NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が始まることを受けて、龍馬関連本がたくさん出てきている、というニュースを見ました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091220-00000040-san-soci
ニュースを見るまでもなく、書店の現場にいれば、それはよく実感出来ます。僕は文庫と新書の担当ですけど、文庫と新書に限ってみても、かなりいろんな龍馬本あるいは幕末本なんかが出てきます。
そりゃあ、事情は分かります。NHKの大河ドラマという注目度の高いところで龍馬が扱われるわけだから、龍馬の関連本を出せば売れるかもしれない、と。世の中には山ほど出版社があるわけだから、そのほんの一部でもそういう風に考えれば、かなりの数の関連本が出てきてしまうことになります。
でも僕は正直「龍馬」特需なんかにはならないだろうな、と思うんです。
前にこういうようなことを書きました。似たような本を近くに並べておくと、どちらかに決める判断基準みたいなものがないので、結局どちらの本も買われないことが多いように思える、と。結局、現状で龍馬本が山ほど出ている状況では、同じようなことが起こるのではないかなと思うんです。
基本的に書店は、フェアみたいな感じで龍馬関連本を一箇所に並べて置くことでしょう。でもその売場には、とにかく大量の龍馬本があるわけです。僕だったら、どれを買ったらいいのかわからなくて、結局どれも買わない、ということになりそうな気がします。
ある程度歴史に興味があるような人であれば、まだ大丈夫かもしれません。龍馬についても、龍馬のこういう部分が知りたいとか、なるほどそういう視点は新しいなみたいな観点から本を選ぶことが出来るかもしれません。
でも、NHKの大河ドラマを見る人って、元々歴史が好きみたいな人だけじゃないと思うんです。福山雅治が出てるから、とかそういういろんな要素で見るか見ないか決まる。ということは、元々龍馬について全然知らないみたいな人だってたくさん大河ドラマを見ることでしょう。
そういうお客さんがその龍馬コーナーにやってきた時、そこにズラリと並んでいる本を見て、一体何を買えばいいのか判断出来るでしょうか?
いろんな出版社が龍馬関連本を出せば出すほど、お客さんの選択肢は増える。それは、自分で本を選ぶ基準を持っている人には実にいいことでしょう。龍馬のこういう部分が知りたい、アメリカから見た龍馬について知りたいなど、自分の興味の方向性がきちんと定まっている人であれば、選択肢が多いことはプラスに働くでしょう。
しかし、大河ドラマの「龍馬伝」を見て本屋に来る人には、龍馬について全然知らないけど、ドラマを見て興味が出たから知りたい、という人もいるでしょう。そういう人は、そもそも知らないわけで、何を買ったらいいのか分からない。それに最近では、『売れているもの』『話題になっているもの』『新聞広告に載っていたもの』みたいな基準でしか本を選べない人がたくさんいるんで、そういう人たちも何を選んだらいいか分からないことでしょう。
だから、龍馬関連本がたくさん出れば出るほど、取りこぼすことになるお客さんも増えそうな気がしてしまいます。
もちろんうまく売場づくりをすればなんとかなるかもしれません。初心者の方はこちら、多少知識がある人はこちらとか、書店員の判断でそれぞれの本にレベルをつけたりするとかです。でも正直なところ、人不足でかつ新刊が死ぬほど入ってくる現在の書店の現場で、そこまで丁寧なフェア作りをどれだけやれるのか、という疑問があります。書店員がやりたいと思って企画するフェアならまだしも、龍馬関連本であれば、まあまとめとけば売れるでしょう、的な判断になってもおかしくはないと僕は思うんです。
「龍馬」特需とかなんとか言っているのは、僕は少なくとも書店には当てはまらないだろうなと思います。もちろん、龍馬関連本でどれか一点だけもの凄く話題になってずば抜け売れる、なんていうことは普通にありえるでしょうけどね。龍馬関連本、売れますかね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本書は、去年各種ミステリランキングで相当評価の高かった「ジョーカー・ゲーム」の続編です。本書も今年の各種ミステリランキングで評価の高かった作品です。陸軍内部にあるD機関と呼ばれるスパイ組織を舞台にした連作短編集です。
各短編の内容を紹介する前に、ざっとD機関について書こうと思います。
伝説的なスパイであった結城中佐が、陸軍内部に作り上げた超極秘組織・D機関。そこでは、「死ぬな、殺すな」ということがまず徹底的に教え込まれる。その陸軍の教えとは真っ向から反する信条を持つD機関は、陸軍内部の組織でありながら、陸軍の中で疎まれ異端視される存在だ。しかしその実績は並々ならぬものがあり、莫大な機密費を使うことを許されている組織だ。
「ダブル・ジョーカー」
陸軍内に、D機関と同じくスパイ活動を行う組織が立ち上がった。その名も風機関。「死ぬな、殺すな」を信条としているD機関に対し、軍人のみで構成されている風機関は、「殺せ、死ね」を信条としている。D機関のように無用な殺戮をしないのではなく、不要な者はどんどん殺せと叩き込まれる。
