2007年10月18日

もしもし、運命の人ですか。(穂村弘)

恋愛というのは、異国の人とコミュニケーションを取るようなものである。同じ日本人同士のはずであるのに、何故か恋愛においてだけ遠く国境を隔てるような感じになってしまう。
そもそも言葉が通じないし、習慣や文化も違う。そんな異国の人とコミュニケーションを取るのは本当に難しい。恋愛においても、それと同程度の難易度が存在する。
例えばボディーランゲージの話をしよう。
日本で、「こっちにきて」という意味のボディーランゲージはどうなるだろう。大抵の人は、手のひらを下に向け、指をそろえて手前に引く、という動作をするのではないだろうか。日本人ならほぼ誰だってそうするだろう。
しかしこの動作、アメリカでは「あっちへ行け」という意味になるらしい。真逆である。日本人相手にならいいが、アメリカ人相手にこの動作をしてしまうと、相手を怒らせてしまうことになるだろう。こっちは別にちょっと来て欲しいということを伝えたかっただけなのに、ボディランゲージの解釈に違いがあるために誤解が生まれてしまう。
また日本でなら、YESの場合は首を縦に、NOの場合は首を横に振るとなっている。大抵の国でそうだろう。しかしまったく逆の国も存在するらしい。つまり、YESの時に首を横に、NOの時に首を縦に振るらしい。もはや意味不明であるが、しかし当人同士おかしいことをしている認識はない。ただ同じものが違って見えるというだけの話である。
また、こんな話だって作れる。
アメリカ人が、日本の田舎での生活を知ろうとやってくる。そこは田んぼや畑が広がり、森や山に囲まれた自然豊かな場所である。
そのアメリカ人は、畑の一角にイモが山積みされているのを目にする。ちょっと見てみよう。そんな気持ちでイモを手に取ったりしていると、近くの民家から一人の老人が怒ったような顔で出てきてこう言った。
「掘ったイモいじるな!」
そこでアメリカ人はこう返す。
「It is just 12 o'clock.(ちょうど12時です。)」
まあよく言われる話なので分かると思うんだけど、日本人が普通に「掘ったイモいじるな!」と言うと、それはアメリカ人には「What time is it now?(今何時ですか?)」と聞こえるらしい。だからこそそのアメリカ人は、時間を聞かれたのだと思って答えを返したのである。
これもどちらも悪気があるわけではない。しかしお互いのコミュニケーションは一向に伝わることはない。
男女のコミュニケーションというのもかなり近いものがあると僕は思う。お互いに、まず相手がどんな言語、どんな文化を持つ人間なのかを探らなくてはいけない。その上で、相手に伝わる形で言葉やボディーランゲージを伝えなくてはいけない。そうでないと、相手にいつまでも自分の気持ちが伝わらないまま、逆に完全に誤解されたままでいることになってしまう。
しかし最も難しい問題は、相手がどんな人間であるのかを見極める、ということである。相手が繰り出す言葉やボディランゲージをどんな文化圏の常識で解釈をすればいいのか、ということがなかなか掴めないのである。
例えば本作の帯にこんな文章がある。本文から抜き出されて書かれたものである。

『或る夜のこと、友達の家に何人かで集まって遊んでいるとき、コンビニエンスストアに食料の買い出しにゆくことになった。
「僕、行こうか」と私が名乗りをあげると、
「じゃあ、あたしも行く」とSさんが云った。
どきっとする。
今、Sさんは「じゃあ、あたしも行く」って云わなかった?
「じゃあ」ってなんだ?』

帯に書いてあるのはここまでだが、続きがある。

『「買い出し係がもうひとりくらい要るでしょう。それなら」という意味の「じゃあ」だろうか。その場合、「じゃああたしも行く」=「買い出しがもうひとりくらい要るでしょう。それなら、あたしも行く」である。
この「じゃあ」はスルーしていい。私にとって特別な情報ではない。
でも、と思う。今の「じゃあ」にはもうちょっと、なんか、こう、微妙なニュアンスがなかったろうか。いや、確かにあった。
もしや、あれは「ほむらさんが行くなら」という意味の「じゃあ」ではなかったか。その場合「じゃあ、あたしも行く」=「ほむらさんが行くなら、あたしも行く」ってことになる。
「ほむらさんが行くなら、あたしも行く」
それは「ほむらさんが好き」ってことではないか。
大変だ。
告白だ。』

