2010年03月09日

夕子ちゃんの近道

「なに?」
 志保は臆することなく男に問い質した。怖いとは思わなかった。
「どうするつもりだ?」
 男の声は、そのガタイに反して威圧感がまったくなかった。どこか弱々しい雰囲気さえも感じた。オッサンがオヤジ狩りに遭って、少年たちに問いかけているような感じだった。
「なんのこと?」
 志保は、何について問われているのかわからないとでも言うかのように、そう返した。実際に、男が何のことを言っているのか、いまいち掴みきれていなかった。こんな真夜中に、他人の車の傍に突っ立っている男から問い詰められなくてはならない理由を、志保には思いつくことが出来なかった。
「取り返しのつかないことになるぞ」
 男の声は、まるで志保を恐れてでもいるかのように小さくなっていった。まさか志保が持っているスコップを怖がっているということはないだろう。男はしばらく吸っていなかった煙草を捨て、足で踏んで火を消した。
「あんたは、これまでに取り返しのつかないことをしたことがないっていうの?」

「失踪シャベル 6-12」

内容に入ろうと思います。
本書は、「フラココ屋」という骨董屋にふらりとやってきて、そこで働きながら二階で下宿することになる一人の男を主人公に据えた連作短編集です。第一回、大江健三郎賞受賞作でもあります。
連作短編集ですけど、長編のような趣があることと、一つ一つの短編がそれほどきっちりとしたストーリー性があるわけではないことと、僕がちょっと今日時間がないことを考えて、それぞれの短編の内容を紹介するのではなく、全体の内容についてざっと書こうと思います。
主人公は、どこからやってきて、これまで何をしていて、これからどうするつもりなのかということが一切語られません。よく分からない、でもどこにでもいそうな感じのする男です。透明な背景のよう、と登場人物の一人に言われたりします。
主人公は、フラココ屋で店番をします。経営自体は店長がネットを通じて売上を立てているので、やってくるお客さんはほとんどいません。近隣一体の土地の大家さんである八木家の二人の娘、朝子・夕子や、近くに住む昔から店長と関わりのあったらしい「買わない常連」である瑞枝さんなどが時々やってきては、何でもない話をしては帰っていくというのが日常です。
朝子ちゃんは芸術系の大学に通っていて、卒業制作だと言っていつも八木家の敷地内で箱をたくさん作っています。夕子ちゃんは定時制の高校に通っていて、コミケに出てコスプレをするような女の子です。主人公は初め朝子ちゃんと夕子ちゃんの区別がつかないのですけど、徐々に二人の区別がつくようになります。
瑞枝さんはイラストレーターで、でもそれだけでは食っていけないので文章を書く仕事もしています。売り物のお気に入りの長椅子に座って、いつも忙しい忙しいといいながらフラココ屋で雑談をしていきます。主人公にいろいろ物をくれる、あげたがり屋でもあります。
店長は、商売っ気があるんだかないんだかよく分からないような人で、元々サラリーマンだったらしいけど、何で実家がやっていた骨董屋を継ぐようになったのかもよくわかりません。
そういう、何だかちょっと変わった人たちと共に、特になんということもない日常を描いていきます。大きなストーリーはないですけど、僕らの日常にも起こりそうな小さなエピソードを重ねつつ、日常的な瑣末な描写を省略することなく描いている、なんかちょっと不思議な感じのする作品でした。
まあこんな感じの作品なんですけど、この長嶋有という作家はなんとも評価し難い作家ですね。前に「ねたあとに」という作品を読んだことがあるんですけど、そっちでもなんとも言えない感じの作品でした。
