ちょっと時間がないので書店の話はさらっと。
昨日こんなことがありました。
僕がバイトをしている書店は、一階が本屋で二階がレンタルショップになっているんですけど、エレベーターとかはないんです。なので時々、ベビーカーを押している母親とかが一階のレジに来て、ベビーカーだけ見ていてもらえないか、と置いていくことがあります。
昨日もそんなお客さんがレジにやってきました。ベビーカーの中では赤ちゃんが眠っていて、レンタルの商品を返却したいから置いていってもいいか、と聞かれました。
僕はそこで、『ベビーカーだけならいいですよ』と言ったんです。
これ、ちゃんと意味通じますよね?
僕としては、赤ちゃんは抱いて行ってくださいね、ベビーカーだけなら見ていますよ、というつもりで言ったんです。僕がそれを言った後、お客さんも『わかってるわよ』みたいな雰囲気で頷いていたんで、きっと伝わったんだろうなと思ったんです。
でも、ちょっと目を離した後で見てみると、赤ちゃんはちゃんとベビーカーの中で眠っているんですね。
おいおい、とか思いました。ダメだろ、それは。赤ちゃんに何かあっても、こっちは責任持てないぞ、と。『ベビーカーだけならいいですよ』だけで普通は伝わると思ったんだけど、それで伝わらなかったというのがちょっと衝撃的でした。
きっとあの母親も、子供を大事にしていないとかそんな風ではないんでしょう。可愛がってちゃんと育てている普通の母親なのでしょう。でも、やぱそれはないわ、と昨日は思いました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
海沿いの小さな町に住む主人公・友彦は、17歳の高校生。子供の頃、家族を愛せない父親に嫌気が差して母親が家を出ていき、その後離婚。また父親が転勤のために土地を離れることになった。父親についていきたくはなかった友彦は、隣人であり、白蟻駆除の会社を一人でやっている乙太郎さんの家に居候することになった。乙太郎さんは娘のナオと二人暮らし。奥さんとナオの姉を、ある時ほぼ同時に失い、二人で暮らしているのだった。
それから友彦は、乙太郎さんとナオを本当に家族であるように過ごしてきた。高校生になって、乙太郎さんの白蟻駆除の仕事をバイトで手伝うようになってからは、居候をしているという窮屈さも少しは解消されるようになった。ナオの姉であるサヨとの記憶を回想することはあれど、基本的に平穏な生活を続けていたのだ。
友彦の人生が大きく変わったのは、白蟻駆除のバイトである一軒の家を訪れてからだった。そこには、町中で時折見かける、サヨに似た女性がいた。友彦はその女性のことを頭から追いやることが出来なくなっていた。
友彦は夜、サヨに似た女性の家の床下に忍び込むことが習慣になっていった。頭上で繰り広げられているだろう痴態を想像して、自らも自慰にふける友彦。彼女への思いが積りに積もったある日、思いも掛けない出来事が起こり…。
というような話です。
実にいい作品だと思います。ただ、これまで結構道尾秀介の作品を読んでいる人には物足りないだろうなと思います。
例えば、本書で初めて道尾秀介という作家を知ったという人がいるとしましょう。その人は、この作家は文章もうまいし、人間も書けているし、ストーリーもきっちりとしているし、かなり実力のある作家だな、と思うでしょう。なるほど、こういう作風の作家なのか、と思うことでしょう。
確かにこの作品単体で見れば、実にレベルの高い作品だと思います。前から僕はずっと書いているように、道尾秀介は、作品を出す度に文章が上手くなっていきます。初期の頃の作品と比べれば、恐らくその差は歴然としていることでしょう。一つ一つの表現や、カメラの焦点がそこに急にフォーカスされるような緩急、人間の機微を描くような細かな描写まで、とにかくどれも素晴らしいものがあると思います。
ストーリーにしても、正直なところ特別な何かが起こるわけでもないような作品なんだけど、読ませるんですね。人間をきっちりと描いているという印象で、それぞれのキャラクターがどうなっていくのか、という興味で読ませるような、そんな作品です。特別な仕掛けはないんだけど、淡々とした文章の中に戸惑いや激情や不安や哀しみなんかをうまく織り込んで、線香の火を消したような余韻を持たせるような印象を持つ作品で、作家としてのレベルは本当にどんどんと上がっているなという印象がとにかく強いです。
ただ、やっぱりどうしてもこれは書かなくてはいけないんでしょうけど、道尾秀介という作家には、どうしても『期待』してしまうんです。
道尾秀介の作品を結構読んでいる人にはわかると思うんですけど、道尾秀介というのはデビュー当時は、とにかくトリッキーな仕掛けをいくつも張り巡らせるような作家だったわけです。ちょっと考えられないような、えっーうっそー、というような驚愕のトリックをいくつも仕掛けて読者を驚かせるタイプの作家だったんですね。作家としてのキャリアを重ねて行く中で、そういう傾向はどんどん薄まってはきているんですけど、やっぱり道尾秀介の作品を読む時には、『今度はどんなことをやってくれるんだろう』という『期待』を持って読んでしまうんですね。
でも、特に新しい方の作品は特にそうですけど、本書も特にこれと言った仕掛けのようなものはないんです。もちろん勝手に期待をしたのはこっちなので文句があるわけでもないんですけど、でも初めの期待が悪い意味で裏切られてしまった、という点で、どうしても作品を少しマイナスに捉えてしまう形になります。作品単体で見れば実にレベルの高い作品だと思うんだけど、道尾秀介の作品という風に考えるとやっぱりちょっと期待と違うんだよなぁ、と思ってしまうんです。
でも僕の中では、少しずつですけど道尾秀介の印象が変わり始めています。トリッキーなことをやる作家ではなくて、人間をきっちりとした文章の中で描く作家という風に変わってきています。だからもうしばらくすれば、道尾秀介に対するトリッキーさへの『期待』はかなり薄れてくることでしょう。
でも他の多くの人はなかなかそうはいかないだろうなと思います。特に、「向日葵の咲かない夏」から道尾秀介の作品に入った人は、今の道尾秀介の変化についてこれるでしょうか?道尾秀介という作家は、本当にそういう点でちょっと不幸だったかなと思います。
帯とかもよくないんです。帯には、『「向日葵の咲かない夏」の著者がまた新たな一線を超えた!魂を揺さぶる、最新最高到達地点。』って書いてあるんだけど、「向日葵の咲かない夏」の名前を出したりしたら、本書もそういう作品なんだって読者に期待させているようなものだと思うんです。でも、別の本書はトリッキーさとは無縁の作品なわけです。「向日葵の咲かない夏」のようなトリッキーな作品なんだろうと思って読み始めた人は肩透かしを食らうことでしょう。「向日葵の咲かない夏」が売れているから、それを帯に載せとこう、という安易な発想なんだと思うんだけど、絶対失敗だと僕は思います。
まあそんなわけで、作品自体は実によく出来ているレベルの高いものだと思います。これまで道尾秀介の作品をたくさん読んできた人は、トリッキーな作品ではないということを念頭に置いて読み始めてください。本書が初道尾秀介とい方は、とくに気負うことなく読み始めてみてください。しかしホント、道尾秀介って作家は成長したものだなと思います。
道尾秀介「球体の蛇」