さてここまでの文章を読んだ女子としては、「この男は頭がおかしいんではないか」という判断になるのではなかろうか。「ほむらさんが行くなら、のわけないじゃん。ただもう一人ぐらい必要かなってだけだよ〜。まじで男ってこんなこと考えてるんだ〜」とか言われそうである。
しかし、まあ考えるのである、男は。アホだから。
僕もどちらかと言えばこういうことを考えてしまう人間である。結構長い付き合いの友達とかで、相手の性格とかを割と知っているような場合だとそんなことはないけど、まだそこまで知っているとは言いがたい相手とこんな状況に陥ったら、ほむらさんみたいに頭をフル回転させてしまうのではなかろうか。
今の「じゃあ」はなんだ?
意味のある「じゃあ」なのか?
意味のない「じゃあ」なのか?
これは要するに、相手が使っている言語を理解し切れていないというところにある。
つまりそのSさんが言った「じゃあ」が、日本人にとっての「こっちに来て」なのか、あるいはアメリカ人にとっての「あっちへ行け」なのかが分からないのだ。どちらも、形としては同じだ。しかし、それを発した側と受け取る側が同じ文化圏にいるという保証はない。お互いに違う解釈をしてしまう場合もある。
しかし、じゃあどうすればいいのか、ということについて答えはない。知らない相手がどんな文化圏にいるのか、どんな言語を用いれば通じるのか、というのは結局のところ分からないのだ。分からないまま、相手とのコミュニケーションを成立させようとしている。涙ぐましい努力である。
別の例を出そう。
僕の知り合いに、大学生の時に生まれて初めて彼女が出来た男がいるのだが、しかし三ヶ月で別れてしまったのだ。直接話をしたわけではないのだが、その別れた原因というのは、彼が彼女にその三ヶ月まったく手を出さなかった、かららしい。
つまりこうである。男の側としては、自分の初めての彼女であるし緊張もしてるしどうしていいのかも分からない。それに、いきなりそういうことをしてもいいものだろうかと悩む。そういう関係になるまでに付き合い始めてどれぐらいの期間を置くべきなんだろう。分からない。でも、今手を出してみて拒絶されたら、せっかく出来た彼女を失ってしまうかもしれないし…、というような葛藤があったに違いない。
しかし女性の側としてはこうである。三ヶ月も全然手を出してこないなんて、私に魅力がないのかしら。そうだよね、普通男なら三ヶ月も我慢しないものだしね。ってことはやっぱ私じゃダメってことか。仕方ないね。
まあその相手の女性というのは見たことも話したこともないが、しかしこんな感じだろう。
お互い悪気があるわけではない。ないのだが、しかし残酷なまでに擦れ違ってしまう。こんなことの繰りかえしの中に、恋愛というのは存在しているのである。
そう考えると、恋愛が成立するというのは本当に奇跡的なことなんではなかろうか、と思ってしまう。世の中にあまりにもカップルが多すぎるように思うのでその奇跡をなかなか実感することはないのだけど、しかし、言葉が通じるがどうか全然分からない相手とのコミュニケーションをなんとか乗り越えて恋愛は成立するのだ。すごいものだと思う。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、恋愛というものをテーマにしたエッセイです。しかし普通のエッセイではない感じでした。うまくは言えないのだけど、これは面白い!と思いました。久々に自分の中で大ヒットのエッセイを読んだ気がします。
しかしまあ何が面白いのかといわれるとなかなか分析するのが難しい感じがします。まず一つには、この著者と僕が結構似ているというのもあるかもしれません。ごくごく普通の人間であることや、あれこれ余計なことを考えてしまうようなところ、また男女に関わらずトリッキーな人間に惹かれてしまうなど、結構似たようなところがあります。だから読んでて、なるほどなるほど、という感じになります。
あと思うのは、なんとなく温度差のギャップが面白い感じがしています。どういうことかと言うと、著者の書く文章というのはどうもテンションが低い感じがするんです。なんとなくそこはかとなく、文章自体から温度をあまり感じないなという気がします。
