2005年02月21日

笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE(森博嗣)<再読>

はたして、これらは妥当な観察点からのもので、しかも連続した存在なのでしょうか?
起源は忘却され伝統の手法だけが取り残される。たとえ、神のトリックであっても
利用価値のある肉体的実在、再生あるいは統合されつつある美および不明確な心象へ
残念ながら、観察者と即率に存在するものは、定義できないゆえに、存在しない
ならば問う。非厳密あるいは矛盾が常に何らの働きもしなかった歴史がありえたか
ろくに泳げもしないくせして、人間ってやつは・・・、とセイウチは笑った
微分方程式という融通の利く語彙は、一度に一所しか見えない人間の目が産んだものだ
造形志向の回帰に根ざす運動は一般的に源泉が希薄だが、目新しさだけでは成立しない
まさか、感情的忘却と知的覚醒が単純に同義で同時に起こるものとおっしゃるのですか?
現実がいつもシンデレラの醜い姉のようであれば、公理の靴はいかにも窮屈となろう
十万桁まで計算されたパイに人間性がないというのですか?人間以外に誰がします?

ふー、疲れた。でも、疲れた割りにこれを書いた意味は特にない。犀川もこう言っている。意味のないことが高級なんだ、と。
さて、シリーズも三作目です。まずは早速内容から。
天王寺翔蔵という偉大な数学者が住む山奥のお屋敷「三ツ星館」。クリスマスにそこで開かれるパーティーに犀川と萌絵も呼ばれる。
三ツ星館は館内にプラネタリウムがあり、その中で星を見ながら、天王寺博士の出す数学の問題を解く、というのが毎年の恒例になっている。
さて、三ツ星館では、12年前に庭にある巨大な「オリオン像」と呼ばれる銅像が消えたことがあった。天王寺博士は、この謎を解いた者に遺産を相続する、とまで言っていた。
萌絵はこの話を聞いており、天王寺博士に、オリオン像を消すように頼むと、なんと本当にさっきまであったはずのオリオン像が消えていた!
さて、一夜明け、オリオン像が再び出現するとともに、二つの死体も姿を現す。誰も出ることの出来ないはずの三ツ星館から離れたオリオン像の下にあった死体。野外で成立した密室に犀川と萌絵が挑む・・・
といった感じの内容です。
僕はミステリを読んで、トリックがわかることなどまずありません。ありえないです。大抵作者の仕掛けた罠に引っかかります。
でも、この作品は珍しく、トリックらしきものがわかった作品です。らしきもの、と言ったのは、細部がわかっていなかったというのももちろん、それがどう殺人と結びつくのかまでまったくわからなかったからです。
そう、本作のすごいところは、オリオン像消失の謎と、二つの死体の出現の謎がまったく同じ問題だということです(さて、これはネタばれになってしまうだろうか・・・俺の判断ではギリギリセーフだと思っているんだけど・・・)。つまりオリオン像消失の謎を解けば殺人事件の謎も解け(るはずだけど僕はわかりませんでしたが)、その逆もまた言えるということです。それが素晴らしい。
オリオン像が消えるにはまあこうするしかないかな、といった漠然としたものですが、それでも珍しくトリックらしきものがわかった印象深い作品です。
さて、森博嗣の作品というのはどれも、どこに謎が隠されているかわからないです。「すべてがFになる」でもそうでしたが、意図的に隠されているものにこそ真理がありますね(何のことを言っているのか、読んだ人ならわかると思うんだが・・・)
もともとこの作品は、「すべてがFになる」の前にくるはずの作品で、森博嗣の考えでは、先にこの天才天王寺翔蔵博士を出し、その後常軌を逸した天才真賀田四季を登場させる予定だったようです。だから、「すべてがFになる」を先に読んでしまっているので、この天王寺博士は多少地味に見えます。それは仕方ないのですが、それでも天王寺博士の考え方は、全てを理解することはできないけど面白いものです。
この作品では、かなり初めの方に、ビリヤードの玉を使った問題が出されるんだけど、結局その問題の解答は明かされないまま小説が終わってしまいます。初読の時は肩透かしを食らった記憶があるし、やはり一部ではミステリとして解答がないのはおかしいという意見もあったようです。まあ、そこが森博嗣らしいですけど。
壮大なトリックと天王寺博士の言動、そして犀川と萌絵の関係が魅力のシリーズ三作目です。是非どうぞ。
というわけでいつものように気になる場面を。

