それから志保は、今日やろうと思っていたことに取り掛かることにした。リビングの電話機の横に置いてある住所録をめくり、敬叔父さんの電話番号を探す。まだこの時間なら自宅にいるだろうか。志保は、誰が出たらどんな話をするか、そして敬叔父さんにどうやって事情を説明しようかと漠然と考えをまとめてから、受話器を取った。
電話には、奥さんが出た。奥さんは、志保ちゃんから連絡くれるなんて珍しいわねぇ、といいながら、いろいろ聞いてきた。志保は、「私が」という部分に力を込めて、近況を話した。「私は元気です」「私はきちんと大学に通っています」「私はお金には困っていません」
敬叔父さんに代わってもらうように言う。保留音はしなかった。奥さんが受話器に手を当てて、敬叔父さんを呼んでいる声が小さく聞こえた。
「失踪シャベル 7-2」
内容に入ろうと思います。
本書は、とある数学の難問を解決したある天才数学者の話です。その難問とは、クレイ数学研究所というところがミレニアム問題という名で、解ければ100万ドルを与えるという懸賞金付きの問題の一つで、ポアンカレ予想と呼ばれるものでした。そしてそれを解決したのは、ロシアが生んだ天才数学者、グリゴーリー・ペレルマンです。
こういう風に書くと、『ペレルマンという数学者がどのようにしてポアンカレ予想を解決したのか』という作品だと思うでしょうが、本書はそう言った作品ではありません。ポアンカレ予想事態に触れている部分は全体の20ページ程度ですし、そもそも数学に関する話がほとんど出てきません。
じゃあどういう話なのかと言えば、数学者・ペレルマンについての本なんです。
ペレルマンという数学者は、僕が知っている数学者の中でもトップクラスの奇人です。他には、定住地を持たず世界中を放浪しながら世界中の数学者と共著論文を書いたエルディシュや、夢に数学の公式が出てくると言って、証明なしで山ほどの定理やら公式やらを残したインドのラマヌジャンとかが奇人だと思うけど、ペレルマンも凄いです。本書はなんと、ペレルマン本人へのインタビューはなしで執筆されています。何故なら現在、ペレルマンは誰とも接触を絶っているからです。自分の恩師とさえも会っていないようです。4年に一度与えられる、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を拒否し(数学者にとって、フィールズ賞は最大の栄誉である)、現在は元いた研究所さえ辞め、噂ではキノコ採りをしながら生活をしていると言われる男です。そんな男がいかにして生まれ、そしてどうして今のような状況に至ったのか。それをつぶさに追って行きます。
本書の冒頭で著者は、本書の執筆に執りかかる動機として、三つの答えを追い求めていた、という話を書いている。
一つは、なぜペレルマンはポアンカレ予想を証明することが出来たのか、ということ。
二つ目は、なぜペレルマンは数学を捨て、自分がそれまで住んでいた世界までも捨ててしまったのか。
そして三つ目は、なぜペレルマンは賞金の受け取りを拒むのか、という点です。
そういう動機で本書を書き始めた著者ですが、作品の内容としては大きく二つに分けられると思います。
一つは、ペレルマンが子供時代を過ごしたロシア(ソ連)の数学教育の環境はいかなるもので、そしてその中でペレルマンはいかにして育って行ったのか。
そしてもう一つは、どういう経緯でペレルマンは数学に失望して行ったのか、です。
本書を、他の数学系の作品と大きく隔てているのは、前者であるソ連の教育環境についての記述でしょう。著者は、ペレルマンと同時代に生まれた、ペレルマンと同じくユダヤ人だという人で、いかに当時のソ連の教育環境が悪かったか、しかもユダヤ人には厳しかったか、と言ったようなことを実際に経験した人なわけです。だからこそ、普通の人では書けないような切り口で本書を書くことが出来たのだろうと思います。
しかしホントに、当時のソ連の教育環境というのは凄まじいなと思いました。社会主義だからかどうなのか僕にはよく分からないけど、平等な教育が行われなくてはならないという建前の元、能力のある人間が不利益を被るようなことが多かったようです。そんな中で、学校教育とは別のアプローチで、数学の才能を持つ人間を集めて教育しようという人間がいて、その人間のお陰でペレルマンは数学を学ぶ環境を得られるわけです。
しかしペレルマンは、人に恵まれていたと思います。本書にはこんな風に書かれている部分があります。