でも書いている内容はなかなかのテンションの高さです。自分のこれまでの経験なんかを交えながらも恋愛について熱く語っています。その温度差がなかなか面白さをかもし出しているような気がします。
しかしまあいろんな話が出てきて面白いですね。
例えば、女性から瓶の蓋を開けてと言われる、というシチュエーションについての話があります。
著者は女性にそれを頼まれると酷く緊張するんだそうです。というのも、開けられなかったらどうしよう、と思ってしまうからです。その気持ちは僕も分かります。開けられなかったら最悪だ、どんな手を使ってでも開けなくては、と思うと思います。
しかしその後著者は、この瓶の蓋を開けるということについて女性側の意見を聞く機会があったそうです。そうしたら女性としては、「自分でもたぶん頑張れば開けられそうな瓶を渡している」のだそうです。でそれを男がさくっと開けるのを見て、「すごいじゃん」と褒めてあげたい、んだそうです。だから男としては、開くかどうかなんて心配をしないでさくっと開けてくれればいいのだ、ということでした。
なるほどなるほど。そうだったのか。開けられるかどうか試されているのではなく、開くことが分かっていて瓶を渡されているのである。そう考えれば一安心というものである。しかしまあこういうところでも擦れ違いというのは起こる。
擦れ違いと言えば面白い話があった。コンデンスミルク事件である。
あるカップルがいた。二人はデートでイチゴ狩りにやってきたのである。二人は入口でお金を払い、ミルクを渡される。二人はイチゴを狩っては美味しく食べていたのであるが、しかしそこには罠が存在していた。
入口で渡されるミルクは明らかに少ないのである。確かにここはイチゴ取り放題、時間無制限であるが、しかしミルクは少ししか渡されない。これではイチゴ狩り続行の危機である…。
しかしその時、男がバッグから赤いコンデンスミルクのチューブを取り出したのである。男は以前にもこのイチゴ狩りに来たことがあり、こういう状況になることが分かっていたのである。だから彼女のためにコンデンスミルクをわざわざ持参したのだ。
彼女はそんな用意周到な彼を改めて見直し好きになっていった…。
ということにはならなかった、という話である。
この話は、著者がある女性と話している時に出てきた話らしいけど、そのコンデンスミルクを彼が出した時、女性はちょっとだけ冷めてしまったらしいのだ。
何故か。
女性としてもうまく説明できているわけではないが、要するに例えそれが罠であろうとも、初めてのことを二人で共有したかった、というのだ。つまり、ミルクがなくてイチゴが食べられなくなっても、その状況を共有したかった、ということだ。しかしそれは、彼の取り出したコンデンスミルクによって打ち砕かれてしまう。
彼はもちろん善意からコンデンスミルクを用意したわけだけど、しかし彼女からすれば方向が間違っていたのである。難しい。難しすぎるよ。何が正解なのかさっぱりわからないセンター試験の国語の問題みたいではないか。そうだ、あのセンター試験の国語の問題も、何故かアホみたいに答えがわかるやつというのがいたものだな。恋愛も、そうやって何故か答えがわかる人間が勝っていくのだろう。ということは僕はずっと負けっぱなしか…。悲しいものである。
とまあそんなわけで、とにかく面白いエッセイです。男性向けだとは思うけど、女性にも読んで欲しいと思います。男はこんなことを考えながら女性を見ているのだ、ということを学んでいただければ、相互理解のために、男女の掛け橋のために、両者の親善のために、世界平和のためにいいのではないか、と思います。是非読んでみてください。

穂村弘「もしもし、運命の人ですか。」


もしもし、運命の人ですか。ハード

もしもし、運命の人ですか。ハード
 

この記事へのトラックバックURL

http://blogs.dion.ne.jp/white_night/tb.cgi/6336386