2010年03月06日

叫びと祈り(梓崎優)

しばらくしてリビングに行くと、お母さんが遅めのお昼ご飯を作っていた。その時に見たお母さんの目は腫れていた。志保もお母さんも、そのことには一切触れなかった。きっと、高校受験までは志保の前では離婚のそぶりを見せないように、という風に話しあっていたのだろう。確かに、表向き両親の関係はさほど変わっているようには見えなかった。けど、志保が父親と喋らなくなったことをきっかけにして、徐々に壊れていったようにも思う。
 ガタイのいいシルエットから、父親のことを思い出してしまった。志保は、夜の森のいたずらだと思うことにして、頭の中からその回想を追いやった。
 森から抜け出し、車に近づいていった。男も、志保の存在に気づいたようだった。志保は、スコップ二本分ぐらいの距離を空けて、男と相対した。

「失踪シャベル 6-11」

内容に入ろうと思います。
本書は、今たぶん結構話題になりはじめているんじゃなかろうか、と思う大型新人のデビュー作です。今amazonで何か小説を検索すると、そのすべてのページにこの作品の広告が出るようになっています。出版社も相当推している作品だと思います。
本書は、斉木という『旅人』を主人公にした連作短編集です。斉木は、海外の動向を分析する雑誌を作る会社に勤めていて、あらゆる語学に堪能であることから、一年の三分の一以上をどこか海外で過ごすという生活を送っている男です。この斉木が行く先々でいろんな出来事に巻き込まれるわけですけど、それがミステリーの骨子になります。

「砂漠を走る船の道」
斉木はサハラ砂漠にやってきていた。砂漠で採れる塩を運ぶ商人を取材するためだ。とある商人のグループと共に行動する生活。周囲を砂に囲まれた、目印も何もない世界の中で、ラクダを操りながら、商人は目指すべき町へとラクダを歩かせて行く。時折獣や人の骨が見える。砂漠はそれだけ厳しい世界だ。覚悟していたはずの斉木もしばらくするとへばっていった。
塩を採取する町へとたどり着き、塩と物資を交換した。宴会の後、すぐさま引き返すことになる。しかしその帰りの道中ある事故が起き、さらにその後殺人事件が発生する。犯人は誰なのか。いやそれよりも、こんな砂漠のど真ん中んで人を殺さなくてはならない、どんな理由があるというのだろうか…。

「白い巨人」
サクラは斉木に声を掛けられて、大学の同じサークル仲間だったヨースケと三人で、嫌な思い出の残るバルセロナへと引っ張ってこられた。一年前、ここで付き合っていた彼女を失ったのだ。関係を失ったこともそうだが、何よりも風車から忽然と姿を消してしまったことが不思議で仕方がなかった。
三人は巨大な風車のあるところまで行った。ちょうどサクラが振られたところだ。その内の一つの風車が土産物屋になっているのだけど、そこでちょっと面白い伝説を聞いた。
青い屋根の風車でかつて起こった話。戦争中、その風車に逃げ込んだ兵士が、忽然と姿を消してしまったというのだ。
その話を聞いたヨースケはこう提案する。だったらこの謎を三人で解いてみないか…。

「凍れるルーシー」
ロシアの山奥にひっそりと佇む修道院。修道女が15人ばかり暮らしている地に、斉木はある神父と共にやってきた。
斉木の目的は、列聖を取材することだ。キリスト教では、とりわけ信仰心の厚い信者や殉教者を聖人として認定するのだが、それを列聖というのだ。
列聖の依頼は、修道院長からなされた。リザヴェータという信者だそうだけど、既に死んでいるにも関わらず、遺体が腐らないというのだ。神父は、その不朽体を確認し、そして祈りを捧げるために修道院へと向かうのだ。
修道院には、リザヴェータを誰よりも敬愛し尊敬するスコーニャという修道女がいる。スコーニャは、リザヴェータ様が聖人として認定されることは素晴らしいことだけど、一方で神父がやってくるということは、リザヴェータ様が不朽体になられていることを疑っているからだと憤慨している。
斉木はしばらく修道院で過ごすことになる。そしてある瞬間、ふと気づくのだ…。