『かくして、ペレルマンの守護天使たちの系譜は続いていった。ルクシンが彼の手を引いて数学コンペティションまで連れて行き、リジクが大切に世話をして高校を卒業させ、大学ではザルガラーが問題を解く彼の能力を育てて、鑑賞も邪魔もされずに数学を続けられるようにとアレクサンドロフとブラゴに託した。ブラゴは彼をグラモフに託し、グロも不は彼を世界へと連れ出したのである』
ここに出てくる誰一人でも欠けるようなことがあれば、ペレルマンはポアンカレ予想を解くことはなかったばかりか、そもそも数学者になることもなかったかもしれません。ペレルマンというのは、とにかく数学の才能には溢れていたけど、それ以外の部分に関してはかなり難がありました。風呂に入らない服を着替えない爪を切らないと言った部分から、自分にも他人にも厳しいルールを押し付けてしまうという面まで、とにかくペレルマンは周りに面倒を掛ける男でした。しかも、ペレルマンがいたのは融通の利かないことでは右に出るものはないのではないかと思うほどのソ連という国。ペレルマンはユダヤ人だという理由で、数学オリンピックに出られなくなりそうだったり、大学院に進めそうになかったりととにかくあらゆる場面でピンチに陥るわけですけど(本人がその危機を感じていたかどうかは知らないけど)、そういった場面で常に周りにいる人々が最大限の手助けをするんですね。ペレルマンを大学院に入れるために、レニングラードの数学者コミュニティやアカデミーの会員たちが総出で彼のために戦おうとしたというのだから凄いものですね。それぐらい、ペレルマンの才能は突出していたということでしょう。
本書では、このソ連での数学環境の話が半分以上を占めるわけですけど、子供時代の経験が、後にペレルマンが数学の世界や世間から隔絶していく萌芽となっている部分もあります。その最たるものは、ペレルマンは自らが定めたルールに異常に厳しいという点です。そしてそれは、他人にも及びます。ペレルマンのルールはペレルマンにしかわからないもので、正直言って一般的な規則や慣習とは相容れないことが多いです。しかしペレルマンは、それを他人も当然順守すべきであると考えるのです。また、様々な点において独自のルールがあり、それが世間のルールとかみ合わないがために、ペレルマンはあらゆる場面で人と対立し、呆れ、諦め、そして沈黙することになるわけです。
本書を読む人がペレルマンの独自のルールについてどう感じるか分かりませんけど、僕は結構共感出来るんです。ペレルマン独自のルールに共感出来るということではなくて、独自のルールを定めそれになるべく厳密であろうとするというスタンスに共感出来ます。僕も、世間のルールとはたぶん相容れないだろう様々な独自のルールを持っていて、そのせいでいろいろと生きづらいなと感じることもあるんだけど、でも出来る限りそのルールを尊守しながら生きていきたいと考えています。だからこそ、不利益を被ったりバカバカしい状況に陥ったりすることもありますけど、それは仕方ないと思っています。ただ僕の場合、ペレルマンほど厳密にはいかないですけどね。ペレルマンはちょっと高潔すぎて、確かにこの性格だと世間とはうまくやっていけないだろうな、と思います。僕程度の厳密さでも、世間とはうまくやっていくのはなかなか難しいのに。
さて後半では、数学者として海外に出ていき、やがてポアンカレ予想を証明し、その後世間と隔絶するまでが描かれて行きます。
ペレルマンはアメリカに行き、そこで「ソウル予想」という20年前にアメリカの数学者が取り組んでまったくどうにもならなかった問題をあっさり解いて一躍メジャーになります。しかしやがてペレルマンはアメリカを去ることになります。あらゆる大学からの招聘も断り、またソ連(もうロシアになったのかな)に戻ることになります。
それからペレルマンは、突如ネット上にある論文を載せ、幾人かの数学者にその論文を見てもらうようメールを送ります。その論文には、ポアンカレ予想についての記述はほとんどなかったのですけど、その論文を読んだ数学者は皆、何か大変なことが起こっている、と感じました。それは、ペレルマンの性格をよく知っていたからです。ペレルマンは不完全な成果を出す人間じゃない。ペレルマンが論文を出したということは、それは間違っているはずがないのだ。しかもそれは、ポアンカレ予想を解決するためにハミルトンという数学者が考え出しリッチ・フローという手法に関する独創的な論文だったわけです。それからやがて続きの論文もアップされ、数学者たちはペレルマンがポアンカレ予想を解いたと確信するようになります。それから2年ほどを掛けて数学者たちが検討し、ペレルマンがポアンカレ予想を解決したと数学者たちは知ることになります。
