2004年09月27日

密やかな結晶(小川洋子)

とても優しい小説だ。俺が読んでいるからといってミステリーだというわけではなく、どちらかと言えば恋愛小説と言ってもいいかもしれないけど、そうでもない。
舞台はある島。その島は特殊で、突然記憶が奪われてしまう。その消滅の時が訪れると人はそのものの性質を忘れ、付随する記憶を無くし、そしてそれを処分しなくてはいけないという気分になる。そのものを見ても何も感じず、しばらく時間が経つと、そのものを何と呼んでいたのかすら忘れてしまう。
その島には秘密警察と呼ばれる人がいて、消滅と共に町中にあるそれを排除するように働きかける。そしてまた、島には記憶を失わない特殊な人びともいて、その人たちを「駆除」する役目も負っている。
主人公である「わたし」(たぶん小説内に名前は出てきていないと思う)は小説家で、両親を亡くしている。母親はその特殊な記憶を無くさない類の人であり、消滅したものの思い出をよく語ってもらったのだが、その記憶すら今では曖昧なままである。昔から家の雑用をしてくれる「おじいさん」と、彼女の書く小説の編集者である「R氏」の三人を中心に物語りは進んでいく。
ある日「わたし」は、R氏が記憶を失わない人であることを知ってしまう。そして彼女はR氏秘密警察からを匿うことを決意する。自分の家の隠し部屋にR氏を匿う生活が始まる。秘密警察の影に怯える日々、突然訪れる消滅、おじいさんやR氏との慎ましやかな生活。そういったものが丹念に描かれ、次第に彼女とR氏は心を通わせていく。
そうした日々を過ごす中、彼女は失ってはならないものを失うことになる・・・
先にも書いたようにミステリーではない。何故消滅が起こるのか、秘密警察に連れて行かれたらどうなるのか。そういったことを追求していく物語ではなく、あくまでそういった島の特性を理解し受け入れながら、静かに日々を過ごそうとする「わたし」の物語である。
記憶を徐々に失っていく「わたし」と、記憶を失うことなく留めておける「R氏」。二人はお互いの存在を助け合い、ゆっくりと近付きあおうとするのだが、消滅に関してだけは交わることがない。R氏は、記憶のは消失したのではなく沈んでいるだけだといい、「わたし」の母親が彫刻のなかに隠していた、「失われたはずのもの」にまつわる物語を聞かせるのだが、そうしたR氏の優しさを彼女は当惑で受け止める。記憶を無くしたものにとって、無くした記憶は寧ろ神経をざらつかせるものであり、それに何か浮かび上がってくるものがあるわけでもない。それでも彼女はR氏の優しさや熱意を無下にできず、困惑のままその優しさを受け入れようとしていく・・・
是非読んで欲しい作品である。とてもゆったりとしてでも哀しげで、味わいのある作品だ。俺は小説を映画化することにあまり賛成ではない。それはキャラクターを現実の人間で表現することが難しかったり、時間やその他の制約のためにストーリーを改変せざる終えなかったり、CGを多用しなければならなかったりするためだが、珍しくこれは映像で見たいなと思わせる作品だった。「おじいさん」はもう絶対「おひょいさん(名前は思い出せないけど)」しか浮かばない。この物語に合った島をロケーションできるかどうかは微妙だけど。
色々考えさせられる作品ではなく、色々考えたくなる作品、だと言っておくことにしましょう。読んでよかったです。

小川洋子「密やかな結晶」


密やかな結晶

密やかな結晶講談社文庫
 

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