そう、天才でも恋をする。それは、プログラムに僅かに残留したバグのようなものとして認識されていたのかもしれないが、次第に、理屈ではない何か別のものに突き動かされ、四季は行動する。
不合理なものを受け入れることが成長。13歳の可憐な少女はこの年、自分の外を流れる鈍重な時間を押し上げるかのように、一息に成長したのかもしれない。
「すべてがFになる」。森博嗣のデビュー作にして、真賀田四季という天才を生み出した作品。孤島の研究所で起こった事件に犀川と萌絵が巻き込まれる。真賀田四季は、ある事情によりその研究所に隔離されるようにして生活している。
ある事情。彼女は、自らの両親を殺害した罪を背負っている。いや、そう認識するのは周囲だけで、本人自身にはその自覚はないだろう。彼女に背負うものなど必要ない。
犯行当時13歳。未成年の彼女は、どのような経緯を経たのかはわからないが、その果てしのない才能や援助する人々の力などもあったのだろう。孤島の研究所で隔離されたまま研究を続けることとなった。
「有限と微小のパン」の中に、真賀田四季を表したこんな言葉がある。
<完璧だ。
完璧な人間なのだ。
地球上の全ての人間の生命が、彼女一人と釣り合う。
だから、たとえ彼女が誰かの生命を消し去っても、それは、微小だ。客観的に見て、ゼロに近い。
しかしながら、そんな釣り合わない微小な生命を、彼女が消そうとすること自体が不自然である。>
そんな彼女が、何故両親を殺害するに至ったか。もちろん(というのは普通のミステリでは言わないが、森ミステリでは動機は曖昧で不確定であること多いし、そうであるべきだと僕は思う)それは語られることはない。
本作「夏」では、その事件に至る天才の姿を追っている。
四季は、叔父に恋をした。相手は36歳。彼女は13歳。しかも叔父と姪という関係。彼女にとっては不必要な概念だが、社会的に道義的に道徳的に見て、抱いていい感情ではないだろう。
彼女の一部はことあるごとに叔父のことを考える。しかし、答えが出ない。そもそも問題がなんであるかすら把握できない。それが彼女にとっての不合理。その矛盾を彼女は受け入れる。そう、彼女をもってしても処理しきれない問題があるということ。
四季は折を見て、周囲の目を盗み、叔父と二人きりで会う。連絡を取る。遊園地に連れて行ってもらったのもその一環だ。
そこで彼女は誘拐される。
彼女は無事開放される。まさか祖父江七夏までもが出てくるとは思わなかった。
孤島に研究所の建設も、彼女自身の研究も順調に進む。スポンサー関連も順調。周囲との協調、ということも少しは考える。そういう無駄を受け入れながら彼女は成長し、鈍重な時間に体を預けながら思考は時間を飛翔する。全てが順調。そう、叔父とのこと以外は…。
そう、そしてあの日。研究所がほぼ完成し、四季がそこへ移った日。家族揃ってお祝いが行われる。そこで彼女は、自らの思考により選び取った未来を実現に移す。
両親を殺害した。
そこまでが描かれる。
ある意味驚異的なことは、密室が出てこないこと。犀川・萌絵・紅子・四季。この四人のいずれかが登場する作品の中で、密室が扱われなかった作品を僕は初めて知ったかもしれない。そう、そういう点で異質。
それに前作「春」同様、S&M・Vシリーズへのリンクが顕著で、驚きの連続だった。いろいろなことがわかるし、いろいろなことがわからなくなる。きっとそれが混沌の定義だろう。
まだまだ真賀田四季の物語は終わらない。続きを知りたくてうずうずしている僕の隣には、Vシリーズを全部読まないうちに四季シリーズを読み始めてしまったことを後悔している僕がいる。そう、四季だって後悔する。プールに入りたいと思う自分の存在を思い浮かべられなかったのだから。
広がる一方で閉じない。果てはあるけど終わりはない。歩き続ければ同じ地点に戻る。そんな空間を僕は歩いているかもしれない。
天才の青い瞳は、これから一体何を映すのだろうか?
それではいつものを。
(前略)
「このお話のために、いらっしゃったの?」
「はい」四季は頷いた。「それが、貴女の価値です」
(後略)
(前略)経過時間の存在は、彼女にとって致命的だった。不可能がもしあるとすれば、それはすべて時間の短さによるものだといっても過言ではない。
(後略)
「(前略)生きることが最善だという概念があるために、人は最良の方法を見失っているのです。」
(後略)
(前略)
まだ十三年しか生きていない。
もう十三年生きた。
吸収できるものはすべて取り入れ、そして、何も失っていない。
今自分に必要なことは、自分の何かを失うこと。
何かを切り捨て、消し去ることだ。
どうすれば、それが可能だろうか?
一度記憶したものを、忘れるということが、できない。
そのコントロールだけが、どうしてもできないのだった。
(後略)
(前略)自分の内にあるものが絶対すぎる。そのために、失うという行為が遠くなる。自分の外にあるもので
、自分の中に取り込めないものの存在が、ときどき彼女の前に立ちはだかる。
(後略)
(前略)子供も、若者も、中年も、老人も、一様に家の中で暮らしている。持ちものの全てが持ち歩けないからだろうか。
(後略)
(前略)
「人間だけだよ、大人になるのにこんなに時間がかかるのは」
(後略)
(前略)
ピストルがあったら、
時計を撃ち殺していただろう。
(後略)
(前略)
「窓がない建物だなんて、信じられないわ」(中略)
「カーテンだけでも、かけておけば良いのでは?」新藤がいう。「窓があるって錯覚できる」
(後略)
(前略)
「私がしようとしていることは、私が決めたこと。私は、しようと思ったことを、しなかったことは一度もないわ」
(後略)
(前略)
「大丈夫、叔父様はもう、私に殺されたのよ」
(後略)
森博嗣「四季 夏」
四季 夏講談社ノベルス