しかし、ペレルマンの名声が上がれば上がるほど、ペレルマンはどんどんと世間との関わりを絶っていくことになります。この辺りのことは、ソ連時代のこと、アメリカでの研究時代のこと、そしてペレルマン自身の厳密なルールについて知らないとうまく説明出来ませんけど、これまでペレルマンについて断片的な情報しか知らなかった時は、奇人だなぁぐらいの感想しかなかったんですけど、本書を通じて、ペレルマンなりのルールの一端に触れると、ペレルマンがどうして数学界から、そして世間から隔絶して行ったのかというのがなんとなく理解出来るなという感じがします。
著者の喩えで、なるほどこれは分かりやすいと思ったものを一つ挙げてみます。それは、ポアンカレ予想を解決したペレルマンに対して、世界中の有名大学がペレルマンを獲得しようとしたけど、それをペレルマンはすべて断ったことについての記述です。
『もしあなたが、途方もない難問を解いた人物に対し、大学が―その大学にはそれを理解できる者が一人もいなくても―金銭の提供を申し出るのは当然だろうと思うなら、次のような例を考えてみてほしい。出版社が作家を招いてこう言う。私はあなたの作品はどれも読んだことがありません。実を言えば、どの作品であれ、最後まで読んだことのある者は我が社には一人もいないのです。でも、あなたは天才だそうですから、契約書にサインしていただきたいと。』
なるほど、確かにそういう喩えで説明されると、むちゃくちゃなことを言っているなと思うし、ペレルマンがこの理屈に沿って大学からの招聘に応じなかったのかどうかは定かではないにせよ、なんとなく理解出来るような気になります。
あともう一つ。ペレルマンが数学界に失望した理由はいくつかあるだろうけど、その一つになっただろう出来事です。それは、マイケル・フリードマンという、ポアンカレ予想の四次元版(ペレルマンが解いたのは三次元版で、三次元版のみが最後まで残っていた)を解決した数学者だったのだけど、そのフリードマンがペレルマンの仕事を、
『トポロジーにとってちょっと残念なことだ』
と述べたらしいんです。その理由は、
『ペレルマンがその分野で最大の難問を解いてしまったせいで、いまやトポロジーは魅力を失い、結果として、今いるような才能あふれる若者たちは、もうこの分野からいなくなってしまうだろう』
とのことです。
これは新聞に載ったコメントのようなんですけど、それはちょっと酷いですよね。クレイ数学研究所が出した7つのミレニアム問題は、今世紀中に一問足りとも解かれることはないだろう、と言われていたほどの難問であり、それを独創的な発想で解決したペレルマンに対してそれは酷いなと思いました。純粋なペレルマンにとってその発言は、数学界への失望の理由の一つになっただろうなと思います。
というわけでメチャクチャ面白い作品でした。確かに本書は、ポアンカレ予想自体についての記述は実に少ないので、ポアンカレ予想自体について読みたいという人には物足りないかもしれません。ただ本書は、数学的な記述がほぼないので、一人の男の自伝として、文系の人間でも充分楽しめる作品に仕上がっていると思います。9章さえすっ飛ばして読めば、普通に読めます。9章はポアンカレ予想について部分なんですけど、でもそもそもポアンカレ予想自体が難しいんで、理系の人間でもきちんと理解できないでしょう。僕はかつて、ポアンカレ予想自体の本を読んだことがあるんですけど、メチャクチャ難しくて、是非今度はもっと易しく書かれたポアンカレ予想自体についての本を読みたいと思いますけど、本書も今世紀を代表する超天才数学者の生涯を丁寧に追ったノンフィクションで、実に読み応えのある傑作だと思います。是非読んでみてください。
しかしホントに思うけど、青木薫訳の理系本は外れがないですね。外国人作家が書いた理系本を読もうという方、訳者が青木薫であればまず間違いなく良い作品だと思うので、安心して買ってください。
マーシャ・ガッセン「完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者」