2005年04月26日

サイコロジカル―兎吊木垓輔の戯言殺し(上)― ―曳かれ者の小唄(下)―(西尾維新)

天才、と言えば、僕の中では二人いる。真賀田四季博士、そして犀川創平助教授。もちろん、同じ理由で森博嗣助教授も天才だろう。
またしても、天才が僕の前に現れた。
正鵠を期すれば、実は既に現れていた。その内の一人、玖渚友は。
<死線の蒼>玖渚友。<堕落三昧>斜道卿壱朗。<害悪細菌>兎吊木垓輔。今回出てくる天才はこの三人だ。
玖渚友は、世界でも名だたるプログラマー、とでも呼べばいいか。一昔前、たった9人によってネットワーク界に多大な被害と恩恵をもたらした集団。若干12歳にしてその集団のリーダーだった玖渚友。現在19歳。引きこもりで日常生活を送るのも大変な偏屈な美少女だが、絶縁されたとは言え、世界最大財閥の直系の孫でもある玖渚。
彼女は、他の誰の追従も許さない、紛れも穢れもない真っ向まっさらな天才だ。
その集団にいて、徹底的で圧倒的な破壊工作を担当していたのが、二人目の天才兎吊木垓輔。他の皆がそうであったように、彼もまた若干19歳の少女玖渚を崇拝している。
そして、究極のマッドサイエンティストにして、今回の舞台である研究所の所長でもある斜道卿壱朗。ただ、彼は、残念ながら、天才では、ない。
天才とは存在である。生きることも、死ぬことも、前進することも、後退することも不必要な、空間を占めるだけで意味のある存在。まさしく、玖渚友と兎吊木垓輔は天才だろう。他の誰ともつりあわず、比類も類型も形式も必要ない、一切の装飾や言い訳や理由を必要としない、あらゆる意味で天才。その存在は、貴重である以上に神聖だ。
最強は天才とは呼ばれない。天才は最強とは呼ばれない。それが、同じ世界に、哀川潤と玖渚友が存在できる理由だろう。
さて、前置きはこれくらいにして、物語の話を。
<ぼく>と玖渚は、<ぼく>の隣人であるみいこさんの友達の鈴無音々を保護者として、斜道卿壱朗研究所へと向かっている。そこに「囚われている」昔の仲間、兎吊木垓輔を救い出すために。
山奥に位置するその研究所は、周囲を異常な高さの壁で覆われている。研究所内に建物は7つ。どれも窓はなく、出入りには声紋・網膜・ID・パスワードのチェックがあり、その記録は全て残される。そんな厳重な建物の中で、玖渚は兎吊木と再会する。
兎吊木の研究所は第七棟。彼はここに来てから、その建物内から出たことがないという。玖渚の説得にも応じず、兎吊木は研究所から出ることを承知しない。
玖渚は所長である斜道卿壱朗にも話をもっていくが、彼もまた兎吊木を手放す気は毛頭ない。さて、一体どうやって彼をここから連れ出すか。<ぼく>と玖渚は一晩考える。
翌朝、事件は起こった。いや、発覚した。
第七棟で死体が発見された。喉と両足にナイフを刺され壁に磔にされている。鋏で両目を突き刺され、胸は切り開かれ内蔵が飛び出し、そして両腕が切り取られていた。壁には血文字というおまけつき。
調べたところ、第七棟には死亡推定時刻前後人の出入りの記録はない。さらに、その時刻、一人を除いて他の研究員も、自分の研究所から出た記録はなく、その一人も外出はわずか5分という短さ。研究員には犯行は不可能。そう判断した斜道は、<ぼく>・玖渚・鈴無の犯行と決め付け、というより彼独自の事情により、証拠を捏造し、口裏を合わせ、彼らが犯人だということにしようとする。彼らはある研究所の地下に幽閉されることに。
そこに、石丸小唄なる人物が来て、<ぼく>を地下から連れ出した。博士たちが捏造の準備を終えてしまう前に、あんたが真相を導き出しなさい。そう言われ、<ぼく>は事件の真相究明に乗り出すことになったのだが…
という感じです。
いつものように、最後に哀川潤が「意外な真相」という奴を披瀝する、というスタイル。なるほど、今回も痛快で爽快で正解だ。
<ぼく>は、こういった異常な事態を引き寄せる体質だ、と誰しもに言われるほどで、毎月某かの事件に巻き込まれる。
ただ、彼の設定で面白いのは、次のような点だ。つまり、その事件を解かなければならない状況において、「そういう風に」事件を解決しなくてはいけない事情がある、ということ。つまり言ってしまえば、<ぼく>こと戯言遣いの役割は、現実を、自分や誰かにとって都合のいい場所に落としこむために、戯言で以って「無関係な誰かに対して」事件を解釈する。そしてその上で最後に、哀川潤が「意外な真相」を明かす、という、これが西尾維新の<戯言シリーズ>の一種のスタイルだといっていい。
今回は、今までの状況を遥かに凌駕する状況で、そもそも玖渚が囚われている、という状況が彼を落ち着かせない。
玖渚と<ぼく>の関係。それは、いずれの作品でもそれなりに明かされはするが、過去に何があったのか、は一向に明かされることがない。兎吊木は<ぼく>に対して、「本当は君は、玖渚のことが嫌いなのではないかい?」と問う。哀川潤は、「お前の玖渚に対する忠誠心には脱帽する」と糊塗する。それなりに親しい人には、「お前と玖渚の関係はわからない」と言われ、無関係の初対面には「お前たちは恋人だよな」と聞かれる。
二人の関係。<ぼく>にとっては「贖罪」のようではあるが、何がどうそうなのかはわからない。玖渚の方はただただ純粋に<ぼく>のことが好きなようだが、これもどうなのか不明だ。
天才を含むキャラクターの多様さ、<ぼく>の戯言、不可能状況。そうしたものももちろん魅力の一端だろうけど、やはり一番の興味は、<ぼく>と玖渚の関係だろう。別に恋愛がどうこうではなく、何があってこれからどうなるのか、という点がだ。その点で、犀川と西之園とは多少違うが、しかしやはり森博嗣が好きで作家になっただけあって、スタイルの影響はあるのだろう。
毎回書くけど、表紙にはめげず、是非買って読んでみてください。

西尾維新「サイコロジカル」


サイコロジカルノベルス上

サイコロジカルノベルス上


サイコロジカルノベルス下

サイコロジカルノベルス下
 

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