「あぁ、先生、よろしくお願いします」
「中道さんは今日が初めてでしたよね。どうされました」
「いやね、昔っから身体が丈夫なことだけが取り得だったんだけどもね。どうも最近、腹の辺りが痛くってしょうがないんだよ」
「どんな風に痛いんですか?」
「いやな、この辺がさ、ズキズキって感じで痛むわけだよね。痛み自体はそんなでもないんだけど、鈍痛っていうのかねぇ、ずっと痛いんだよねぇ」
「なるほど。ちょっと口を開けてもらえますか…。はい、じゃあ服をちょっと上げて…。」
「先生、年なんか取りたくないもんだやね。まったく、今の時期は大変なんだから、体調なんか崩してられないってんだよね」
「そうですよねぇ。えーと、恐らく風邪でしょうね。お薬出しておきますので、しばらくしてもよくならなかったらまた来てみてください」
「その薬、すぐ効きますかね。再来週試験があるもんで、なるべく早く治さなくっちゃいけないんですよ」
「まあ効き目は人それぞれでしょうけどね。割合効く薬だと思いますよ。それで、試験って何の試験なんですか?」
「あぁ、センター試験ですよ」
「なるほど。お孫さんが受験なんですね。それで移しては悪いっていう…」
「いやいや、センター試験はわたしが受けるんですよ。今も試験勉強の真っ最中でしてね。追い込みで大変ですよ」
「素晴らしいですね。そのお年でまた大学に再チャレンジなんて。なかなか真似できるものではありませんよ」
「再チャレンジっていうかねぇ…。いやね、正直に言っちまいましょう。違うんですよ、先生。わたしはね、浪人なんですよ。浪人」
「浪人…ですか?」
「そうなんですよ。今56浪目でしてね。あれ、55浪目だたかな?こんなことも覚えてられないようじゃまた試験は危ないかもしれませんね。ハハハ。毎年東大を受けてるんですけどね、やっぱりなかなか受からないものですよね。来年こそは、来年こそはって毎年思い続けている内に、いつの間にかこんな年齢になってしまいましたよ。やっぱり東大の壁は厚いですなぁ。とりあえず将来どうしたいのかっていうのか、東大に入ってから考えようって思ってるんですけどね。まずはほら、やっぱり東大に受からないことにはどうにもならないですよね。頑張らないと。まずはセンターで足切りにならないようにしないと…」
「…」
一銃「大学受験」
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、1990年と2000年の話が交互に語られる構成になっています。
2000年の春。アキラは、かつて毎日通った懐かしい道にいた。桜の生い茂るその道は、10年前多くの仲間たちと浪人時代の一年間を過ごした、桜花寮に続いているのである。
そこで、ヨージと待ち合わせをしているのだ。ちょっとした仕事の関係だったが、どうせなら桜花寮でも見に行こうという話になったのだ。
懐かしさを味わっていたが、ヨージがポロっと気になることを口にした。なんと、リュータが死んだという噂を聞いたというのだ。アキラはその噂が本当かどうかを突き止めようと、かつて桜花寮で同じ時を過ごした仲間達と久しぶりに連絡を取るようになり…。
一方で1990年。大学受験に失敗したアキラは、しかし何故かある予備校の特待生の試験には合格した。そして、授業料など一切免除で、桜花寮で一年間勉強することになったのだ。
桜花寮に続く桜の花道でアキラは、ヨージとリュータと出会った。アキラの浪人生活はこの二人の出会いから始まったのだ。浪人という特殊な環境にいる若者たちが、それぞれ孤独や鬱屈を抱えながら、あるいは具体的な未来への夢を抱きながら、時に思いっきり羽目を外し、時に思いっきり真剣になりながら、自分達のあり方を模索していく…。
過去と現在が見事に共鳴し、浪人時代の青春と現代の再会が絶妙に交錯する物語です。
竹内真という作家はかなりいいですね。ちょっと前に読んだ「粗忽拳銃」という作品で初めて知りましたが、「粗忽拳銃」も本作ももう素晴らしくいいです。もう既にかなり作品を出している作家ですが、これほどいい小説を書く作家だとは知らなかったですねぇ。見逃しておりました。