(前略)
「ねえ、お姉ちゃん、あれは戻ってくる?あれがないと、サッカーができないよ」(後略)

(前略)
クリスマスというものに、最近の犀川は何も感じない。十二月二十五日だから、1,2,2,5の数を全部足すとちょうど10になる、というくらいの印象しかない。(後略)

(前略)
「男の人の服って全部、女も着られるのに、女の服には、男の人が着れないものがありますね」萌絵はそう言ってくすくすと笑い出した。「これは何故ですか?先生」
「良い問題だね」犀川は上の空で言う。「それは、たぶん、諺でいうと・・・」
「大は小を兼ねる?」萌絵はすぐ言う。
「いや、帯に短し襷に長し・・・、じゃないかな」
(後略)

(前略)犀川は、いつも、ど真ん中から外れた話しをする。しかし、それは計算されたものであることを、萌絵は知っていた。あとで、スペアを取るために、わざとストライクを外してくる。難しいピンをわざわざ残す、それが犀川の話し方のスタイルで、彼女にはそのスリルが実に楽しい。(後略)

「(前略)僕は、阿弥陀くじは好きだけどなぁ・・・。あの程度の複雑さで、人間って神懸り的に諦められるんだよね。そこが面白いじゃないか。君は、阿弥陀くじは、二秒もあれば見切れるだろう?」
(後略)

(前略)「一番、下品な格言って知ってる?」
「働かざるもの食うべからず、ですよね?」萌絵は即答する。
「そうだ」犀川はにっこりと頷いた。彼は機嫌がよさそうだ。「いやらしい、卑屈な言葉だよね・・・。僕の一番嫌いな言葉だ。もともとは、もっと高尚な意味だったんだよ」
「え?どんな?」
「一日作さざれば、一日食わず」
「それ、同じことじゃありませんか?」
「違うね。これも集合論だ。ド・モルガンの法則かな」
犀川は、また難しいスペアを取った。
(後略)

(前略)
「さて、では、もう一つ問題を出そう。五つのビリヤードの玉を、真珠のネックレスのように、リングにつなげてみるとしよう。玉には、それぞれナンバが書かれている。さて、この五つの玉のうち、幾つ取っても良いが、隣どうし連続したものしか取れないとしよう。一つでも、二つでも、五つ全部でも良い。しかし、離れているものは取れない。この条件で取った玉のナンバを足し合わせて、1から21までのすべての数字ができるようにsたい。さあ、どのナンバの玉を、どのように並べて、ネックレスを作れば良いかな?」
(後略)

「(前略)定義できるものが、すなわち存在するものである」
(後略)

(前略)
「よいか、あらゆる課題は、現実と理想、あるいは事実と理論の間のギャップにある。それを自覚することだ。しかし、現実や事実は、常に真実とはいえない。それは、あくまでも、お前たちの目が観察したものだ。お前たちの頭が認識したものだ。それを自問するのだ。見ないものを考えるのが人間の思考なのだ。お前たちは、自分の姿が見えなくても、自分の存在を知っている。それが人間の能力ではないか」
(後略)

(前略)「西之園君。内側と外側の違いは何かわかる?」
「平面なら・・・閉曲線の面積が小さい側が内側です」萌絵は答えた。「でも、一般的には、観察者の存在する側が内側かな・・・」
(後略)

(前略)「先生、素朴と単純って、どこが違うのかしら?」
「現象としては同じだ。まあ、違いといえば、観察者の先入観かな」
(後略)

(前略)
諏訪野は、何度も犀川に頭を下げ、「お願いします」のあらゆるバリエーションを披露した。
(後略)

