何度目かの問いかけを娘の真奈美にする。この瞬間が一番緊張する。少しでも時間を先延ばしにしたいという思いがやはり強いのだろう。自分では笑顔を作っているつもりだが、やはり少し強張っているかもしれない。いかんいかん。真奈美の前では笑顔でい続けなくては。
「うーんとね、ゾウさん!」
ホッとする。まだ真奈美と一緒にいられる。そう思ったら、肩が少しだけ軽くなった。いつの間にか肩に力が入っていたらしい。真奈美と二人っきりの旅行だっていうのに、と苦笑する。
「よし、じゃあ動物園に行こう!」
「おー!いこー!」
真奈美は電車の窓に張り付いて外をずっと見ている。外に見える看板を読んだりもする。ただ、まだ漢字は難しいからひらがなだけだが。そういえば、真奈美はほとんど電車に乗ったことがなかったかもしれない。どこかに出かけるといえば大抵車だった。真奈美は必ず運転席の後ろの席に座って、対向車に手を振っていつも遊んでたっけ。今だって、反対の線路に電車が通る時は手を振っている。
「パパ、車は?」
真奈美がこっちを向いて問い掛ける。思考を読まれたようでドキッとする。
「電車は嫌い?」
「好きー。でもお車も好きー」
「そっか。でもそれはまた今度ね。しばらく電車ね」
「りょーかいっ」
そういって敬礼の真似事をする。そんな真奈美の姿を見ていると泣きそうになってしまう。自分の決断が揺らぎそうになってしまう。
車はもう持っていない。ついこの間、事故で失ってしまった。修理のしようもないほど無残な形だった。あの事故のことを思い出すと今でも身体が震えてしまう。
「パパ、どうしたの?」
真奈美が心配そうな目でこちらを見ている。どうやら深刻な顔をしていたようだ。いかんいかん。笑顔笑顔。
「何でもないよ。シロクマさんいるかなぁ」
「シロクマさんいるかなぁ」
真奈美が一番好きな動物は象だが、その次に好きなのがシロクマらしい。でかくて迫力のある動物が好きなのだろう。ただどっちも図鑑やテレビでしか見たことがない。本物を見ることができたら喜ぶだろう。
そうやって真奈美と会話をしながら、事故の記憶を追いやろうとした。真奈美の笑顔を見ていると、嬉しくもなり、同時に哀しくもなる。電車は休むことなく車輪を動かして、そして目的の駅に辿り着いた。
バスに乗って、動物園まで行く。真奈美にはバスも珍しかったようで、何度もボタンを押しそうになってそれを止めるんが大変だった。
「ゾウさんだー」
真奈美は動物園中を駆け回るようにして動き回った。初めてちゃんと見る動物たちを前に興奮しているようだ。猿山の前で猿の物まねをしたり、ふれあい牧場で山羊を触ったり、えさをあげちゃダメなのにあげようとして止めたりと大忙しだった。
シロクマの前で、その大きさに目を輝かせていた真奈美は、ポツリとこんなことを言った。
「入院してるママにも見せてあげたかったね」
考えまいとしていた事故の記憶がまた蘇ってくる。
妻は買い物に行くのに一人で車を運転していた。ガードレールに突っ込み、車は大破していた。事故の原因は未だによくわかっていない。雨は降っていたけど妻はかなり熟練のドライバーだったし、人が飛び出してきたりと言ったようなこともなかったようだ。
もちろん、妻は助からなかった。会社で知らせを受けた時、既に妻の命はなかったらしい。とりあえず家に戻り、真奈美を近所の方に預かってもらい、病院で冷たくなった妻と対面したのだ。
その時点で人生が終わったと言っても間違いではない。葬儀を済ませた後、何もかもやる気が出てこなかった。娘は妻の実家に預かってもらい、自分は仕事にも行かず家にいた。娘には、妻は入院していると伝えた。
妻の死から1週間後、やっと決断をして、真奈美とこの旅行に出かけているのだ。
駅へと向かうバスの中で、また真奈美に聞く。
「マナ、次はどこに行きたい?」
「うーんとね、ママのとこ」
表情を変えないようにするのが精一杯だった。ついにこの時がやってきてしまった。
「分かった。お母さんのとこに行こうか」
妻の待ってる天国に、一緒に。
一銃「次はどこに行きたい?」
