舞台の中心となるのは、「六人の超音波科学者」で出てきたあの研究所。あの事件はとりあえず閉幕したが、謎に包まれた地下室、については触れられなかった。
本作は、ようやく地下に入る目処がついた、というところから始まる。何故かその立会いに瀬在丸や保呂草達も同行することに。エレベータで降り、通路を進むと、鉄製の扉に突き当たり、その扉を開けることがどうしてもできなかったのだ。
その扉を無理矢理開け中に入ると、そこは中央にさらに地下への入り口のある、他には特に何もない部屋だった。その入口へと入ってみると、なんとそこには死後かなり経過した死体があった。
一方、瀬在丸は、知り合いの数学者の縁で、妙な話を耳にする。一年以上も前に、地球に帰還した有人衛星の乗組員全員が殺されていた、という公になっていない事件の話。先の研究所とも縁のあるその数学者が結びつける二つの事件。
瀬在丸が導く、究極の真相とは…
研究所の密室のトリック、これは本当に素晴らしい。このトリックから僕は、鏡とバルタン星人を連想しました。
というのは、森博嗣の確か「冷たい密室と博士たち」の中で、犀川がこんな問題提起をしています。
「何故鏡では上下が逆さまにならないのか」
この説明で犀川は、頭がなくて、片手がバルタン星人のようなはさみを持つ生き物を使って説明していたわけです。そのことを思い出しました。
つまり、上下や左右の定義が逆さまになるかならないかに関係する、という話で、頭と足によって上下が、顔と背中で前後が定義できるので、左右だけが反転する。もし、バルタン星人のはさみで左右を定義すれば、左右は反転しない、とかそういう話だった気がします。
このトリックでも定義が割と関わってきて、つまり、「上下」を定義することによって、「落ちる」という現象を説明できる、ということです。
今までも、森博嗣だけでなくいろんな密室物を読んできたと思うけど、こんな発想のできる作家はいないのではないかと思うぐらいです。
ストーリーは、いつものVシリーズ通り、誰も彼もが面白い会話を繰り広げるので、そういう点ではいつも通りです。
しかし、まだまだ密室もバリエーションがあるもんだな、とつくづく感心するわけです。
それではいつものを。
(前略)
偶然と認識されるものは、つまり必然であり、世界のどこを切り取っても、特別に偏った部分は見受けられない。(後略)
(前略)
お気をつけて、という言葉があるが、正直なところ、私は思う。人間がどんなに気をつけていても、歴史はこれっぽっちも変わらなかっただろう。
(後略)
(前略)
「いや、お好み焼きいうたら、何を焼こうが、どう焼こうが、そこがお好みやも、むっちゃ範囲が広い、包容力のある食べものなんよ。ま、いうたら、熱を加えて食べるもんは、すべてお好み焼きというても過言ではないんよ」
(後略)
(前略)「晴天のヘモグロビンというか、空き缶無料というか」
(後略)
(前略)すなわち、新しくものを構築することに比較して、一度成り立ったものを再建することは、はるかに容易なのだ。それはつまり、ものを作るプロセスのほとんどが、何をどう作るべきなのかを考え、判断する作業に割かれるからである。
(後略)
(前略)
「混沌とした話をしているね。もっと抽象的に言いなさい」
「はい」紅子はくすっと笑った。「ようするに、つながっているのに、つながらない」
「良い表現だ」
(後略)
(前略)
「日本語通じるのか?この店」保呂草は蓬田に顔を近づけて囁いた。
「日本程度には」(後略)
(前略)
「券が余ってたから、姉ちゃんが、どこかで譲ってもらってきたんだ」森川がぼそぼそと話す。彼にしては長い台詞である。
(後略)
「(前略)子供の遊びに似たことを、大勢の大人が真剣になってやっているのよ。エネルギィの大半が、それに消費されてきたのが人間の歴史」
(後略)
(前略)
「それは、たぶん」保呂草は言う。「新しい価値ではない。とても古い価値です」
(後略)
(前略)
そういえば、子供の書く絵には、影がない。
自分の将来を予感しているからだろうか。
(後略)
森博嗣「朽ちる散る落ちる 」
朽ちる散る落ちる講談社ノベルス