2010年03月18日

極楽カンパニー(原宏一)

三十分ほどで敬叔父さんは来てくれた。灰色の作業着が相変わらず似合っているのだけれど、少し痩せたのかもしれない。作業着がちょっと大きすぎるような気もした。髪の毛には白いものが混じり始めていた。その風貌から、敬叔父さんが経験してきた苦労が僅かながらにじみ出ているような気がした。
 ひとしきり挨拶を交わし、敬叔父さんの車へと向かった。車に向かうまでの間は、お母さんとは関係のない話をした。
 敬叔父さんの車は、社名の入ったバンだった。娘がこの車に乗るのを嫌がるようになったんだよ、と叔父さんは哀しそうな表情を浮かべていたのだけれど、志保は嫌だなんて全然思わなかった。助手席に座ると、敬叔父さんとの距離がいっそう近くなったような気がして、少しだけ明るい気持ちになれた。
「お母さんのこと、もう少し詳しく話してくれないか?」
 アクセルを踏んで車を発進させると、敬叔父さんはそれまでの話題を切り替えた。

「失踪シャベル 7-6」

内容に入ろうと思います。
本書は、かつて書店員の仕掛けで「床下仙人」が大ブレイクした著者の作品です。
主人公の須賀内賢三は、定年退職した元サラリーマン。今は悠々自適な定年後の生活を満喫している、というとまったくそうではなく、毎日図書館に言っては本とにらめっこという退屈な毎日。妻はやれ旅行だ習い事だと言って飛び回っているのに、賢三はこれまで特に趣味もなくただひたすらに会社に人生を捧げてきた男なので、定年後もやることがまるでないのだ。
そんなある日図書館で、桐峰という男に声を掛けられる。桐峰も賢三と同じく定年退職をしてやることがなく、図書館で時間を無駄に過ごしている人種らしく、賢三は桐峰と、サラリーマンだった時代のことを回想する。確かにあの時代は嫌なこともたくさんあったし、法律すれすれのこともたくさんやった。でも、結局今退屈なのは、会社がないからではないか。
そこで桐峰が、だったら会社を作っちゃいましょうよ、と提案する。今更起業はちょっと…という賢三に、そうではなくて、サラリーマンの様式美だけを再現するためのお遊びのような会社を作るのだという。会議や出張や仕事後の一杯というような、まさにサラリーマンをサラリーマンたらしめている要素だけをごっこ遊びしちゃいましょう、というのだ。
男二人でお遊びのように始めた「株式会社ごっこ」だったが、あれよあれよという間に賛同者が激増。全国を巻き込んで一大ムーブメントが巻き起こるのだが…。
というような話です。
本書を読んだ理由は、集英社文庫の仕掛け本を何か選ばないといけないというだけなんだけど、そこまで期待していなかったのに、かなり面白い作品でした。これはホントに売れるかもしれないなぁ。
まず、サラリーマンの様式美だけを再現する会社ごっこを行う、という発想が素晴らしいですね。会社モーレツ人間が、定年後に一気に老け込むという話は確かに聞いたことがあります。じゃあそれを、会社として別に利益を追求するわけじゃないけど、会議やら上司との飲みやら、そういう自分たちがずっと属してきた世界の形だけ真似するような遊びをやろう、というわけですね。まさにままごとみたいなものです。
僕なんか正直会社組織みたいなところに入ったこともないし、サラリーマンとして生きていくのは不可能だと思っているんで共感出来る度合いは少ないのかもしれないけど、それでも会社モーレツ人間だった人たちが「株式会社ごっこ」を通じていかに生き生きしていくかを読んでいくと、これは実際に成功するのかもしれない、と思ったりします。僕らの世代のような、仕事は仕事でちゃんとやるけど、自分の時間は時間でちゃんと欲しい、という人たちにはあんまり共感は出来ないのかもしれないけど、まさに本書で描かれているような、会社こそ人生のすべてだったというような人にとっては、それがごっこ遊びであったとしても、サラリーマンだった頃の自分を思い出させてくれるような環境というのは得難いものがあるんじゃないかなと思ったりします。とにかくこの会社ごっこという発想が秀逸だったなと思います。
しかし本書は、そのアイデア一発勝負というわけでもないんですね。もちろん、会社ごっこの話がメインになっていくんだけど、その会社ごっこの展開もなかなか波乱万丈です。最後には、まさかそんなことになるとは!というような状況になったりします。
また、前半は賢三と桐峰がやっている会社ごっこの話がメインになるんだけど、後半では、賢三の息子である慎平の話がメインになっていきます。この慎平は、今はとある会社で働いているのだけど、独立しようとずっと考えている男なんだけど、その慎平が父親がやっている会社ごっこと絡んで行くことになるんですね。その展開もうまいと思うし、結果的にそれが大騒動を巻き起こす結果になってしまうんだけど、そういう展開が小説として面白いなと思います。
キャラクターとかはちょっと平板だなという感じがしないでもないけど、賢三の奥さんや慎平の婚約者みたいな、それなりに出てくるけどメインではないキャラクターが面白く描かれていたりして、悪くはないですね。二谷という、慎平が関わることになるある社長もよく描かれています。
慎平の婚約者である真弓が言っていた言葉が、へぇそうなのかという感じがしました。真弓は広告系とかマーケティング系の会社にいるらしいんだけど、定年後の人たちを狙っていろんな会社がいろんなプロモーションをしているんだけど、全然食いついてくれない。でも「株式会社ごっこ」は、喫茶店の前に一枚張り紙をしただけで、同じ境遇の人たちがわんさかと集まってきた。これは本当に需要があるのかもしれない、というような感じのセリフなんだろうけど、なるほどなぁという気がしました。そう確かに、一番お金を持ってるのは定年後の人たちで、そういう人たち向けにいろんな企業がものを買わせようとアプローチするんだけど、真弓の言葉を信じるならそれはあんまり成功してないみたいですね(著者は元々コピーライターだそうで、広告業界にいたのでそれなりに信ぴょう性があるかと)。きっと、定年後の生活なんていうものを想像することも出来ずに定年を迎えてしまった人が山ほどいるんでしょうね。これからますます高齢化社会が進んで行くはずなので、福祉的な観点からも、この株式会社ごっこの発想は面白いのかもしれません。
本書を読むと、バイト先にいるとある女性スタッフのことを思い浮かべます。そのスタッフはもう孫がいるような年齢なんだけど、未だにインディーズバンドのライブに行ったり、スポーツを始めたり、夜遅くまで飲み会に付き合ったりと、ものすごくアクティブな人なんですね。服装なんかも、とてもその年代には見えないような若さでびっくりします。みんなああいう感じの年の取り方が出来ればいいのかもしれないな、と思ったりしますね。
まあそんなわけで、誰が読んでも楽しめるかなり面白いエンタメ作品です。ある程度以上の年齢のサラリーマンだとさらに共感出来る部分が多かったりするかもしれません。本書で描かれるような、毎日図書館に通うような退屈な定年を迎えないためにも、お金以外の準備もしておいた方がいいでしょうね、きっと。是非読んでみてください。

原宏一「極楽カンパニー」



 

この記事へのトラックバックURL

http://blogs.dion.ne.jp/white_night/tb.cgi/9274797