(前略)
もし教育というものが概念として存在するとすれば、たぶん、片山基生が和樹に与えたものが、それだろう、と犀川は理解したので、理想的だと表現したのである。人間は自分の生き様を見せること以外に、他人に教えることなど、何もないのだ。一般に使われている教育という言葉は、ありもしない幻想でしかない。
(後略)

(前略)
「自由がそんなに大切ですか?」と萌絵。
「そうだ。何故なら、自由以外に、思考の目的はない。人間が思考によって獲得する価値のあるものは、それ以外にはないからだ」
(後略)

(前略)「何かの誤解だと思うんだけどね。僕は、よくわからないんだ。そういうことに疎くてね。だから・・・、これは、架空の話として聞いてほしいんだけどね。まずい料理を食べることが愛情かな?どんなに出来が悪くても優をくれる先生が尊敬できる先生かな?もし知らない人が作った料理なら、少しぐらいまずくたって我慢するかもしれないね。でも、西之園君が、もしもだよ・・・、まずい料理を作ったら、我慢できないね、僕は。それが、人を尊敬するってことだ」
(後略)

(前略)
「負け方がわからなかったんだよ、君は」犀川が言う。「勝つことばかり考えていた。どうやって負けたら良いのかも、考えなくちゃ。それが名人というものさ。僕なんかね、あらゆる勝負に負けてばっかりだからね、そういった苦労は皆無だ」犀川は微笑んだ。
(後略)

「(前略)ものを観察している間は、人は考えないものだよ」
(後略)

(前略)「鏡に映った像は、左右が反対になりますね。どうして、上下や前後は反対にならないで、左右だけ入れ替わるのか、刑事さん、答えられますか?」
(中略)
「定義の問題です。左右だけが、定義が絶対的でないからです。上下の定義は空と地面、あるいは、人間なら頭と足で定義されます。前後も、顔と背中で定義できます。では、左右はどうでしょう?左右の定義は、上下と前後が定まったときに初めて決まるのです。(後略)」

(前略)「実は、あの日、パーティのあとで、西之園君がキッチンでサンドイッチ・・・、のようなもの・・・を作ったんです。これは、僕の記憶が曖昧なのではありません。記憶は極めて鮮明ですが、彼女の作ったものが曖昧だった」
(後略)

(前略)
「さて、殺人の動機は何でしょう?」犀川は言った。「どなたか、説明のできる方はいませんか?」
「先生、困りますね・・・」荻原が立ち上がった。「動機もわからずに、今まで説明されていたんですか?」
「ええ、そうですよ」犀川はあっさり認めた。「僕は、彼以外の人間には、犯行が物理的に極めて困難だというお話をしたにすぎません・・・彼が、どんな動機を持っているかなんてことは正確にはわかりません。そういったことが、正確に理解できるものだとも思っていませんしね」
(後略)

森博嗣「笑わない数学者」


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森博嗣『笑わない数学者』読了【モンキーターン】 at 2005年04月16日 21:55
この記事へのコメント
俺も、なんとなくトリックのようなもの、は分かったんだよ。この話だけ。オリオン座が消えた理由は分かったけども、それが殺人にどう関わるのかということに繋げることができなかった。

でも、この人の本はそんなことは結構どうでもいい感じだからいいんです。なぜ鏡が左右対称になるのかという認識論の問題みたいに、殺人なんかよりもいろいろ目の覚める考え方に気づいたときにびっくりします。
Posted by つよし at 2005年02月27日 01:08
この話の場合、ああやるしかオリオン像は消えるはずないしね。そこまでなら結構みんなわかったのかもね。

しかしまあ、トリックだとか殺人だとか、そういったものがどうでもよくなるってのはその通りで、そんな作品を書いてしまう森博嗣は、やっぱまあすごいわけです。こういう視点が出来ることが羨ましい。

作品が多すぎて、追いつける気がしませんが。
Posted by 通りすがり at 2005年02月27日 02:07