まずこの作家の何がすごいって、とにかく文章が読みやすいんですね。ちょっとこの読みやすさは異常なぐらいだと思いました。僕は、実験的な文章や文学的な文章も好きだし、そういう作品もいろいろ読んでいるけど、でもやっぱり小説の文章で最も求められていることは読みやすさだと思っています。クセがなくてスラスラ読める文章というのは、ともすれば無個性っぽい感じがしてしまうかもしれませんが、でもそういう文章っていうのは本当に書くのが難しいんですね。むしろ、ちょっと普通と違ったり個性的だったりする文章の方がまだなんとかしやすいかもしれません。誰が読んでもスラスラ読める文章というのはかなり技術が必要なわけで、さらっと書けるものではありません。竹内真はその、ものすごくスラスラ読める文章で小説を書く作家で、なかなか素晴らしいなと思いました。
また、本作の構成もかなりいいんです。現在と過去が交錯するわけなんですけど、そのスイッチングが絶妙なんですね。要するに、過去から現在、あるいは現在から過去へ移行する時に、うまく話が繋がるようにしてあるわけです。本作は数ページ毎に現在と過去が入れ替わる構成で、つまりその転換点もかなりの数になるわけなんですけど、その多くの転換点で前後の話に繋がりが出るように構成されているわけです。うまいな、と思いますね。なかなかそううまくはいかないと思います。
また、あらゆる事柄が少しずつ明らかになっていくという構成も見事だと思いますね。本作は、ストーリー的には全然ミステリではないですけど、構成はちょっとミステリっぽくて、登場人物の設定みたいなものが先に提示されるのではなくて後から段々分かってくるという感じで、さらに主軸として、リュータが死んだという噂を追いかけるという内容になるわけで、余計ミステリっぽい構成になりますね。本作は文庫になったのは最近ですけど、親本が出たのは2001年とかで、つまり著者がデビューしてから2・3年ぐらいでこれを書いたというわけで、初めっから技術があったんだなぁ、と思ったりしました。
キャラクターも非常にいいですね。桜花寮には10名の特待生が住むことになっていて、その10名全員が物語に関わってくるわけだけど、その造型がかなりいいですね。キャラクターの描き分けはもちろん巧いし、10名それぞれを物語の中で目立たせるということもちゃんとしていていいと思います。受験にはそんなにやる気のないアキラ、将来の夢は世界制覇だというリュータ、早稲田に行って作家になるというヨージ。物語の主軸になるこの三人に加え、将来は社長になると決めている社長、麻雀で大三元で上がった「ムー」的なことを信じているダイ、物静かだけど大騒動も引き起こす吉村さん、ちょっとしたトラブルに巻き込まれたりちょっとしたトラブルを解決したりする医者を目指しているゴロー、童貞喪失宣言をしてちょっとした騒動を巻き起こすニーヤン、アイドルのポスターを貼りまくっているタモツ、部屋が異常に汚いラガーマンのサンジと、なかなか個性的なメンバーが揃っているのである。この面々が、いろいろ無茶をしたり、いろいろ頑張ったり、いろいろ問題を犯したりと、まあ青春小説っぽいことをするわけなんだけど、やっぱりその背景にはきちんと浪人っていうのが横たわっていて、それが普通の青春小説とは違う雰囲気を醸し出しているなと思いました。僕は浪人の経験はないんですけど、浪人という独特の雰囲気の中で過ごさなくてはいけない若者をうまく切り取っているのではないかな、という風に感じました。
浪人時代に志向していた夢と、現実にどうなっているのかというギャップも面白いし、過去のパートでそれぞれが桜花寮で勉強することで影響を受けていく過程も面白いし、現在のパートで、リュータを探すという名目の中で様々な人とあったりいくつかの小さな偶然があったりするのも面白いです。構成・ストーリー・キャラクターとも素晴らしい小説で、感動という感じの小説ではないですけど、読んだ後で清々しくなれるようなそんなタイプの小説だと思います。
しかし竹内真っていうのはいいですね。この作家は、ちょっとしばらく追いかけてみようと思います。僕の中では、なかなかいい作家を見つけたな、という感じです。著作も結構あるようなのでいろいろ読んでみて、その内売り場でも並べてみたりしようかなと思ったりしました。
大学受験や浪人の経験がなくても十分楽しめるのではないかなと思います。少なくとも僕は浪人の経験はないですけど楽しめました。ちょっと変わった青春小説という感じです。解説が、予備校教師の出口汪っていうのも面白いですね。
竹内真「風に桜の舞う道で」

風に桜の舞う道で文庫