その時、どういう理由でなのか思い出そうとしても思い出せないのだけれど、どうやらマサル君が志保のシャベルをなくしてしまったらしい。志保はたぶんマサル君のことをなじったことだろう。バカとか言って頭を殴ったりもしたかもしれない。いずれにしても、シャベルをなくしてしまったマサル君はちょっと落ち込んでいた。やり過ぎたかな、と思ったけど、良い気味だという気持ちと半々だった。
次の日からもマサル君と普通に遊んだのだけれど、しばらくしてからマサル君が、この前はごめんって言っいながら、真っ赤なシャベルをくれた。たぶんお母さんかお父さんに買ってもらったんだろうけど、それでも嬉しかった。選んだのはマサル君なのだろう、志保の手には少し大きすぎるシャベルだったけど、マサル君が自分のために選んでくれたのだと思うと嬉しくてたまらなかった。
「失踪シャベル 3-5」
内容に入ろうと思います。
本書は今年度の日本ホラー小説対象の長編賞受賞作です(大賞ではありません)。
仲良しの高校生6人は、ある日起きると見知らぬ部屋にいた。その部屋には出口が一切なく、またそれぞれにダーツやトランプなどゲームの小道具が与えられていた。
戸惑う6人の元へ、嘘神と名乗る存在がやってきた。嘘神は彼ら6人にこう言った。
『今お前たちは現実から離れた場所にいる。元の世界に戻りたければ生き残れ。最後の一人になれば現実に帰してやろう。時間制限はない。
私はここに七のルールを定めた。聞いておけ。
一つ、ルール説明後、お前たちに人数分の水を与える。ただしそのうち一本は塩基性。そこには命を奪う毒が含まれている。
二つ、同じく人数分、ただしすべて毒のない食料を与える。
三つ、人の命を奪った者に、安全な水と食料を与える。
四つ、この世界で何かを賭ければ、それは私が取り立てる。
五つ、生きている者が二人になれば、私はもう一度現れる。
六つ、生き残った者の望みであれば、一人だけ生き返らせてやる。
七つ、私の言葉にハ、一ツダケ嘘ガアル』
彼らは飢えの恐怖から、残酷な殺し合いゲームを始めることになってしまうのだけど…。
というような作品です。
本書を読んだ僕の感想は、『山田悠介の劣化コピーだな』というものです。そもそも山田悠介の作品は「リアル鬼ごっこ」しか読んでないんですけど、もちろん僕の中でも山田悠介は評価の低い作家です。その山田悠介のさらに劣化コピーなわけで、もうどうしようもないな、というのが僕の評価です。正直、この作品がホラー小説大賞の長編賞に選ばれた理由が全然分からない。
設定はまあ面白いと思うんです。嘘神のルールとか、高校生たちが命を賭けたりすることになるゲームでの知恵比べとか、読者を騙すような展開とかは、まあなかなか悪くなかったなという感じはします。
でも、まあとにかく文章が酷い。ラノベか?と思うくらい薄っぺらいんですね。会話も棒読みみたいな印象しかないしで、とにかく文章の酷さが極まりないな、と思いました。
キャラクターもまあ薄っぺらいんです。特に酷いと思ったのが、感情の変化がまるでジェットコースター並だということ。ある方向に振り切れていたと思ったら、その少し後には反対側に振り切れているみたいな感じがずっと続いていて、いやいや人間ってもっと複雑な生き物だと思うぞ、と思いました。確かに彼らは極限状況にいるわけですけど、それにしたってその感情の揺れの激しさ(というかストーリーの都合に合わせて行ったり来たりする感情の激しさ)がちょっとありえないな、と思いました。
本書を読んでちょっと思ったのは遠近法のことです。小説のリアリティというのは、遠近法を通じて描いた絵みたいなものではないか、と。
絵っていうのは、見たままをそのまま書いているんじゃないわけですよね。結局三次元のものを二次元に落としこんでいるわけで、三次元空間に書かない限り、見たままのリアリティそのままを絵にするのは無理。
だからこそ、遠近法という手法が考えられ、その遠近法を使って三次元の映像を二次元に落とし込む。それによって、実際は見たままそのものではないんだけど、でもリアリティを感じさせる絵に仕上がるわけです。
小説も同じじゃないかな、と。現実の世界をそのまま描くには三次元空間が必要。だけど本は二次元なわけで、だからこそ遠近法のようなある種のルールというかテクニックというか技術というかそういうものが必要になってくるんだと思うんです。
最近の、特に若い人が書く小説というのは、その絵画の遠近法に当たる技術がそもそも身に着いていないんだろうな、と思います。だから、現実の世界を遠近法なしで二次元に落とし込もうとするために、リアリティを感じられない作品になるんだろうな、と思います。たぶん著者の頭の中では実にリアリティ溢れる状況があるのでしょう。しかし遠近法を知らないために、それをうまく表現出来ていない。そんな気がします。
ケータイ小説も似たような感じがします。僕らが読むと、遠近法が使われずに書かれている絵のように、まるでリアリティを感じられないんだけど、でも同世代の人が読む場合、共通の価値観みたいなものがベースとして存在するために、遠近法が使われていない作品でも共感出来るのかも。
って書きながら思いついたけど、ケータイ小説の場合は3D映画に近いのかもしれませんね。僕らがケータイ小説を読む場合、それは3Dメガネなしで3D映画を見るようなものだけど、若い世代は元々その作品に合った3Dメガネを持っているから楽しむことが出来る、みたいな感じでしょうか。
まあそんなわけで長々書きましたけど、とにかくリアリティのまったくない作品だなと思いました。薄っぺらさが半端ないですね。
というわけで、選考委員の作家の力量を疑いたくなる作品です。正直日本ホラー小説大賞のレベルというのはかなり下がっているな、という感じがします。もう日本ホラー小説大賞の作品は読まないことにしようかなぁ。本書は、山田悠介が好きという人はかなり楽しめるんじゃないかなと思います。
三田村志郎「嘘神」