マサル君が中学校に入ると、なんとなく疎遠になってしまって、あまり一緒に遊ばなくなってしまったのだけれど、それでもそのシャベルはずっと使い続けた。だんだんと志保の手には小さくなって使いづらくなっていったけれど、これからも壊れない限りこのシャベルを使い続けるだろう。
アカネちゃんと一緒に列に並び、アカネちゃんは和風パスタを、志保はなんとなくパスタの気分じゃなくて、チキンカツ定食にした。
席に戻ると、カナちゃんはほとんど食べ終わっていて、雑誌をめくりながら水を飲んでいた。志保はアカネちゃんと一緒の側に座り、カナちゃんと向かい合う。
「ベア、スカートじゃん、そういえば」
「土取り?大丈夫、ジャージ持ってきたし」
「お嬢だねぇ、相変わらず。ジーパンでくりゃいいのに」
「アカネとは違うよ」
「はいはい」
カナちゃんは雑誌をめくりながら、アカネちゃんはもぐもぐ食べながら会話をしている。志保は、この三人でいる時、あまり会話に真剣にならなくていいのが気に入っている。志保は、食べながら喋るのが、実はあまり得意ではないのだ。
「失踪シャベル 3-6」
内容に入ろうと思います。ちょっと今日は時間がないので短めに。
本書は、うつ病のために元夫に自殺されてしまった(という表現はどうかな、不適切かな)女性が書いたブログを書籍化したものです。ブログは、元夫の死後、過去を思い返しながら更新されて行ったようで、リアルタイムの記録ではありません。
結婚した直後からうつ病を発症した夫は、会社を辞め治療に専念することになりました。しかし、夫はどんどんと壊れていきます。自分のことしか考えず、家族のことをまったく思いやらない。結婚後生まれた娘にも愛情を注ぐことはなく、妻にも基本的な生活費を渡すことなく、性生活は途絶え、趣味にばかり嬉々として取り組んで行くような、そんな人間になっていきました。
著者は、出来うる限り夫を支えようとします。
夫から生活費をもらえないから、子どもがいるなかなんとか働きに出ると、夫にもっと自分のことを構ってほしいから仕事は辞めてほしいと言われる。ゴミを出してきてというと、今自分は治療中で治ったら昼間僕はいない、だからそんな僕をあてにするようなことをしないで、と怒られる。他にも、理不尽極まりないことは山ほどあった。
それでも著者は、それらになんとか耐えようと思った。なんとか支えようと思った。
でも、さすがにもう無理だというところまで追いつめられてしまう。離婚を切り出し、紆余曲折の末離婚が成立し、晴れて新たな生活が始まることになったのだけど、しかしその後元夫は自殺してしまう。
その辺りまでのことを、当時のことを思い返しながら綴った作品です。
なかなか凄い作品だなと思いました。実際にうつ病の家族を持つ人はいろいろいるのだろうし、そのそれぞれの家庭で様々に状況は違うのだろうから、本書はその一例というつもりで読んでいたけれど、なんというかとんでもないなという感じがしました。
いろいろ書く前に、僕が小説を読む際のスタンスについて書いておきます。本書は小説ではありませんけど。
僕の場合、登場人物の価値観に共感出来るか、というのは凄く重要なポイントではありません。よく小説を読んだ感想で、主人公に共感できない、みたいな評価があって、まあそれは一般的に普通の感想なんだろうけど、僕はそれには違和感があるんですね。
僕の場合、まず登場人物たちのような人達がいるのだということを前提にして、その中で一貫性があるかどうか、ということを重視します。これは小説に限らず、普通の人間関係でも同じなんですけど。
例えば僕は、殺人犯というのを一概には否定しません。例えば、「人を殺すのなんてありえない」と言っていた人が殺人を犯したのであれば、それは一貫性がないので僕は納得出来ません。でも、「別に人なんて殺したっていいじゃん」と普段から言っている人が実際に人を殺した場合、その価値観には共感出来ませんが、一貫性はあるので僕の中ではアリという判断になります。
何故こんな話を書いたかというと、恐らく本書の著者に対して批判的な見方をする人は結構いるんじゃないかな、と思うからです。
僕はそもそも、本書の著者はかなり頑張ったと思います。もちろん、著者自身の主観による記述なので、疑おうと思えばどこまでだって疑えるわけですけど、でも僕だったらこれほど理不尽な環境に置かれてこんなに我慢は出来ないし、相手の立場を慮った上でいろんな行動をしているので凄いと思いました。
それでも、この著者は間違っている、みたいな風に言う人はいるでしょう。共感できない、みたいなことを言う人もいるかもしれません。まあそれでも、僕は上記のように一貫性に価値を置いているんで、まあとりあえずそれを念頭に置いて僕の文章を読んでもらえればいいかな、と思います。
とここまで書いておきながら、この話は書く必要がなかったかもと思っていますけど。そもそも時間がないんで、これからあんまり文章を書けそうにないかも。
しかし本書を読むと、この著者はホントによく我慢したものだなと思います。
