2005年04月01日

四季 秋 The Four Seasons White Autumn(森博嗣)

天才の全てを見ることはできない。天才は、何かと触れたときの摩擦熱のように、あるいは、掴んだ手から零れ落ちる砂のように、ほんの僅かな姿しか我々に見せてはくれない。
真賀田四季という天才。その天才が起こした事件。思考によって辿り着くには何年もの時を経なければならなかった彼女の意思。その強い、天才とは反する人間性。そう、真のモラルとは、やはり彼女の中に存在するのだろうか?
時は流れる。真賀田四季の精神に流れる時間に比べればいかにも鈍重だが、それでも正確に時を刻む。
舞台は、真賀田四季が再び現れた「有限と微小のパン」からさらに四年が経過している。様々な人間が、再び真賀田四季に、彼女の思考に触れようとしている。
儀同は、ライターとしての興味から真賀田四季を取り上げた記事を書こうとしている。彼女に接触してきた椙田という男もまた真賀田四季を追っている。犀川も、彼にしては極めて珍しく、研究以外のこと、つまり真賀田四季のことが頭にある。あの孤島で起きた事件の記憶を呼び覚ましている。そんな周囲の中に萌絵はいる。
それからさらに二年の時が過ぎる。萌絵と犀川の関係が急速に変化する予兆が現れた頃、同時多発的に犀川に集まってきた情報から、彼は思考の海に浸り続ける。あの研究所から犀川が持ち出したレゴ。彼の思考はそこに集中する。
そして犀川と萌絵はイタリアへ。そう、それは真賀田四季に呼ばれたと言っても言い過ぎではないだろう。
そこで二人は、保呂草と各務に会い、そして真賀田四季を見た。彼女の口から何かが語られる。それはある種弁解めいたことかもしれない。追ってくるものの存在を自ら求め、探し、道を作り、見えるようにし、そしてその上を歩かせる。真賀田四季の敷いたその手順に乗り導かれた者に、褒美を与えたのかもしれない。
犀川は立証することのできないある解釈に辿り着く。「F」で既に示されていたことから、「F」では明かされなかったことを導いた。数多くの何故を残した事件に、長い年月を経て、ついに解答が与えられた…。
信じられないこと、というのは世の中にたくさん転がっている。信じられない現象、信じられない世界、そう、真賀田四季のような信じられない才能というのもある。
本作では、信じられない事実、というのが出てくる。もしかしたら、Vシリーズの後半で既に明かされていることなのかもしれない(という可能性を排除できない、という点で先に四季シリーズを読んでしまったことを後悔している)。本当に驚愕すべきことだ。実際に読んでいるときに、驚いて声を出してしまったぐらいだ。そんなことあっていいのか、と。
「すべてがFになる」は、森博嗣のデビュー作ではあるが、処女作ではない。処女作は二作目の「冷たい博士と密室たち」だ。デビュー作が「F」になったのは森博嗣の構想にはなかったはず。
いつ森博嗣は、ここまでの構想を立ち上げたのだろうか?2シリーズ、全20作の作品が、四季シリーズのための準備だったのではないか。そうとしか思えない構成になっている。改めて、森博嗣は、真賀田四季に並ぶ才能を持っているのではないか、と思った。
この物語の主流はもちろん、真賀田四季のあの事件の解釈だ。しかし、それ以外の数多くの部分で、別の、各シリーズの結びつきが明かされていく。本当にすごい。今まで様々な本を読んできて、最近では味わうことの少なくなってきた驚愕に対する感動と畏怖。そうしたものを、この作品だけではなく、森博嗣が築いてきた世界に対して抱いた。
シリーズに天才が現れてからまだ十年。つまりそれは、森博嗣がデビューしてまだ十年ということだ。次の「冬」で真賀田四季は卒業かもしれない。新シリーズが始まったけれど、そこにはもう真賀田四季は出てこないかもしれない。それが今はとても寂しい。
そう、僕たちが自分のものにできうのは、自分に属するものだけ。他人も自由も幸福も、そして真賀田四季の存在すらもきっと、僕らは自分のものにできないだろう。
それではいつものを。

(前略)
「巨人の星だよ。星飛雄馬」
「ホシヒューマン?何人ですか?」
(後略)

(前略)
「地球の裏側にいると思ったら、すぐ隣にいた、なんてこともあるでしょうね」
(後略)

「(前略)私は泣いたことがない、と貴方に言いました。覚えていらっしゃるかしら?ここだけのお話ですけれど…」彼女はそこで少し笑った。「あれは嘘です。私だって、涙がながれることがありますのよ。(後略)」

(前略)「自身の中に、どれだけの自由を取り入れることができるかしら。時間と空間を克服できるのは、私たちの思想以外にありません。生きていることは、すべての価値の根元です。(後略)」

(前略)
「可能か不可能か、という問題では、きっとない」犀川は鋭い視線を萌絵に返した。
「それを可能にする意志が、あるかどうかだ」
(後略)

(前略)
優雅な速度で、丁寧に頭を下げた。
(後略)

(前略)
孤独とは、淋しいものではない。
自分がここにいる、という位置を、
その足元の確かさを、みつめること。
だから、孤独だと冷静に感じることができるのは、自分の足元の確かさを知っている者だけで、その状況自体が幸せといえる。
愛する人を見つめることは、結局は、孤独を知ることであって、そして、きっと、自分を知ることになるのだ。
(後略)

(前略)
「そう…、そのとおり、自信が持てるまで考えるしかない。でも、なかなか、そんなに考えられないんだよ、人間って」
(後略)

(前略)
「扇風機のように、前にしか風が来ないのなら、こちらを向いてくれないと困りますけれどね。たとえば、太陽はどう?メキシコが晴れていたら、日本は損をしますか?」
「つまり、その差は、何ですか?」
「貴女が、太陽を好きになったか、扇風機を好きになったか、の差です。」
(後略)

(前略)「人は、自分が許せないときに、悲しくて泣く、そして、自分が許せたときに、嬉しくて泣くの」
(後略)

(前略)解けてしまったときには、問題も消えている。
それが、本来の問題だ。
消えたあとに、やさしい気持ちだけが残る。
(後略)

森博嗣「四季 秋」


四季 秋ノベルス

四季 秋講談社ノベルス

 

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