決意を著者がこめたりしたのかもしれません。
というわけで、かなりいい小説だと思いました。世界的なサーファーがガンに侵されたのをきっかけにして書いた小説、という売り文句がなくても全然普通に小説として完成している作品だと思います。なかなかいいと思います。是非読んでみてください。
飯嶋夏樹「天国で君に逢えたら」

天国で君に逢えたら文庫