「は〜い」
「初めまして、わたくしシュシュコレクトという会社の者なんですが」
「保険ですか?保険は間に合ってますので」
「いえいえ、保険ではありません。今日見て頂きたいのは、わが社の新しい商品でありまして」
「あんまり時間はないから手短にね」
「承知しております。今回ご紹介させていただくのは、『あ』です」
「『あ』ですか?」
「そうです。ご存知でしょう?あのひらがなで有名な『あ』です」
「そりゃあもちろん知ってますけどね」
「わたくしどもはこの度、様々な『あ』の開発・蒐集に着手いたしまして、ようやくそれを商品として販売できる見込みが立ちましたので、こうしてご訪問させていただいています」
「なるほど。で、どんな『あ』があるんですか?」
「そりゃあもちろん、ありとあらゆる『あ』が揃っております。一例を申し上げますと、発音すると『い』に聞こえてしまう『あ』ですとか、夏目漱石が初めて書いたと言われる『あ』ですとか、世界でもっとも小さな『あ』ですとか、それはもう様々なものを取り揃えております」
「それは素敵ね!ちょっと興味が湧いてきたわ。他にはどんなものがあるの?」
「わたくしのイチオシはですね、こちらですね。ほら見てください、この曲線美。まさにこれ以上ないと言っても過言ではないほどの美しさを兼ね備えているとは思いませんか?」
「ホントね!こんな美しい『あ』は見たことがないわ」
「『あ』のありとあらゆる箇所に黄金比を適応させました『黄金のあ』という商品でして、多くの方にご好評いただいております」
「なるほど。それから他には?」
「例えばこちらはですね、水に浮く『あ』です。ほらこうしてコップに水を入れて中にこの『あ』を入れると…」
「あらホント!浮いてるわ。すごいじゃないの!」
「世界に1000羽しか残存していないと言われる超貴重種であるザブラミンゴという鳥の羽毛を使用した『あ』でして、大変貴重なものとなっています」
「ますます素敵だわ!本当にどんな『あ』でもあるのね」
「わが社としても、社運を賭けた企画でありますから、かなり頑張らせていただきました」
「でも私が欲しいのはそんな『あ』じゃないのよねぇ」
「といいますと」
「私が欲しいのはね、今まで誰も見たことのない『あ』なの。それが手に入るなら、多少高くてもお金は出してもいいわ」
「誰も見たことのない『あ』ですか…。それは難しいですね」
「それがね、実はそうでもないの」
「どういうことですか?」
「その前に、ちょっと待ってね…。えーっと、あったあった、これこれ。この錠剤をちょっと飲んでくれませんか?」
「それが何か関係あるんですか?」
「もちろんよ。ほら、誰も見たことのない『あ』を見たいでしょ。だったら早く飲んでちょうだい」
「わかりました…。これでいいですか?っ、えっ、えーあーっ…」
「ごめんなさいね。その錠剤は、人間を『あ』に変えてしまう薬なの。一人ひとりの個性に合った『あ』になるから、誰も見たことのない『あ』になるのよ。ふー、でもやっとこれで6個かぁ。コレクターの道は長いわねぇ」
一銃「あ」
自分でも、今回の話はちょっと意味不明だな、と思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作はなかなか面白い視点の本で、こういう本は今までなかったように思います。
著者は現在書店や出版のコンサルタントをしているそうですが、かつては書店の店長でした。その書店員という視点から、書店営業はかくあるべし、という指針を示した本ということになります。
営業について書かれた本というのは世の中にたくさんあるような気がしますが、その大半は営業マン自身が自身の経験を元に書いているものばかりだと思います。もちろんそれが悪いとは言いませんし、ノウハウを伝えるという意味ではいいんでしょうけど、でも確かに、営業をされる側の視点から、営業にはこうあって欲しい、という提言が書籍という形でされることはほとんどないような気がします。そういう意味で本作は、非常に面白い視点の本だなと思います。
著者は自身でも宝石の営業をしたことがあるようで、書店営業ではありませんが営業という仕事を知らないわけではありません。そういう意味でも、本作のようなコンセプトの本を書くのにうってつけの人だったのだろうな、と思います。