ある時、D機関と風機関に、共に同じ指令が舞い込んでくる。白幡樹一郎という元外交官に、とある重要文書を盗読した疑いが掛けられているのだ。
この指令によって、陸軍内のスパイ組織をどちらか一方に決める腹づもりである陸軍に対し優位を見せつけてやろうと風機関は奮闘するが…。
「蠅の王」
戦地の最前線で軍医をしている脇坂は、とある事情からある情報提供者となった。しかし最近、陸軍内に多数いると言われている同士が多数「狩られている」らしいという情報が舞い込んでくる。それは「わらわし隊」という、前線にいる兵士を楽しませる芸人たちの移動にカムフラージュされているらしいのだが…。
「仏印作戦」
中央無線電信所に勤める高林は、軍の依頼で仏印(フランス領インドシナ連邦)に派遣されることになった。そこでの高林の仕事は、陸軍が大英帝国本部に送る文章を暗号化し送る、というものだった。
ある時夜道で襲われた高林は、その窮地を救ってくれた男と近しくなる。相手は陸軍の秘密のスパイだと名乗り、高林に奇妙な依頼をしてくるのだが…。
「柩」
ドイツのヴォルフ大佐は、敵国のスパイを見つけ出すスパイ狩りを行っている。
列車事故から始まったとあるスパイ狩りは、実に困難を極めた。その列車事故で死亡した日本人がスパイであるとされたが、しかしスパイらしい証拠は一向に上がってこない。
しかしヴォルフ大佐は、かつてドイツ国内で暗躍した「魔術師」と呼ばれるスパイの存在を知っている。あの日本人も、間違いなくスパイだ…。
「ブラックバード」
アメリカでバードウォッチングに興じている仲根は、スパイだと間違えられて連行されたところを、義父である実力者に救われ釈放されることになった。
しかし仲根は、実際にD機関のスパイだった。
仲根の任務は、西海岸におけるアメリカの様々な情報を仕入れること。そのために、二重の偽の経歴を持ち、アメリカ社会の中に溶け込むのだが…。
というような感じです。
なかなか面白い作品でした。前作の「ジョーカー・ゲーム」のことはほとんど覚えていないんですけど、でも多分本作の方が面白いんじゃないかなと思います。
まず、スパイの話という結構限られた制限の中で、これほど多様な作品を書けるというのはなかなか凄いものだな、と思います。主人公自身がスパイであることもあれば、主人公がスパイなわけではないこともあるんだけど、どの話も設定とか状況とかが結構違っています。確かにスパイというのは、忍び込んだ国の中でひたすら目立たぬように活動するわけで、つまり登場人物のどんな人間がスパイであってもおかしくない、という広さはありますけど、それにしてもD機関のスパイ要員を使ってこれだけいろんな話を生み出すのは相当大変だろうなと思います。だからというわけではないでしょうけど、おそらくこのシリーズは本作で終わりっぽいです。一応最後の話が、このシリーズの終わりを予感させるような、そんな短編でした。まあ時系列順に進んでいるような話でもないんで、過去の話ということでいくらでも話は書けるでしょうけど、たぶんD機関を扱った物語を産み出すのがかなり大変なんじゃないかなとか思います。分かりませんけど。
「ダブル・ジョーカー」は、D機関に対抗して作られた風機関の物語なんですけど、この対決はなかなか面白いです。D機関が、「死ぬな、殺すな」に対して、風機関は「殺せ、死ね」という対照的な信条を持っています。この二つの組織が一つのターゲットを舞台にして争うときどうなるか。うまい展開だなと思いました。
「蠅の王」はほどほどという感じでしょうか。ストーリーの展開とかは悪くないんだけど、最後の真相とかそこに至る過程とか、そういうのが他の短編と比べるとちょっと落ちるかなと思いました。
「仏印作戦」は、なるほどという展開でした。ちょっとだけ残念だところもあるんだけど、それはちょっと書いたらあんまりよくないかなと思うんで止めときます。
「柩」は相当よかったですね。本書の中で一番だと思います。「魔術師」と呼ばれる日本人スパイと、スパイ狩りを任務とするヴォイス大佐のバトルがかなりハイレベルで、面白いなぁという感じがしました。
「ブラックバード」もまあよかったですね。おそらくですけど、このシリーズを終わらせるために書いた話ではないかなと。もちろん今後シリーズが出る可能性がゼロというわけではないでしょうけど、一応ここで一旦終わり、という感じではないかと。スパイの存在というのは何なのか、というのをちょっと考えさせる作品になっています。
全体的にレベルの高い作品だと思いますけど、ただこのミス2位になるほどの作品かと言われるとそこが多少疑問ではあります。でも、D機関という超人的な能力を持つスパイが、ありとあらゆる状況で活躍する話は、その多様性もさることながら、現実的な舞台を背景にしながらエンターテイメントとして結構高いレベルに達していると思うので、レベルの高い作品だと思います。世間的な評価はちょっと高すぎるように感じますけど、なかなか面白い作品だと思うので、是非読んでみてください。
柳広司「ダブル・ジョーカー」