「叫び」
斉木は、イギリス人医師であるアシュリーと共に、南米はアマゾンの奥地にあるデムニという少数民族を訪ねるために、湿気だらけの森をかき分けるようにして歩いている。アシュリーはNGOなどの組織に属すことなく個人でボランティア活動をしている珍しいタイプの人間だ。
デムニの集落に近づくと、アシュリーが異変に気づく。地面が白いのだ。遺灰が撒かれすぎている。すぐに、デムニの人間で通訳も兼ねているダビがやってきて、村の異変を知らせる。皆苦しんで死んで行く。生き残っているものは僅かだ、と。
アシュリーは、エボラ出血熱を疑った。とにかく外部と連絡を取らなくてはいけないので、ダビと斉木を連絡係にして町に戻るようにアシュリーは指示を出す。しかしそこで思いも掛けない事態に遭遇する。なんと、まだ発症していないと思われる村人が殺されていたのだ…。

「祈り」
森野という男がやってきて、僕に何やら物語を聞かせようとする。僕には森野が誰なのか分からないし、物語を聞かせてくれと言った覚えもない。しかし森野は物語を聞かせる。
ある名前のない島に、天然の洞窟を改装して寺院にしたという、ゴア・ドアという場所があるらしい。日本語に訳せば、祈りの洞窟。
森野は言う。クイズをしようと。ゴア・ドアとは元々なんだったのか。僕はそれについて考える。
時折頭の中に去来する映像がある。天井が鉄格子になっている場所で、僕はそこで少年と向き合っている。少年は僕をジャーナリストだと思っているらしい。混乱に乗じて火事場泥棒をすることで生計を立てているらしい少年。どうやら僕はそこから出られないようだ…。

