女子大のログハウスで、別の大学の女子学生が殺された第一の事件。また別の大学のある一角でその女子大の学生が殺された第二の事件。共にN大とは関係ない場所で起きた事件。共通点は、密室・死体に残されたナイフの傷・全裸。
容疑者候補として浮上したのは、N大工学部に在籍している、人気ロック歌手の結城稔。先に殺された二人の被害者が彼のファンで、お互い面識もあり、さらに彼の歌う作品の一つ「詩的私的ジャック」の歌詞と事件の様子が似ていたからだ。
いつもの好奇心全開で事件に首を突っ込む萌絵。警察も結城稔の線で事件を捜査するも、暗礁に乗り上げる。
そんな中、N大構内で同一犯に間違いない殺人事件が発生する!
今回犀川は、萌絵には巻き込まれるが事件には巻き込まれず関係者ではない。萌絵の持ち込む情報だけを頼りに事件を解く、まさに安楽椅子探偵である。犀川の思考が事件を解決に導く。
という感じです。
さて、シリーズ物をこうやって連続で感想を書いていると、どうもネタが尽きてしまうような気がする。まあ言い訳ですけど。
今回は、犀川の思考について触れようと思う。犀川は物語の最後の方で、関係者に事件の説明をする。その説明が、これまでの探偵像というのとかなり違っているように僕は感じます。
「境界条件」という言葉をよく使います。この「境界条件」の設定が、犀川の口から説明されればなるほどそうか、と納得できてしまいます。
つまり、犀川の思考では、観察された現象をまず解体し、その中から細い細い一本の糸を見つけ出します。それが「境界条件」であって、その糸に、解体した事象を再度並べていく、という感じです。
犀川の見つけだす糸、つまり境界条件は、考えれば確かにそうで、萌絵もきっと感じているだろうけど、何でそういう風に考えられないんだろう、と思ってしまうほどです。
うまく説明出来ないけど、普通の探偵は情報や条件をとにかく一杯集めて、それが一定量に達したらそれらが自然とくっついて現象を形作る、というスタイルのような気がします。一方で犀川は、観察された現象を一旦解体し、基準を設定してから再度組み立て直す、という感じで、それが犀川らしいという感じです。
今回の作品は、トリックはもちろんなかなかのものですが、普通のミステリ読みには、動機という点で納得できないのではないか、と思います。ただ、森ミステリを読む上で動機がどうだとか考えてはいけない、ということを強く感じるのもこの作品だったりします。読んでみてください。
ちなみに今回は、犀川と萌絵がなかなかいい感じだったりします。それだけでも結構面白い。
というわけでいつものを。
(前略)
「衣・食・住の三つのうち、食はちょっと特別だけど、衣と住は、どう区別できる?答えられる人はいますか?」
(後略)
(前略)世の中には、煙草よりさきに禁止すべきものがまだ幾つかあるが、気づいていないのだろう。
(後略)
(前略)
「先生は、女性が社会に出て仕事をするということを、どう思われますか?」
(中略)
「どうも思わないね」犀川は返答する。「そもそも、男女平等と職業は無関係だ。つまり、男と対等になるために、仕事をするなんてナンセンスだと思う。それでは、仕事をしている者が偉いという、馬鹿な男が考えた言い訳を認めることになる。いいかい。仕事をしていても、遊んでいても、人間は平等だ。問題を摩り替えてはいけない」
(後略)
(前略)「研究ってね。何かに興味があるからできるというものじゃないんだよ。研究そのものが面白いんだ。目的を見失うことが研究の真髄なんだ。(後略)」
「(前略)遅れていますでしょう?」
「何に対して遅れているのですか?」
(後略)
(前略)推理小説に登場する建物は、実に不自然なものが多い。こんな建物があるものか、と思わず言いたくなるような部屋の配置、柱の位置、ドアも窓もまったく非現実的だ。もちろん、建築基準法とか、消防法とかのない世界なのである。(後略)
(前略)この不可思議な伝統が、毎年、誰も疑問をいだかずに続けられている。もちろん、それが「伝統」というものの機能であろう。
(後略)
(前略)萌絵は視力が両眼とも二.〇だ。子供の頃はもっと良かったのだが、だんだん近視に近づいて、今では、視力検査のとき一番下の文字がやっと読める程度に悪くなっていた。
(後略)
(前略)
あれがナイーブといえるなら、水爆だって風船ガムみたいなものだ、と萌絵は思う。
(後略)
(前略)
しかし、こkにあるものは、その「過ぎない」という言葉に包含される理論的な、真理の崇高さであって、円周率と虚数と指数の関係を式化した単純な方程式に現れるような驚異だ。
(後略)
「(前略)あの目撃者ってのが、俺には信じられねえな。(中略)目撃者って名刺に書いてあんじゃねえのか
(後略)
「(前略)でも、人間って出世するほど無能になるからね」
「無能になったのですか?喜多先生も」萌絵は、喜多を見た。
「そりゃ、そうさ。無能にさせるために出世させるんだから・・・」
(後略)
(前略)
「言葉はね、言い方や、言い回しじゃない」犀川は萌絵に言った。「内容はちゃんと伝えないとね。それが、言葉の役目だから」
(後略)
(前略)「西之園君、底なし沼と普通の沼はどう違う?」
「底がないか、あるかですか?」
「底がない沼なんてない」犀川は言った。「僕の言っている意味がわかる?」
「わかりません」
「ようは、人間の幻想の有無なんだ」犀川はそう言って、頭の上で腕を組んだ。
(後略)
(前略)
「西之園君ね、二乗したら2になる数字は?」犀川は突然質問した。
「ルート2でしょう?1.4142135・・・、もっと言いましょうか?」(中略)
「それだけ?」犀川が言った。
「それだけて?」萌絵は犀川の言葉の意味がわからないようだ。
(中略)
「マイナスルート2を忘れているよ」
(後略)
(前略)
萌絵は犀川に近づく。二人は、数字の11よりも接近した。
(後略)
「(前略)他人に説明できて、理解してもらえるくらいなら、人を殺したりしない。そうではありませんか?」
(後略)
(前略)
自然界にあるものは、綺麗な結晶ほど強いのに・・・
人間だけはその逆。
人間は、クリスタルではない。
(後略)
(前略)「台風の進路だって、扇形に広がっているだろう?人間の進路はもっと広角だ」
(後略)
森博嗣「詩的私的ジャック」
詩的私的ジャック講談社ノベルス
詩的私的ジャック講談社文庫