内容としては、まあ僕が書店員だからということもあるかもしれませんが、至極当然のことが書かれているように思いました。元書店員が、書店員だった頃の立場で書いているので、書店員である僕が納得出来るというのも当然かもしれませんが。
また、結構昔の話ですが僕は心理学的な本をちょっとだけかじったことがあって、そういう部分と照らし合わせてもごくごく当たり前のことを言っているように思いました。
とにかく本作で著者が主張していることは、書店員というのは忙しいのだ、ということです。もちろん、ありとあらゆる業種の人が忙しいのだと思うし、書店員だけが並外れて忙しいなどと僕も言うつもりはありませんが、しかし現状で書店員というのは妥当と思われるキャパシティを大きく逸脱した忙しさの中にある、ということは正しいと思います。
著者の視点からすると、現状の書店営業というのは、書店員の忙しさというものをあまり考えていない風に映るわけです(まあそれについては僕も賛成です)。もちろん本作で著者は、書店員というのはちょっと間違った方向に頑張りすぎているために忙しいのだ、というようなことも書いていますが(確かにそれも正しいと思います)、しかし書店員が正しいかどうかはとりあえず問題ではない、と著者はいいます。正しいかどうかは別として、書店員というのは現状で忙しいのだから、なるべくそれに合わせようではないか、ということです。営業の人からすれば、それぐらいやってくれよとか、何でそんなことこっちがやらないといけないんだ、というような意見もあるだろうと書きつつ、でもそう言わずとりあえず書店員に合わせるのがいいんじゃないか、と書いています。まあ確かに書店員の立場としてはそうだな、と思いました。
もちろん営業の人だって、一人で無茶苦茶広い地域を任されているわけで(大手の出版社でも、営業の人間というのはかなり少なかったりします。小さな出版社だと、数人の営業マンで全国をカバーするなんていう、明らかに無茶なことをしているのも知っています)、お互い大変なのは分かっていますが、それでもやっぱり書店員としては、こちらに合わせてくれる人がいれば優先したくなるのは人情ではないかと思います。
僕のいる店にも営業の人が来てくれますが、まあ確かにいろんなタイプの人がいます。オドオドビクビクしてたり、ものすごく腰が低かったり、逆にものすごく高圧的だったりと様々で、いろんな人がいるなぁ、と思います。
僕は、結構営業の人に寛容だったりします。寛容という言い方はおかしいですが、来てくれるならまあ注文してあげようかと思うタイプだったりします。もちろん断るものは断りますが、基本的にはまあ注文しようかなというスタンスでいたりします。だから営業さんからすれば楽なんじゃないかなとか思ったりします。
ただやっぱり、うまく提案してくれる人とそうでない人では注文しようという気持ちにも差が出ますね。営業さんによっては、これを仕掛けたいから協力して欲しいというような人もいれば、出版社がオススメだというものをただ勧めてくるような人もいて、もちろん前者の方が売ってやろうという気にもなります。
あとは、やっぱり本を読んでいる営業さんとは長く話をしてもいいなとか思ったりします。営業さんによっては、「最近読んだ本で面白いのは何でした?」みたいなことを聞いてくれる人もいて、そうなると時間がなくても話をしようとか思ってしまいます。逆に、これが面白かったですよ、なんて他社さんの本でもいいからオススメしてくれると、なんとなく嬉しくなったりしますね。
あと、本作ではこういうのはあんまりよくない、と書かれていましたが、僕は営業さんが自社の本を「あんまり面白くなかった」というのはいいと思っています。本なんて、万人に受けるわけじゃないんで、ある個人がつまらなかったと言っても、別の個人が面白いと思うことは十分にあるわけです。僕も、自分では到底受け入れられないようなつまらない作品が無茶苦茶売れたりして、初めの内はなんだかなぁ、という感じでしたが、今では全然平気です。だから、営業さんが「つまらなかった」と言って自社本を悪く言うことを否定する気はなくて、逆に書店員に勧めようとしている本を自分でも読んでいるという事実に好感を持ったりします。