というような話です。
いやー、これは凄い作品でした!実に素晴らしい作品です。
僕は元々本書の高い評価を知った上で読んだんです。出版社が力を推している大型新人だということも知っていました。必然的に、僕の期待値は高くなるんですね。だけど、その状態で読んでも、なおその期待を上回る素晴らしい作品でした。とてもじゃないけど、新人のデビュー作とは思えない作品です。作品に力があるし、世界観が素晴らしいし、一つ一つの短編がまるで中編ぐらいの濃密さを備えているし、情景を切り取ったり、僕らが経験したことのない異世界を描写する力に溢れています。
何よりも素晴らしいのは、まず文章です。本書は、確かに分類としてはミステリなんですけど、ミステリを書く作家で文章が上手いなって思う作家って正直あんまりいないんです。もちろん、読みやすい文章だなとか、面白い表現だなとかいうような印象の作家はいます。でも本書の場合、上手いなって感じなんですね。普通のミステリ作家の場合、ミステリのトリック的な部分で勝負していて、文章で勝負出来る作家ってほとんどいないと思うんだけど、この作家は、ミステリの核となる部分だけではなくて文章も相当の手練で、ミステリ以外の作品でも充分に通用するだけの力を備えていると思います。
何よりも嫌になるのは、僕は著者と同い年なんですね。しかも大学も同じ(僕の場合は卒業してませんけど)。同じ年齢でこんなとんでもない文章が書けるっていうのは、ちょっと反則じゃないかなと思うんです。僕の評価は、「若い作家にしては上手い」とかいうレベルじゃないんです。もうそういうこと関係なく、絶対評価で文章が上手い。
さっき、短編なのに中編みたいって書いたけど、それも文章と関係あるような気がします。なんというか、短い言葉で実に多くのことを表現しているような、そういう濃密な文章なんです。しかもそれでいて、価値観のまったくことなる世界をきっちり描写してるんです。しかも本作はミステリで、かつ後でも書くけど、このミステリのほとんどは価値観の相違によって生まれる謎を扱っているんですね。だからこそ、アンフェアにならないように、それぞれの短編で出てくる価値観をきっちりと描写しなくてはいけない。それが実に的確に出来ているので素晴らしいなと思いました。
著者がどういう経歴の人なのかさっぱり分かりませんけど、やはり世界中あちこち行っている人なんだろうとは思うんです。そうでもないと、サハラ砂漠の描写や、アマゾンの熱帯雨林の描写なんかまずできないと思うんですよね。そこに何があり、どんな価値観を持った人がいて、そこで斉木がどう感じるのかというのがうわっと伝わってくるんだけど、やはり現地に行ったことがあるからこそ書けるんだろうと。もしこれで著者が、それぞれの場所に行ったことがなくてこれを書いているとしたら、まさしく化け物だと思いますけど。
さて、そんな素晴らしい文章で描かれるミステリなんですけど、これがミステリの部分も素晴らしいんです。さっきもちらっと書いたけど、この作品は、異なる価値観の相違によって生まれる謎を扱っているんです。あんまり踏み込むとネタバレになってしまうんですけど、要するにホワイダニット、つまり犯人が何故それをしたのか、ということがメインで追求されて行く話が多いです。
例えば一番初めの「砂漠を走る船の道」ですけど、砂漠という超閉鎖空間で起こる殺人事件なので、容疑者は限りなく絞られているんです。ホントに3人ぐらいしか容疑者がいません。確かにフーダニット(誰が犯行を行ったか)も重要なんだけど、それ以上に、どうして犯人は砂漠のど真ん中で人を殺さなくてはいけないのか、という部分が重要なんですね。
「砂漠を走る船の道」は、本書の5つの短編の内最高の出来だと思いますけど、これはとにかく素晴らしかったです。何故砂漠のど真ん中で人を殺したのかというその理由の素晴らしさ!こんなミステリは今まで存在しなかったのではないかという感じがします。詳しいことが書けないのが残念です。まさにこれこそ、価値観の相違による謎です。狂人の論理、という言葉を聞くことがあると思いますけど、狂人であっても、自分なりの理屈に従って行動しているということですね。それと同じように、ここでは砂漠の商人の論理をいかに読み取ることが出来るかという部分が謎解きの大きな鍵になっていきます。
二番目の「白い巨人」は、異なる価値観がどうのというストーリーではないんですけど、これも全短編中二番目に好きな作品です。表向きのストーリーは、青い風車から兵士が消えた謎を解くというものなんですけど、もちろんしっかりと裏のストーリーがあって、最後まで読むとなるほど!という感じになると思います。
三つ目の「凍れるルーシー」は、最後の最後だけちょっと理解出来なかったんですけど、これも価値観の相違による謎です。これも、不朽体としてのリザヴェータ様を信じる修道女の論理をいかに読み取れるか、という話になります。凄いの一言です。
四つ目の「叫び」は、正直なところあんまり納得の行く作品ではありませんでした。これも、アマゾンの少数民族の論理をいかに読み取るかという話になりますけど、この論理はちょっとあんまり納得行く展開ではなかったなぁという感じがしました。
最後の話は、まあこれ以上余計なことは書かないでおくことにしましょう。
しかし、文章が素晴らしく手練ていて、その一方でミステリとしての完成度も以上に高い。なんというか、似たような作家をなかなか思いつけない感じです。また書きますが、これがデビュー作で、しかも僕と同じ年というのはちょっと凹みますね。僕が一生掛かっても、こんな素晴らしい作品は書けないでしょうね。完全に脱帽という感じです。
凄い新人が出てきたものだと思います。僕は文庫の担当なんで文芸書は関係ないんですけど、文芸書の担当と協力してこの作品は売ってやろうと思います。僕が考えたPOPの文章は、
『謎はうまれる。
異なる価値観の狭間で。』
というものです。これを白黒でシャープな感じでPOPにすれば、結構作品の雰囲気とも合うんじゃないかなと思います。これは、ちょっと早めに押さえておいた方がいい作品だと思いますよ。オススメです。傑作です。是非読んでみてください!

梓崎優「叫びと祈り」



 

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