夫がうつ病になる前からセックスレスで、かつ突然うつ病になる。夫が仕事を辞めて無収入になってしまう。夫の実家がかなり裕福だったのでお金には困らないように思われたけど、家賃や光熱費などの講座から引き落とされるお金以外の、食費や交際費などの一切は夫がお金を出してくれないから、著者が結婚する前に貯めてきた貯金を切り崩したり、なんとか仕事をしたりして稼いでくる。夫はずっと家にいるのに、家事も子育ても一切しないし、ちょっとさせようとすると甘えていると怒られる。夫はその内車の修理工場に出入するようになり、とにかく自分の趣味には散財するようになる。結局後々、かなりの額の借金があることが判明したりする。一ヶ月以上風呂に入らないこともザラで、その状態で思い出したかのようにセックスを誘われたりする(さすがに断ると、後にその時に断られたのがショックだったと言われる)。もうここまで書いただけでも理不尽すぎることばっかりだけど、細かいものも含めればもうありえないことのオンパレードで、よくもそんな環境で我慢出来たものだ、と感心しました。
うつ病というのは確かに大変な病気なんだろうと思います。うつ病を患った家族との関わり方というのはそれぞれの状況次第で、何が正解ということはないのでしょう。僕は、本書の著者を責める人はいるような気がするけど、僕はよくやったと言いたいし、正しかったか間違っていたかを判断することは出来ないけど、著者が進んできた道はそれしかなかったのだろうなとは思います。
本書を読んで強く感じたことは、生まれ育った家族の価値観からはなかなか抜け出せないのだな、ということです。夫は、妻が家政婦のように立ち働き、夫は家事一切をしないという家庭で育ち、一方著者は働かざるもの食うべからずで、父親も積極的に家事をしていた家庭で育ってきたため、そもそもの価値観が大きく違っていました。著者は、夫の両親(義父母と本書では書いていますが)にいろいろ助けを求めることになるのだけど、そこでも価値観の違いというものをかなり思い知らされることになるわけです。生まれ育った家庭での価値観というものは、本当に人間を一生左右するものなんだなと思いました。
しかし、やっぱり結婚なんかするもんじゃないですね。元々結婚願望はゼロですけど、ますます結婚したくなくなりました。もちろん配偶者がうつ病になるというのはそう多いケースではないでしょうけど、子どもがいじめられるとか、配偶者の家族が事件を起こすとか、そりゃあいろんな可能性があります。また特別そういうとんでもないことがなくても、相手の家族と関わっていくのは相当力が要ります。めんどくさ。いや、マジ僕には無理だと思いますね、結婚とか。まあしたくもないんでいいんですけど。
うつ病の家族と向き合うのがどれぐらい悲惨なことか、そして本書の著者がいかに孤独であったのか、ということは、細かなニュアンスをここで伝えられるとは思えないんで、是非本書を読んでほしいんですけど、最後に一つ書こうと思うことがあります。
それは、いい結婚をしようと思っている人は、きっといい結婚はできないだろうな、ということです。
本書の中に、著者が大学時代に受けていた哲学の先生の言葉で、「どちらの道も同じ場所に繋がっています」というのが出てくる。人生には悩む分岐点みたいなものがあるけど、どっちに行ったってそれぞれの悩みや困難があるのだから、どっちに行ったって同じだ、というようなことのようです。
結局生きている限り、不満や悩みから解放されることはないわけです。
でも、いい結婚をしたいと思ってお見合いパーティーみたいなのに積極的に顔を出しているような人は、もし結婚出来たとしてもなかなか幸せな結婚生活を続けるのは難しいだろうなと思うんです。
何故なら、ありえたかもしれない他の可能性を常に考えてしまうからです。もしかしたら、もっといい選択肢があったかもしれない、と。
そうなると、目の前にいる配偶者の嫌な部分ばかりが目につくことになるでしょう。ほらやっぱり、きっともっといい選択肢があったはずだ、という思いを強くすることでしょう。だからそういう人は、何回結婚しても幸せにはなれないだろうなと思います。
なんていうか、結婚相手とかって、それこそ親が無理矢理用意した見合いとかで適当に決めちゃうぐらいの方が、案外幸せになれるのかもしれませんね。
本書の内容には特に関係ありませんけど、なんとなく書きたかったので書いてみました。
というわけで、どうも今日は時間がなくて内容についてあまり触れられなかった気がしますけど、なかなか衝撃的な作品だと思います。もちろんいろいろ価値観はあるでしょうから、著者に共感出来る人も出来ない人もいろいろでしょうけど、一つの現実にあった出来事(を妻の視点から見たもの)として捉えて、ある種の小説のように読めば(それは本書の著者も、そういう風に読むのはアリだ、と書いていました)、作品としてアリではないかなと思います。ブログ本なので文章とか構成がそこまでうまいわけではないですけど、現実にあったことなのだというリアル感が、そういう不備を打ち消してくれるのではないかなと思います。読んでみてください。
市原恵理「黒い部屋の夫」