2005年03月04日

川の深さは(福井晴敏)<再読>

「あなたの目の前に川が流れています。深さはどれくらいあるでしょう?1、足首まで。2、膝まで。3、腰まで。4、肩まで」

僕たちは、ある部屋の中に生きている。それはもはや「箱」と呼んでもいいような密閉された空間だ。僕たちはその中に生きている。
僕たちはその空間から外に出ることは出来ない。出入り口はなく、唯一一つだけある「窓」からは、しかし外の景色そのものが映るわけではなく、テレビのように、虚構と合成された「真実」、大多数が納得できる形に加工された「真実」、偽りという別名を持つ「真実」が映るだけである。
ただ、その生活に「不自由」の文字はない。壁や床を始めとする内装は豪華で、生活に必要なものは何でも揃っている。どこからともなく食事が現れ、暇があれば「潰す」ための娯楽が用意され、ふかふかのベッドで寝る。そんな、自由がありすぎる、という意味でしか「不自由」を感じることのない生活。僕たち日本人は、こうした、何も考えず、何も知らず、生きるためだけに生き、自分のためだけに生きる、という生き方をしている。そう、それしか知らないのだ。
福井晴敏がこの作品を通じてしようとしたこと。一つは、その部屋の壁全面を鏡張りにしたことだ。自分の姿を見ろ、とばかりに映し出されるその「醜い」自らの姿は、自分という同位置の視点に晒され、その「醜さ」を実感する。無駄なものばかり蓄え、何一つ魅力的に映らない、もはや人間の形すらしていないかもしれないその姿に、僕たちは驚くことになる。
そしてもう一つ。床をガラス張りにしたことだ。自分の下に流れる川がどのくらい深いのか。そして、その深さの先にある底に、どれだけの汚濁が澱んでいるのか。それを僕たちは知らされることになる。
あるいは、床そのものを、底なしの川に変えたのかもしれない。努力をしなければ、見てしまった自らの姿を変えようと努めなければ、そのまま底なしの川に引きずり込まれ、そう、底に溜まる汚濁と同化するしかない。僕たちに選択を迫っている。
マル暴刑事からしがない警備員になった桃山。管理ビル周辺の、ささやかとは言いがたいいざこざに巻き込まれたその日、あっけなく管理ビル内に侵入しきた男女。応急処置ではどうにもなるはずのない傷を抱えた男と寄り添うようにして健気に支える女。刑事を辞めてからというもの、腑抜けたような生活を続けていた桃山は、二人の、特に男の在り方に何かを感じ、外のいざこざとの関連を察しながら通報することなく、二人を匿うことに決めた。
「おれは、葵を守る。それがおれの任務だ」そう言い切って憚らない男、増村保。ただそれだけのために、己の論理も感情も行動も全て構築できてしまう保は、心を通わせ初めた桃山の元を突然去ってしまう。空虚さを埋めるために始めた行動で桃山は、抜け出すことの出来ない、深い深い川の中に足を踏み入れることになっていく・・・
オウム真理教の地下鉄サリン事件を元にした地下鉄爆破事件。その奥に、テレビを覗いても見えてこない闇を見出し、活字の行間にすら隠されていない真実を炙り出す。「真実」が作られていく過程をまざまざと見せ付ける福井。今もどこかで行われているかもしれない、特定の誰かのためだけに行われていること。日本という、何かを失い続け、もはや初めから持っていたのかすら疑わしくなっているこの脆弱な国を、小説という形で尻を叩こうとしている福井の思想には、考えさせられるものがある。
その中にあって、一人の女性を「守る」ためだけに全てを費やす男。世界を拒絶し、愛する者だけを抱えた世界そのものを守るために、男は戦い続ける。その純粋さが、それを持たない僕には悲しく突き刺さるようでもある。
鏡に変えられた壁に映された自らの姿。努力すれば彼のように生まれ変われるかもしれない。それが希望になる。
デビュー作は「Twelve Y.O.」だが、実質上の処女作であるこの作品は、執筆順で言えば後の「Twelve Y.O.」や「亡国のイージス」に繋がるある設定の登場という位置付けでもある。鏡に映る自らの姿を見るほんのわずかな勇気が、あなたをきっと変えることでしょう。

「これはね、あなたの情熱度を表しているの。足首までって答えた人は、あんまり情熱のない人。膝までは、あるにはあるけどいつも理性の方が先に立つ人。腰までは、なんにでも精力的で、いちばんバランスの取れている人」
「肩まではどんな人だい?」
「情熱過多。暴走注意、だって」

福井晴敏「川の深さは」


川の深さは

川の深さは講談社文庫

 

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この記事へのコメント
はじめまして。福井さんの公式ページとリンクさせていただいています。skywalker14と申します。

当サイトにて「ローレライ公開前夜祭」と名して映画「ローレライ」についてのコメントを大募集しています。

こちらのページ熱いですね!ぜひ、当サイトのもその熱でコメントをお寄せいただけたらと願っています!よろしくお願いいたします!

http://plaza.rakuten.co.jp/skywalker14/

ローレライ最高!
Posted by skywalker14 at 2005年03月04日 18:17
コメントありがとうございます。

ローレライ、明日(日付的には今日ですけど)ですね。どんな評価になることやら。やっぱり原作の方がいい・・・とはならないことを祈ります。

コメントは、苦手だけど、頑張ってみます。
Posted by 通りすがり(管理人) at 2005年03月05日 02:17