「お母さんが出て行ったことは、スナックのオーナーさんからの電話で気づきました」
そう切り出して、志保はお母さんがいなくなった時のことを話した。しかしそれは、敬叔父さんに話した以上の情報ではなかった。脇坂さんも知っている情報ばかりだろうけれど、脇坂さんは口を挟むことなく静かに聞いていた。志保が最後まで話し終わると、脇坂さんは一つお願いがあるのですが、と言った。
「涼子さんの部屋を見せて欲しいのですけど」
志保は即座に首を振った。
「いくら脇坂さんでも、勝手にお母さんの部屋を見せるわけにはいきません」
「そうですか」志保の返答は予想通りだとでも言う風に、脇坂さんは頷いた。
「それでは、涼子さんの部屋で、財布を探してもらえないでしょうか?」
「財布、ですか?」
「失踪シャベル 16-11」
内容に入ろうと思います。
本書は、サントリーミステリー受賞した著者のデビュー作です。
とある事情により刑事を止めた茜沢は、その後私立探偵になる。茜沢が刑事を辞める時にお世話になった真田から時々仕事を回してもらいながら、なんとか食いつないでいる。
そんな真田から回ってきた仕事が、人探しだった。ホスピスにいる松浦という老人が、35年前に生き別れになった息子を探して欲しい、というのだ。松浦は当時周囲では名の知れた極道で、出産時の出血によって妻が死亡、途方にくれて赤ん坊を抱き抱えながら夜の街をさまよっている時に、一人の女性に出会ったのだ。
その女性は、困っている松浦の様子を見て取り、松浦から話を聞き、そして松浦の子供を引き取り育てると約束してくれたのだ。
死の間際になって、少なくない遺産もある。出来ることなら息子に会ってみたい、というのが茜沢への依頼だ。しかし、35年も昔の話で、しかもその女性の名前も分からない。調査は困難を極めると思われた。
その一方で、別の事態も動き始めていた。真田から電話があり、かつて茜沢が刑事を辞めるきっかけになった事件について進展があった、と伝えてきた。先ごろ起きた殺人事件の現場に残っていた体液が、かつて茜沢の妻と息子をひき殺した犯人のものと一致したのだ。松浦の依頼をこなすついでに、真田が手がけている事件についても調べられる状況だったので、茜沢は二つの調査を同時に進めるのだが…。
というような話です。
物凄く良くできてる小説だな、と思いました。新人のデビュー作にしてはこなれている、という印象。最終的に、いやいやこんな偶然はちょっとないだろ、と思うようなストーリーではあるんだけど、僕はそういう部分がそこまで気にならないし、うまくまとまっていると思いました。
ただ一方で、正直な感想としては、ちょっと地味で物足りなかった、という感じもします。ただこれは、たぶん僕が山ほど本を読みすぎているから、という理由だと思うんです。僕みたいなヘビーな読書人間には、こういう地味な物語はそこまで強く訴えかけるものがないな、と。でも、普通に人に勧めることが出来る作品だと思います。
ストーリーは、そんな偶然は…、という部分を除けば、実にうまく出来ています。普通、これは僕の印象ですけど、人探しみたいなストーリーって、結構退屈なんです。一般的には評価の高い宮部みゆきの「火車」って作品も確か人探しみたいな話だったと思うんだけど、僕には面白さがよくわからなかったりしました。探している対象者の輪郭が徐々に浮き上がってくるというのが面白いのかもしれないけど、やっぱり物語として読むにはちょっとまだるっこしいという感じもしてしまいます。
でも本書は、結構頑張ってると思います。人探しだけではなくて、真田が関わっている事件の方も同時並行で進めていくことで単調さを補っているし、人探しの過程で出会う人々が素敵に描かれているので、やっぱり地味な展開ではあるのだけど、人探しのストーリーにしてはかなり頑張っていると思います。
でまあ、松浦老人の依頼と、真田が手がけている事件とが、まあ当然ながらいろいろ関わっていくんですけど、これが一筋縄ではいかない感じ。現実的勝手いうと現実的ではないけど、物語としてならアリだなと思える感じです。二転三転するラストは、なかなかうまいことやったなぁ、という感じです。
後半の方で、真田が手がけている事件の方でなかなか緊迫した展開になるんだけど、その辺りのテンポの良さはなかなかうまいなと思いました。この著者はデビュー後、国際謀略やらサスペンスやらを書くような作家になったので、本書のその部分の描写を読む限り、それ以後の作品もきっと面白いんだろうとちょっと思った。全体的に文章力があるし、本書ではまだちょっと弱いかなとも思うけど、人物描写も悪くない。フリーライターから作家になったようだけど、フリーライターだったからと言って小説の文章が書けるわけでもないでしょう。なかなか力量のある作家だなと思います。
この作家の作品は初めて読んだけど、なるほどなかなかレベルの高い作家だなと思いました。あんまり趣味ではないんだけど、この著者が出している国際謀略とかそういう系の作品も機会があれば読んでみようかなと思いました。ちょっと地味目な作品ですけど、しっかりした良作だと思います。読んでみてください。
笹本稜平「時の渚」