2010年07月10日

くまの航海日誌〜マヤの王墓〜

安土城の探索も一通り済み、
ヨーロッパへと戻ってきた。

遣り残していた海の民の鎧の依頼を済ませ、
東地中海で少々開錠の技術上げを。


無題72.JPG


これで更なる高みを目指せる。
ちょうどナポリで大投資戦が勃発、
軽く放り込んで、
依頼を探すことにした。

依頼人から早速、とばかりパレンケの追加調査の依頼が来てる事を告げられた。

まずはセビリアの学者から話を聞いてくれ、とのこと。

セビリアに着き学者のもとへと向かう。
大規模な調査隊が失敗に終わり、
悔しさだけを持ち帰って来たのだと、
涙ながらに語ってくれた。。。

「今回の調査の目的は【王墓の発見】でした。
 ピラミッド型の建物が怪しいと思うのですが、
 特定までは至りませんでした。
 どうかこの調査を引き継ぎ、
 マヤの王たちに光を当ててください」

ここまで言われてはあとには引けぬ。
責任の重さと、調査の困難さに重圧を覚えたが、
学者たちの無念を晴らし、
マヤの王たちに再び光を当てるべく、
ポルトベロへと向かった。


現地の住民からいくつか情報を得た。
マヤの背の高い建物は神殿らしいこと。
王は自らの墓を石で何重にも囲い、墓らしくないこと。
それまで住んでいた街を捨てて突然どこかへ移動したこと。。


ふむ。。。
マヤでは王は神の使いだったはず。。
ならば王の墓と神殿は同一視されてもおかしくはないか?
王の死後、新しい王が移動をさせた、となれば。。。

やはり墓はパレンケ周辺だろうか。

ヴェラクルスまで移動し、
南門をくぐり、マヤ低地へと進む。

パレンケ周辺を丹念に調査していると。。

どこからか、かび臭さが漂ってきた。
建物の方からのようだ。
ということは。。。
中は空洞になっているのか?

パレンケ南西にある建物へ登り丹念に調べてみると。。

無題71.JPG
 

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