死んだ人間が蘇る、という設定は、それなりによくある設定でしょう。僕の知っている範囲で最近の例だと、「黄泉がえり」や「いま、会いに行きます」などの映画もそういう設定だったような気がします。もちろん過去に遡ってみてもそういう作品はあることでしょう。
しかし、その設定が、「純粋な」ミステリに与えられた場合、こうまで物語が特殊になるんだな、と驚かされる作品です。
とりあえず、内容を紹介しましょう。
トゥームズヴィル(墓の町)と名付けられた、ニューイングランド郊外の町。そこはバーリーコーン家が営む「スマイル霊園」という葬儀屋で成り立っている町であり、その名前と共に「死」に彩られた町である。
その一帯で、奇妙な話が持ち上がることになる。一度死んだ人間が蘇るというのだ。ニュースでも取りあげられるほどで、次第に世界は、「死者の蘇り」という事実を受け入れなければならなくなってくる。
そんな状況の中、バーリーコーン家の当主スマイリーの遺産分配の関係で集められた一族。その中には、バーリーコーン家から飛び出してきた父を持つ、日本人の血も持つグリンもいた。キリスト教を一心に信じる者、エンバーミングという、アメリカの葬式ならではの技術のプロ、愛人やらその娘、演出家を目指す者、「死」を研究する博士、そうした極めて変わった人間達がバーリーコーン家に集まっていた。
そんな中、当主スマイリーの死を待たずして、なんとグリンが毒殺されてしまう。「生ける屍」として蘇ったグリンは、自らの死の真相を暴くべく、自分が死んでしまっていることを隠しながら調査に乗り出すが、スマイリーの死と前後して霊園内で死者が相次ぐ。
死者が蘇る、という世界の中で、人を殺すということにどんな意味があるのか?蘇ったはいいが、肉体の腐乱を防ぐことの出来ないゾンビ探偵グリンは、自らの肉体が朽ち果てるまでに真相を掴むことはできるのか・・・
という感じです。
「死」というものに真正面から向き合った作品です。あらゆる宗教・文学・歴史・医学などの知識をふんだんに織り交ぜながら、独特の「死生観」を築き上げていく。変わった人間達がドタバタを繰り広げていくことで物語りは進んでいくけど、常に意識されているのは「死」というものの存在です。
「死」とは一体なんでしょうか?今までも、あらゆる人々が「死」を恐れたからこそ、宗教を創造し、文学を物し、医学を発展させてきたわけです。避けがたいもの、恐れられているもの。常にそうした「悪しきもの」として捉えられているでしょう。
この作品のスタンスがどう、だとかはよくわかりません。常に中立で、様々な意見を織り交ぜることで、重層的な死生観を描き出しているように思います。
この作品の、他の作品にはまずありえない点としては、「死者の心理」というものが非常によく反映されている、ということです。死んでしまって、しかし蘇ってしまったものが、一体何を考え行動するのか、そうした点はかなり興味深いです。
この作品は、とにかく設定が緻密です。もちろん「トゥームズヴィル」という町は存在しないだろうけど、その町の名前の由来や町の歴史なども、かなり遡って設定されているし、またあらゆるジャンル(解説あらそのまま抜き出せば、「ロック、映画、哲学、宗教、精神分析、サイエンス、オカルト、アメリカ史、現代風俗、その他もろもろのありとあらゆる境界領域にまたがる百科全書的ペダントリー」だそうです)の知識があちこちにちりばめられ、「死者が蘇る」という世界とは違う、とてもリアルな「世界」を作り上げています。
しかも、「ミステリーのルツボ」と呼んでもいいほど、ミステリのあらゆるネタが詰め込まれています。それこそ選り取りみどりで、僕は詳しく知らないけど、古典ミステリへのオマージュにもなっているようです。
山口雅也氏は、ワセダミステリクラブ在籍中からミステリの評論で有名で、その氏がデビュー作で越えてみせたハードルがこの「生ける屍の死」です。最近、「デビュー作とは思えない云々」という言葉をよく使っているような気がするけど、本当にデビュー作とは思えない出来です。
昔からミステリが好きで、自宅の書庫が一杯になるぐらいの蒐集家でもあるようですが、その氏だからこそ描けた作品だと言えるでしょう。
「何故、死者が蘇る世界で殺人という行為を繰り返すのか?」
これに対する論理の見事さが、そのまま作品の質になっていると思います。この謎だけでも長編はきっと書けてしまうのに、それ以上にありとあらゆるものを詰めに詰め込んだ作品。多少長いけど、読んでみる価値はあると思います。
山口雅也「生ける屍の死」
生ける屍の死創元推理文庫