さて毎回言っている気がしますが、この小説もどきを書くのは結構大変なんです。2000字にも届かない分量の話だし、自分でも面白いなんて全然思ってないんだけど、それでも書くのに苦労しますね。だから今ちょっと考えていて、2月になったら前のスタイルに戻そうかなとか、奇数月だけ小説もどきを書いて、偶数月は前のスタイルに戻そうかなとか。これを1年ずっと続けるのはやっぱ無理そうな気がします。まあ読んでる方としても面白くないでしょうしね。さてどうしたものかな。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は7編の短編を収録した短編集になっています。
「さようなら、そしてこんにちわ」
葬儀屋に勤める陽介は、日々ご遺体と向き合いながら淡々と仕事をこなしている。新興の葬儀屋に押されて業績は悪くなっている。ふんばらなくてはいけない。
陽介には身重の妻がいて、もうすぐ子どもが生まれそうなのだ。日々、まだ生まれてもいない娘の将来を夢想してしまう。一方で人の死を扱いながら、一方でもうすぐ生まれてくる子どもを待ちわびている…。
「ビューティフルライフ」
父さんが突然、田舎で暮すぞと宣言する。母さんも既に同意しているようだ。夢想がちな母親には、ものすごいイメージが展開されているんだろうけど…。
住み始めた家ではトラブル続き。周りにお店が全然ない、携帯の電波が入らない。床下に何かいる、水洗便所じゃない、虫がうようよしている…。姉ちゃんはもう東京に帰りたいって言うし、母さんもイメージとは大きく違う生活にうんざりしているようだ。でも僕は知っている。父さんが突然引越しを決めた理由が僕にあるってことを…。
「スーパーマンの憂鬱」
孝司はスーパーの非生鮮部門の係長だ。大きな店ではないから、非生鮮部門全般について一人でやらなくてはいけない。発注数を決め、POPをつける。
最近では、健康系の番組で取り上げられる商品がバカにならない売上になる。だから家に帰ってからも、娘に面白くないなんて文句を言われながらも、主婦に人気のある健康系の番組をチェックする。それでもなかなか巧くいかない。ライバル店が番組の特集にばっちり合った品揃えを毎回していることもプレッシャーだし…。
「美獣戦隊ナイトレンジャー」
今日は金曜日。週に一回、カズマに会える日。家事なんかほったらかして、早く準備しないと。とにかく、息子をテレビの前になんとかして座らせないと。ぐずる息子をなんとかテレビの前に座らせて、テレビをつける。
チャンネルは「ナイトレンジャー」に合わせる。いつの世もある戦隊モノだ。最近の戦隊モノにはイケメンの男がたくさん出てくる。カズマはその中の一人だ。でも、いろいろあってなかなかカズマの姿を見続けることが出来ない。しかももうカズマには会えなくなってしまうようなのだ!あぁ、カズマ。どうしたらあなたに会うことが出来るの…。
「寿し辰のいちばん長い日」
寿し辰の主人である松崎辰五郎は、始終不機嫌な顔をしている。元からそういう顔だが、自分の店がまったく流行らないのが無性に腹立たしい。腕はちゃんとしている。しかし客には恵まれない。カスばっかりだ。
辰五郎は昔ながらの寿司屋の大将を目指している。間違った食べ方をする客を叱り、時には客を追い返すくらいのそんな大将にだ。しかし、なかなか現実は巧くいかない。
そこに一人の客がやってくる。注文の仕方やその仕草を見ていると、どうもマスコミの人間っぽい。グルメ評論家というやつだろうか。よし、これは宣伝になるかもしれない。ここは一つ頑張ってやろうか…。
「スローライフ」
スローライフの料理家としてもてはやされるようになった美也子は、慣れない原稿を書いている。今日は7時から対談もある。今日中に書かないといけない原稿は書き終わるはずがない。明日はテレビの収録がある。しかしそこに一本の電話。そのテレビ局からだった。なんと収録は今日だという。一日勘違いしていたのだ。まずい。食材も足りない。ハーブも摘まないと。あぁ、一体私は何をしたいのだろう…。
「長福寺のメリークリスマス」
長福時の住職として寺を切り盛りする覚念。日々葬儀に読経となかなか忙しいものだが、妻と娘がどうしてもクリスマスをやりたいとこちらも忙しい。寺の人間がクリスマスをやるわけにはいかないだろうと説得しようとするも、なかなか納得してもらえない。
