「それで、脇坂さんが志保ちゃんに会いたいというんだけれど、日曜日とかどうだろうか?」
やっぱり、と思った。そういう展開を予想しなかったわけではないけれど、実際思っていた以上に憂鬱な気分になった。
志保は少しの間何も喋らなかった。その雰囲気から敬叔父さんも、志保が嫌がっていることに気づいただろう。それでも何も言わないのは、敬叔父さんの方にも引くに引けない事情があるのだろうと思った。あるいは、脇坂という男に同情しているだけなのかもしれないけれど。
「日曜日はちょっと予定があって難しいです」
「そうか。でも脇坂さんも、志保ちゃんの予定に合わせると言っている。来週のどこか、都合のつく日はないだろうか?」
いつでも志保に優しくしてくれた敬叔父さんを困らせるつもりはなかった。それでも、お母さんの再婚相手に会うというのは気が重かった。しかもお母さんがいない状態で会わなくてはいけないのだ。自分が冷静でいられる自信がなくて、途端に不安になった。
「失踪シャベル 13-7」
内容に入ろうと思います。
本書の舞台は、国内のマラソン大会として歴史も権威もある、福岡国際マラソンです。
ロンドン五輪の予選も兼ねた福岡国際マラソンには、それぞれに思惑を秘めた様々な人々が集まっていた。
ハーフマラソンで記録を出したことがあったのだけど、フルマラソンでは体力が保たず、この大会では日本人ペースメーカーとして参加している市川尚久。
日本マラソン界の期待のエースであり、自己中心的な性格の小笠原寛明。
化粧品メーカーの広告塔としても活躍している、実力も兼ね備えた二枚目アイドルランナー、二階堂公治。
福岡が地元であり、地元の応援を後押しに五輪への切符を掴みとろうとする谷口鉄男。
市川尚久と最後までペースメーカーを争った、とにかく目立ちたがり屋の一般ランナー、岡村雪則。
市川尚久と同じ会社の陸上部に所属する在日韓国人ランナー、洪康彦。
そして彼らを先導する白バイには、小笠原の高校時代の同級生である長田雅彦が乗っている。
彼らは、大半はロンドン五輪の切符を手にすることを目標に争うのだけど、その中で秘めた目的を持っている者もいる。小笠原や二階堂の高校時代の出来事が関わってきたり、途中で予期せぬ出来事が発生したりと、レース展開以外でも大会は混乱に陥っていくのだが…。
というような話です。
なかなか評価の難しい作品だなぁ。スポーツ小説としてはほどほどに面白かったです。ただ、ミステリとしては、ちょっとどうかな、という感じです。
スポーツ小説としては、なかなかいいと思いました。特に、ペースメーカーを描いているという点が面白いと思いました。正直そこまでスポーツへの知識は深くないので、マラソンにペースメーカーなる存在がいるなんていうのは初めて知りました。ペースメーカーというのは、20キロ地点ぐらいまで、同じペースで走りながらレースを引っ張るという役回りで、なるほどそんな存在がいるんだな、と思いました。解説で、元マラソンランナーの瀬古利彦は、ペースメーカーという存在が出てきたためにマラソンはつまらないスポーツになった、と書いていますけど(若干趣旨が違うかもしれませんが、大体そんな意見だと思います)、本書ではこのペースメーカーの存在が作品を面白くしているなと思いました。
ペースメーカーである市川の存在がある意味で作品の肝と言っていいでしょう。市川が一体何を考えて、何を目的に走っているのか。その背景にあるものはなかなか見事だと思います。正直、んなこと出来るのか?というような部分は多少ありますけど、僕はそういう部分にはそこまで厳しくないんで、特に問題ありませんでした。
市川だけではなく、市川と張り合っている岡村、小笠原と二階堂のライバル関係、地元出身のランナーである谷口への応援など、マラソン部分の描写は結構しっかりしていて、テレビの実況や監督へのインタビューなど、とにかく場面を頻繁に切り替えながらレースの臨場感を出しているところはなかなかいいと思いました。
さてその一方で、作中まあミステリ的な部分が出てくるんですけど、これはちょっとお粗末としか言いようがない気がします。正直、この部分は丸々なかったとしても別段作品としては問題なかったのではないかな、と思います。そのミステリ的な部分を全部カットして、もう少し各選手の描写や過去のわだかまりみたいなものを丁寧に描いていたら、もう少しいい作品になったのではないかな、と思います。なんでこの部分をこの作品に加えたんだろうなぁ。明らかに全体から浮いている気がするんだけど。不思議です。
文章なんかは、まあこの著者の他の作品でもそうだけど、やっぱりそれほどうまいとは言えないんで、同じ作品の構造で別の作家(ベタなところで言えば、佐藤多佳子や三浦しをん辺りか)が書いたらもっと面白くなったかもしれない、とも思います。
まあいずれにしても、スポーツの部分は結構楽しめる作品ではないかな、と思いますが、ミステリ部分は正直微妙です。市川というペースメーカーが何を目的に走っているのか、という部分はなかなかいいと思うんで、興味があれば読んでみてください。
鳥飼否宇「激走」