なので、まあ本作に書かれていることがすべての書店員に当てはまるということはまあないのでしょうけど、ある程度参考にはなるだろうとは思います。
営業さんの一人に、ちょっと前に文庫の新レーベルを立ち上げた出版社の方がいて、その人が意見を聞くために結構よく店にきます。注文を取りに来るのではなく(注文を取っていくこともありますが)、メインは意見を聞きに来ることで、正直なところこっちとしては時間がないんだけどなぁ、とか思ったりします。ただ、やる気があるのは分かるし、どう活用されるかは分からないけど意見を吸い上げてもらえるのは悪くないので、いつもなるべくちゃんと対応するようにしています。
ただ、その人の意見の聞き方が漠然としすぎていて結構困ったりします。大雑把に言ってしまえば、「何か意見はありませんか?」という質問しかしないんです。だから僕はいろいろ考えて無理矢理意見をひねり出したりするんですけど、でももっと具体的に、「これこれについてはどうですか?」みたいなことを聞いてくれる方が答えやすいんだけどなぁ、とか思ったりします。
あと、これは営業さんには直接関係ない話なんだけど、僕個人の話でして、僕はもう人の名前をまったく覚えられない人で、今来てくれている営業の人の名前は一人も分かりません。これはいつも酷いなと思っているんですが、ダメですね。努力すれば覚えられるんでしょうけど、でも既に何度も来てくれている人に、「名前を覚えていないんで教えてもらえませんか?」というのも気まずいし、そうするといつまでも名前がわからないということになります。
でも、営業の人とというのはものすごく間隔を開けて来るようなことも多くて(半年に一回とか)、そうなると営業の人が新しく来ても、この人は頻繁に来てくれるかどうか判断できないので、名前を覚える気になれない、というのもあります。で、あぁこの人は頻繁に来てくれるんだ、ということが分かってからではもう名前を聞くチャンスはないということになるわけですね。
だから僕のささやかな希望としては、注文書なんかに営業さんの名前の判子とか押してもらえるといいですよね。もちろんこんなこと、そもそも僕が努力をしろや、という話なんですけど、まあそうしてくれるとこっちも助かるなぁ、みたいな感じです。営業の人が来るたび、いつもあなたの名前覚えてないんですけどねぇ、と心の中で申し訳なく思っております。ウチに来てくれる営業の方、すいませんです。
本作には、『書店業界あれこれ』というコラムもいくつか載っていて、それもなかなか面白いです。要するに、書店を含めた出版業界がいかに破綻したビジネスモデルとなっているか、を書いていて、まあ現場にいる僕としても、確かにそうだよなぁ、と思わないでもありません。森博嗣という作家も、このまま出版というビジネスが今の形態のままあり続けるとは思えない、と言っていて、やっぱり出版業界というのは先が暗いんだな、と思ったりします。書店の現場レベルでなんとかしようという動きは様々にありますが(書店同士で横のつながりを持ったり、本屋大賞なんて賞を創設したりというような動きです)、業界全体としての動きみたいなものはやはりあんまりないように思います。難しいものです。とにかく、せめて客注品だけでももっと早く入るようにして欲しいんですけど、どうにかならないもんですかね。一週間から10日前後かかります、と毎回言わなくてはいけないのは、やはり辛いものがありますね。
あと本作に書かれていたことでへぇ、と思ったのが、コンビニのポテトチップスの話です。コンビニではポテトチップスは実はあんまり売れていないんだそうです。でも割といい場所に結構スペースを取って置いてある。それは、かつてポテトチップスをよく買っていた世代が客単価の高い購買層になっている。だからあんまり売れなくても残してあるのだ、ということです。書店も同じで、売れないからと言って置かなくていいというわけではないところが難しいところで、そういう部分も含めて、僕はまだまだダメだなぁ、と改めて思いました。
そんなわけで、書店営業の方にはなかなか面白いかなと思います。役に立つかどうかは別として、書店員の本音が分かるんではないかな、という気はします。その本音を、自分の営業にどう活かすかはまた個々人で考えてもらうということで。
石塚昭生「石塚さん、書店営業にきました。」

石塚さん、書店営業にきました。ハード