どちらもですけど、特に何も起こらないんですね。大きなストーリーというのは特にはないんです。きっちりとした始まりもなく始まって、きっちりとした終わりもないまま終わるという感じで、そういう意味では凄く日常的な感覚な作品だなと思うんです。僕らの人生だって、何かが起こったとしても、じゃあこれが始まりだったのかなというような漠然とした感覚しか持てないと思うし、何かの出来事がきっちりと終わるなんていうこともほとんどないでしょう。僕なんか結構小説を読んでるから、小説がはっきりとした区切りで始まって、はっきりとした区切りで終わるなんていうのは別に不自然にも感じなくなってるんだけど、だからこそ長嶋有の作品を読むと、なるほどこういう感じが実際日常っぽいよなぁと思ったりします。
そういう意味では面白い作家だなと思うんですけど、じゃあ作品として面白いのかというと、ちょっとよく分からないんですね。というか、「面白いよ」と言って人に勧めるのが難しい小説とでも言いましょうか。読む人によって相当感じ方の変わる作品だと思うので、人に勧めるのが結構難しいかなと。
出てくるキャラクターは結構好きなんですね。僕は変わった人が好きなんですけど、この作品には一風変わった人が結構出てくるんですね。そういう人たちがゆるくゆるく繋がっていて、集まると何だか面白いことが起こるという感じ。こういうゆるい関わり合いは羨ましいなと思うんですね。
でも、大きなストーリーがないということと、人間関係がゆるく繋がっているという点が、どうしても作品をだらだらした印象にしているんですね。もちろんそれを狙っているのかもしれないし、解説で大江健三郎が、長嶋有は無駄な文章は書かないと絶賛しているので、文章的にもかなり評価されるべき作品なのかもしれないけど、それでも、小説として読んでいると、だらだらしてるなぁという感じがしてしまうんですね。すごくたくさん読む小説の中の一冊としてだったら全然許容出来るので、僕としては割と悪くないなという感じなんですけど、じゃあ例えば年に30冊ぐらいしか本を読まない人がその中の1冊としてこの作品を選ぶというのは、なんかあんまり正しい選択ではないような気がします。
という風にですね、自分でも何を書いているのか分からなくなってくるんですけど、ホントに評価の難しい作家・作品だなと思うんです。ストーリーやキャラクターではなく、全体の雰囲気を楽しむ作品だと思うので、このゆるい雰囲気が好きになれない人には合わないだろうなと思います。
ただなんていうかなぁ、こう常識的な価値観ってあるじゃないですか。普通こうだろ、みたいな。大人になればなるほど、そういう常識的な価値観に自分を合わせなくちゃ生きていけなくなってくると思うんだけど、でもそれって結構疲れるじゃないですか。そういう疲れている時にこの作品を読むと、なんか常識的な価値観に囚われている必要なんてないかもな、なんて思ったり出来るかもしれません。好きなように生きればいいんじゃないかな、なんて風に読み取れたりするかもしれません。そういう、デトックス的な感じで読むんだとすれば、こういうだらだらした雰囲気も決して悪くないんだろうなと思います。
まあそんなわけで、結構読む人によって感じ方が変わる作品だろうと思います。たくさん本を読む人ならその中の一冊に選んでもいいけど、あんまり普段本を読まないという人であれば読まなくてもいいんじゃないかなという感じの作品だと思います。ゆるーい、だらだらした雰囲気を楽しみたいという人にもいいと思いますよ。

長嶋有「夕子ちゃんの近道」



 

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この記事へのコメント
初めましてななみって言うよん^^女の子なのに体鍛えることにこってるヽ(゚ー゚*ヽ)職業病ってところ(笑)仲良くなったらななみんとこのスポーツジムに来てね♪メール待ってるよん!! cats-i.nyan@docomo.ne.jp
Posted by 友達 at 2010年04月03日 20:24
携帯のメールアドレスが載ってるっていうのはなかなか斬新だなぁ。
スパムの類だろうけど、このメールを一体誰が受け取るのか気になる…。
しかしこのブログのコメントとしてあまりにそぐわない内容だから、
もう少しうまくやればいいと思うんだけど…。
Posted by 通りすがり at 2010年04月03日 22:33