守さんは僕の叔父さんに当たる人だ。父親の兄で、子供の頃から僕を可愛がってくれたものだ。何をしたというわけでもないのだけど、何だか一緒にいると楽しい気分になってくる人で、そんな守さんのことが僕は好きだった。
しかし守さんは、両親にとっては悩みの種だったようだ。守さんのことを気に入っている僕には直接そんな言葉を言ったことはなかったし、一緒にいるのを止めるように言われたこともなかったが、時折耳に入る言葉や、守さんに対する態度からなんとなくそんな印象を受けた。
確かに、そう思われても仕方のない部分はあった。
守さんは当時40歳に届こうかというくらいの年齢で、普通であれば働き盛りと言っていいだろう。しかし守さんが何か仕事をしていたような気配はまるでなかった。昼間から僕と遊んでくれることもあったし、お金がないのか僕の家でご飯を食べていくこともしょちゅうだった。普段どうやって生活していたのかは分からないが、しかし確かに当時はそんな大人の存在は特に珍しいものでもなかった。
守さんが、両親や周囲の人間によく思われていなかった一番の理由は、守さんがどんな時でもまったく喋らなかったからではないか、と僕は思っている。
病気で喋ることが出来ないというのではない。それは確かで、父親も昔は普通に喋っていたと語っていた。守さんが喋らなくなったのは、彼らの父親、つまり僕にとっての祖父が亡くなってからだということだが、そのショックで喋れなくなったとも考えられないのだという。何故なら、祖父は長いこと重い病気を患っており、家族の誰もがその死を覚悟していたからである。
理由はさっぱり分からないものの、守さんは祖父の死を境にまったく喋らなくなった。もちろん喋らなくなったことが原因で仕事も辞めたのだろう。僕とも、結局一度も会話を交わすことはなかった。必要があれば筆談をしたし、簡単な会話なら二人で決めた手の動きで充分意思の疎通は出来たから問題はなかった。しかし、僕との間では問題はなかっただろうが、普通の大人がまったく喋りもしないで普通の社会の中で生きていくことはやっぱり無理があるのだろう。そのせいで、守さんは周囲の人間から疎まれていたのだろうと思う。
今なら、守さんが何故喋らなくなったのか、その理由は嫌というほど理解出来る。まさかこんな理由だったとは、と呆れもしたが、呆れてばかりもいられないところが辛い。
守さんについての噂でもう一つ奇妙なものがあった。それは、変な物を食べている、というものであった。僕は一度も目撃したことはないのだけど、時折そんな噂が耳に入ってきた。曰く、土を掘って出てきたミミズを食べていたとか、飛んでいるハエを口に入れたとか、そういう話である。それを聞いた僕は、守さんにさらによくないイメージをつけようという悪意であると思っていたのだけど、今となってはそうではないことが分かる。確かに守さんは、ミミズやハエを食べていたのだ。
守さんが死んだ時の話をしよう。
守さんは時々僕に、自分が死んだらどうして欲しいかという話をしていた。別に重い病気を患っていたというようなわけでもないはずなのだが、守さんの目は真剣だった。いつも同じことを聞かされるのでもう覚えてしまっていたのだが、それでも僕は話の腰を折ることなく毎回きちんと聞いていたのだ。
それは、何とも奇妙なものだった。
要約するとこうなる。自分が死んだら、何としてでも死体を一番初めに見つけて欲しい。そうして、僕の口をこじ開けて欲しい。守さんは時折それを繰り返し僕に伝えた。守さんがどこで死ぬかも分からないのに、どうやって死体を一番初めに見つければいいのか僕には分からず、かといってその方法を守さんに聞けるような雰囲気でもなく、僕はそれを言われる度に困惑したものだ。例えば守さんが乗った飛行機が墜落したような時にはどうすればいいのだろうか。
しかしそうした悩みは杞憂に終わった。確かに僕は守さんの死体を一番初めに見つけることになったのだ。今でもこれは、どうしてそうなったのかさっぱり分からない。ただのめぐり合わせにしては、あまりにも出来すぎていると思った。
