天才にも過去がある。歴史がある。
唯一天才と称されてしかるべき存在、真賀田四季。「すべてがFになる」で衝撃的にその存在を示し、「有限と微小のパン」で世界から姿を消した孤高の天才。「F」の段階で既に数奇だった運命は、時と空間を超え、そう、まだ幼い、子供と呼ばれてしかるべき時期の真賀田四季。その姿が本作にはある。
僕は、この作品を読んで感じたことを言葉に表す自信があまりない。僕は既にもう、この作品から取り残されている。誰しもが四季を理解し追いつくことができないように。
体の強くなかった四季は、幼い頃叔父の経営していた病院で生活していた時期がある。周囲には認識されない友人を持ち、時折会話を交わす。同世代の他の子供たちとは既に話が合わない。
既に四季は天才だった。6歳前後という、まだ立派な子供の段階から、既に時間も空間もその肉体を遥かに超越した世界にいた四季。ようやく周囲もそれに気づき始めた頃のこと。
透明人間であり、顔に包帯を巻かないと人に認識されない僕。四季と同じ病院で生活している。外には出られず、体力もなく、書き終ることのない絵を書きながら日々を過ごしている。
病院内のある部屋で殺人事件が起きる。現場は外から鍵が掛けられた密室状態だった。四季は事件直後に解答に行き着くが、それを口にすることはない。そもそも四季は、誰かに対して何かを表現する、などほとんどしない。
四季はその後、自らの環境を整えるため、周囲の人間をうまく利用していく。あらゆる場面で四季の天才性が示され、それは既に世間に対して、押さえが利くようなレベルではなくなった。四季は、あっという間に有名人となった。
一方で、透明人間の僕の生活もどんどんと変わっていく。僕は一体何者なのだろうか?
交わるいくつもの線。四季は、幼い日々を駆け抜けるように過ごしていく…。
僕は、この四季シリーズが、まさかVシリーズとも関わってくるとは思ってなくて、Vシリーズを全部読み終わっていない今、夏以降の作品を読もうか悩んでいる。でも僕はきっと読むだろう。読むことを止められるような作品ではない。既に、この作品に引き込まれている。
ただ、一体この物語がなんなのか、僕にはわからない。けれど、S&MシリーズやVシリーズとの関わりが随所に現れ、さらに真賀田四季という天才の歴史をトレースできる。それだけでこの作品の存在価値はある。
6歳にはありえない言動。誰にもついていくことのできない思考。ずれた価値観。どうして天才として生まれたのか、そのことに対する説明は当然ない。天才として生まれた四季が、どう生き、どう周囲との摩擦を無視し、何を求めているのか。きっと、森博嗣自身が真賀田四季に魅せられているのだろう。そんな気がする。
そう、まだ序盤。この後夏秋冬と続く全四部作。物語がどう展開し、前のシリーズ作と如何にリンクし、そしてどこに収束するのか。早く読みたくて仕方がない。
たぶん、四季シリーズを全部読み、読んでいないVシリーズを全て読み、さらにS&M・Vシリーズを全て一気に読み直してから再度この作品を読んでみないと、僕にはこの作品を理解することは到底できないだろうと思う。それをするだけの価値がある、と僕は思う。
そう、だから今、こうして作品に対して大したことが掛けていない自分が少し嫌だ。もちろんいつもだってそんなに大したことを書いているわけではないけれど。この作品の感想を書くのに、僕の言葉は不足している。
衝撃をあなたにもたらすことでしょう。是非お読みください。
それではいつものを。
(前略)
「それじゃあ、今の僕なんかも、取り残されてるよ、きっと」
「どこに?」彼女は僅かに首を傾げる。
「空間でも、時間でもないところに」僕は答える。それは、いつも何かの拍子に思いつくこと、あるいは、どういうわけか、躰が感じている、とでも表現できることだった。
「もう少しわかりやすく言うと、もしかしたら、君のいないところに」
(後略)
(前略)
人間はまず見る。次にそれに触れる。それが見えて、そして触れることが、それが存在することの確証、必要で充分な証明だと信じて疑わない。
ところが、最も身近な存在、たとえば、自分の存在はどうだろうか。自分の躰は、自分の手でいつでも触れることができる。しかし、自分という存在は、自分の躰だけではない。躰だけならば死体と同じだ。死体には、既にその個人の人格は存在しない。自分という人格は、本当のところ、見ることも触れることもできないのだ。これが、他人の人格ともなれば、さらに遠くなる。本当に存在するものなのか、疑わしい。それなのに、それらがそこにあると、どうして人は簡単に認識するのだろうか。
(後略)
(前略)
「「その子が殺したの?」少女が横から尋ねた。
「たぶんね」僕は頷く。
「どうして殺したのかしら?」
「彼女しか、殺せる人がいなかったからじゃないかな」
「その世界には、二人しかいないってこと?」
「そうだね」僕は頷いた。「悲しい?」
「いいえ、自然の摂理に近いわ」
(後略)
(前略)
「僕は君のことが好きだよ」
「それが答え?」
「うん」
「ありがとう」
(後略)
(前略)
「どうして、それくらいの準備ができなかったのかしら」四季は言った。「人は。、いつかは必ず死ぬのに」
(後略)
(前略)
「神様の仕事は、人を騙すことです」四季は言った。「お金を稼がれますように。そして、今度お会いするときには、私に新しい靴を買っていらしてね」
(後略)
「(前略)明日の約束を信じないのに、何故人間は、ずっと未来の約束ならば信じるのでしょうね?」
「はい、それは、私が思いますには、ひとえに、死に対する距離かと」
「なるほど、面白い」四季はくすっと笑った。
(後略)
(前略)
抱き締めたい、と思った。
けれど、
僕の手は、
そういう手ではbない、
それに相応しい手ではない、と思い出して、諦めた。
(後略)
(前略)
「世の中、どうしてこんな善意に満ちているのだろう」僕は囁いた。
「そう見える、そう見ようとする善意があるからじゃないかしら」四季は答えた。「排気ガスや煙突から立ち上る蒸気が、勢いのあるものに見えた時代もあったでしょう」
(後略)
(前略)
「どうして人間って、すぐに使えなくなってしまうのかしら」
「使われたくないからだよ」
(後略)
(前略)「生きていることが、どれだけ、私たちの重荷になっているか、どれだけ、自由を束縛しているか、わかっている?」
「生きていることが、自由を束縛している?それは、逆なんじゃない?」
「いいえ。生きなければならない、という思い込みが、人間の自由を奪っている根元です」
「でも、死んでしまったら、何もない。自由も何もないじゃないか」
「そう思う?」四季は微笑んだ。
「だって、それは常識だろう?」
「常識だと思う?」
(後略)
森博嗣「四季 春」
四季 春講談社ノベルス