でも、まあいいかと思った。ホームセンターでツリーを買ってやろうではないか。仏の道を捨てたわけではない。しかし、妻と娘を満足させてあげることも大事なことのはずだ。よし、クリスマスをやろうか…。
というような話です。
荻原浩らしさが存分に発揮された作品だと思います。荻原浩は結構どんな話でも書ける作家ですけど、家族とか仕事みたいなものを扱った作品を書くと、なんとなく重松清っぽい雰囲気が出るなと思います。まあ重松清のシリアスさをユーモアに置き換えたような作風ですけど、家族というものをうまいこと捉えているようなそんな感じがします。
本作は帯に「いっしょけんめい翻弄される人々」とあって、確かにどの話も翻弄される人々の話が書かれています。時代に翻弄されるというような大きな話ではなく、家族とか仕事とかそういうちんまりとしたところで振り回される人々を描いています。
僕が好きなのは「ビューティフルライフ」と「スーパーマンの憂鬱」です。
「ビューティフルライフ」の方は、ホントこんな両親だったら子どもは大変だよなぁ、と思いながら読んでいました。正直都会で生まれ育った人間にとって、田舎に住むというのはなかなかハードルの高いことだと思います。逆はまだなんとかなると思うんですよね。田舎から都会っていうのは。でも都会の便利さになれてしまうと、田舎の生活というのはどこまでも不便に感じられてしまうでしょうね。田舎での生活は悪くないと僕も思いますが、でも僕も田舎で暮すのは結構無理だろうなと思います。めんどくさがり屋人間にはやっぱり都会の方が合っています。そうやっててんやわんやになりながらも、なんとか家族がまとまろうとしている(あんまりまとまってないけど)というのもなかなかよかったと思います。
「スーパーマンの憂鬱」の方は、同じく物を売る仕事をしている立場の人間としてなんか共感するものがちらりとあったりしました。僕の場合は本ですが、本というのも何かで紹介されることで突然売れたりすることがあって、それを追いかけるのは大変ですね。本作ではとりあえず健康系の番組を見ていればなんとかなる感じですが、本の場合はどこからベストセラーが生まれるか分からないのでなかなかチェックしきれないと思いますね。なんて言いながら、書評が載ればその本が売れると言われている朝日新聞をそもそもチェックしていないので大きなことは言えないんですけどね。あぁ、もっと努力しないとだなぁ。
他にも、「寿し辰」の主人が滑稽だったり、「ナイトレンジャー」の由美子みたいな女性は世の中に結構いるんだろうなと思ったり、「長福時」の寺の人間がクリスマスをやるのかなんて考えたことなかったなぁとか、結構どの作品も面白く仕上がっています。生きていくっていうのは大変だけど、でもその大変さの中にも時々いいことがあるじゃん、みたいな風に感じられるんじゃないかなと思ったりします。
荻原節全開の作品です。なかなかいい作品だと思います。読んでみてください。
で、ふと思ったことで、最後にもしこのPOPをつくるとしたらどんな文章にするかっていうのを書いておこうかなと思ったりしました。いつもPOPを作ろうとする時はその本を読んで大分経ってからということが多いので、なかなかPOPのフレーズが出てこなかったりします。なんで、読んだ時にPOPのフレーズを考えてここに書いておけば、いつか書くことになった時に便利かな、と。というわけで自分用のメモみたいなものですね。
『昨日までの自分、さよなら
そして、
明日からの自分、こんにちわ』
『生きていることって、
些細なことの積み重ねで出来上がっているんだなって、
改めて思い直すことの出来る作品だと思います。』
『誰もがちょっとずつ「うまくいかないなぁ」って思いを抱えてて、
その不器用さが何だか人間らしく思えてきます。
今日間違えたって、今日恥ずかしくたって、今日情けなくたって、
それでもまた真っ白な明日は来るんだしね、って思って痛いですよね。』
荻原浩「さよなら、そしてこんにちわ」

さよなら、そしてこんにちわハード