守さんは車に轢かれて死んだ。ちょうど僕の一つ前を走っていた車が守さんを轢き、そのまま逃げてしまったのだ。僕は当然車から降り、守さんの元へと駆け寄った。すぐにでも救急車を呼ぼうと思ったのだけど、どう考えても守さんはもう死んでいて、だから今が守さんの言い付けを実行する時なのだと僕は悟った。
守さんの口をこじ開ける。ちょっと抵抗はあったが、なんとか開くことが出来た。
そこには、一匹のカエルがいた。見たこともないくらい美しいカエルで、一目で僕はそのカエルに魅せられてしまった。
なるほど、守さんはこのカエルを口の中に飼っていたから喋ることが出来なかったのか、と閃き、それから守さんが喋らなくなったのが祖父が死んでからだということを思い出した。もしかしたら、守さんは祖父からこのカエルを受け継いだのかもしれない。そうとしか考えられなかった。
だとすれば、僕に出来ることは一つしかない。恐らく守さんが望んでいたのもこういうことなのだろう。
僕は守さんの口から引っ張り出したカエルを自分の口に入れた。舌の上にピッタリ乗っかったカエルは、すぐに僕の口の中に馴染んだようだった。何故だか僕にはそれが分かった。
それから救急車と警察を呼ばなくては、と思ったのだが、そこではたと気がついた。試しに何か声を出してみようと思うのだが、やはり喋ることが出来ない。困ったことになった。
しかしすぐにサイレンの音が聞こえた。どうやら誰かが電話をしてくれたようだ。先に救急車が現れ、それから少し遅れてパトカーがやってきた。
それから僕は警察に連れて行かれた。彼らは僕に事故の状況を説明させようとしたのだろうが、僕が何も喋らないのを訝って連行されることになったのだ。僕の車には人を轢いたような痕跡はないわけで、だから容疑者であると思われているのではないだろうが、しかし知り合いの誰かを庇っているのではないかという風に思われているのかもしれない。
それから僕はずっと警察署の中にいる。いつになったらここから出られるのだろう。
一銃「ヤドカリ」
毎回まあなんとかショートショートが書けています。相変わらず面白いものは書けませんが。なんとか続けていけそうな気がします。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は6編の短編が収録された短編集です。
「トカビの夜」
父親の事業の失敗から大阪へ移り住んだ私は、当時小学生だった。ゴミゴミした大阪の下町の文化住宅に住むことになった。
そこでは、同じ文化住宅に住む子供たちが性別や年齢関係なくいつも集まり遊んでいた。しかし、その輪に入れない子供もいたのだ。
それが、チュンジとチェンホという朝鮮人の兄弟だった。やはり外国人への偏見がかなり色濃く残っていた時代であり、子供たちも彼ら兄弟とはあまり関わらないようにしていた。
しかしある時僕は、弟のチュンホと仲良くなった。接してみるといいやつで、気があった。親にはあまりいい顔をされなかったけど、時々僕らは遊んだ。
しかしそのチュンホが死んでしまったのだ。泣き喚く家族をよそに、文化住宅では奇妙なことが起こる。幽霊の目撃談が相次ぎ、それがチュンホなのではないかと皆怯えるようになったのだ…。
「妖精生物」
私がその妖精生物を買ったのは、高架下にいつもいる物売りのおじさんからだった。水が一杯に入ったビンの中でクラゲのようにたゆたっているその生き物は、おじさんが言うには魔法使いが昔作った生き物なんだという。何故かは分からないけどものすごく気に入った私は、その妖精生物を買ってしまった。
それからその妖精生物を飼っていたのだけど、この生き物は手のひらに乗せると何とも奇妙な感じになる。なにやら悪いことをしているようで変な気分になったのだが…。
「摩訶不思議」
ツトムおっちゃんというのはお父ちゃんの弟で、僕の叔父である。そんなおっちゃんがある時死んでしまった。葬式に出て、霊柩車でおっちゃんは運ばれて行ったのだけど、火葬場に辿り着く直前で奇妙なことが起こった。
車が動かなくなってしまったのである。
エンジンも掛からないし、後ろから押しても動かない。仕方ないから棺を出してしまおうという話になったのだけど、何でかドアが開かない。おっちゃん、最期まで手間掛けさせるねぇ…。
「花まんま」
妹のフミ子は、ある時を境に何だか変わってしまった。それまではすごく可愛かったのだけど、ある時高熱を出して以来、別人のようになってしまったのだ。奇妙な行動を取るために家族を困らせ、結局僕が妹を始終監視していなくてはいけなくなった。まったく、長男っていうのは本当に損な役回りだよ。
そんなフミ子がある時変なことを言い出したのだ。自分の前世は繁田喜代美という女性で、彦根という場所に住んでいるというのだ。元エレベーターガールで、21歳で刺し殺されてしまったのだ、と。そして妹は言う。一生のお願いだから、私を彦根まで連れて行って…。
「送りん婆」
大阪の下町にあったある横丁に住んでいた私は、あるきっかけで送りん婆と呼ばれるおばあさんの手伝いをすることになった。
そのおばあさんはその方面では有名な人のようで、一方では頼られ一方では恐れられている、そんな人だった。
送りん婆とは、生きている人間を殺す呪文を知っている人のことである。
送りん婆はその呪文を、大抵苦しんでいる病人に使った。そして私はその手伝いをしていたのだ。おばあさんは私を後継者にするつもりだったみたいだけど…。
「凍蝶」
子供の頃、何故か自分が周囲の人間から避けられていることを知った。当時はそれが何故なのか自分では分からなかったのだが、要するにそういうよくない出自の家だったということなのだろう。友達が出来ることはあっても、長くは続かず、結局いつも一人ぼっちでいることが多かった。
ある時転校生の男の子と仲良くなったのだけど、しばらくするとその子も友達ではなくなってしまった。
そんなある日、ミワさんという女の人と出会った。特に理由もなく墓地にやってきた僕と鉢合わせたのだ。それから毎週水曜日、高校生だというミワさんは小学生の僕と喋ったり遊んだりしてくれたのだけど…。
というような話です。
相変わらず朱川湊人はなかなかいい作品を書きます。本作は直木賞受賞作で、朱川湊人を一躍有名にした作品でもあるでしょう。
一番好きな話は表題作でもある「花まんま」です。これは終わり方が非常にいいですね。前世の自分の家族に会いに行こうという話なんですけど、兄である主人公に家族には直接会うことは禁じられるわけです。そんな中で妹がその家族にメッセージを送るわけですけど、なるほどなかなかいい話じゃないかと思いました。
あとは「摩訶不思議」も結構よかったですね。なんていうか、ツトムおじちゃんの往生際の悪さが馬鹿馬鹿しくてなんとも言えない感じでした。最後の展開はこんなんありえるんかな?と思ったりしましたけど、まあ女性というのはなんとも分からないものですからね。
まあ全体的に結構いい話なんですけど、でも僕としては「いっぺんさん」とか「都市伝説セピア」とか「わくらば日記」とかの作品の方がいいかなと思いました。というのも、これまで僕が読んだそれらの作品はどれも、最後のオチがなかなかスパッと決まっていたのに対して、本作では話のオチの切れ味がちょっとなぁと思う作品があったからです。「妖精生物」や「凍蝶」なんかは、話自体はいいと思うんですけど、やっぱ最後がちょっとぼんやりしてるなという感じがしました。僕の中では朱川湊人という作家は、ノスタルジックな作風とオチの切れのよさがミックスされた作品を書く作家という認識だったので、ちょっとだけそういう意味で評価は落ちるかなという感じです。
しかし相変わらずノスタルジックな雰囲気を醸し出すのはうまいですね。僕にはあまり馴染みのない大阪を舞台にして、また同じく僕には馴染みのない時代を描いているんですけど、なんとなく懐かしいという気分にさせてくれる作品だなと思いました。大阪の下町というゴミゴミした感じや、その時代のおおらかな雰囲気なんかがよく描けている感じがしました。
朱川湊人の作品で一番に勧める作品ではないですけど、なかなかいい作品だと思います。ゆったりとした不思議な話を読みたいという人にはいい作品だと思います。
朱川湊人「花まんま」

花まんまハード