2012年02月06日
一般大衆の閲覧を対象にしてものです(1)
私の思想に関連して、何について自信があるか?問い質したくなる人は、自分で回答を見つけて下さい。結果は自己責任になります。当事件に関して、谷口建彦の教説の被害被害に遭った人は公開していただきたいと思います。但し、同様内容のものを警察に提出してから、(私に縁のある人や新たに縁のできた人達に坂本竜馬気どりで、次から次えと無断で関わっていた形跡がある⇔外見を一見すれば確かに坂本竜馬のような振る舞いがあります⇔坂本竜馬は無断で行ってはいなかったはずです⇔坂本竜馬の生まれ替わりとは認められない)当事件以外の人達の被害に関しては公開を要請するものではありません。
「縁を切りたければ切ってみろ!」だと、「お前は神だと言いたいのか!」猛烈な矛盾だぞ!「切りたければ切れ!」と言わなくてはいけないのだぞ!縁の維持に関しては、本人が決めるですので他人のことは、家族と言えども口出しするつもりはありません。論議を吹きかけてきたものが、幸福の科学に属する者なら、「家族を質に取る気か?」私は死んでも宗教理念と啓蒙のノウハウは生き続けるのです。(誰かが部分的にしろ取り入れる)子供は引きつがなくてもよいのです。宗教組織に所属する必要があれば、自分の好むところに所属すればよいのです。「自己責任なのだ!」必要がなければ、無神論者になるか?自分の宗教に生きるか?二つに一つになるのです。靖もある意味では、自分の宗教に生きていると言えるのです。
谷口建彦は、娘の純子に私が、GLAに送付した思想の内容を娘自身の生活の周り説くように勧めていた様子が感じられました。、宗教と云うものを知らない者が行うことなのです。悪魔の業と云えるのです。宗教は思想ですのです。親子といえども思想は違うものなので、学ぶことはできても引きつげないのです。自分から進んで引き継ぐことは、形だけの真似でも、新たな要素を取り入れても自己責任になるのです。アドバイスするなら、行ってもよいけれど「お父さんの真似をしてはいけない」言うしか仕方がないのです。何で、彼が東大卒なのか?理解に苦しみます。肩書に惑わされないように行わなくてはいけません。
2010年10月21日⇔「一般大衆の閲覧を対象にしてものです(1)」より
2012年02月02日
感性や波動で判別した方が確実です
私は、腹の内を明かすことなく最後の切り札を隠し持って、世渡り先導するような人とは、来世の縁を持ちたくはありません。先導されれば受けて立たざるを得なくなります。世の人々が互いに同じようなうなことを行わなくてはならなくなります。感性や波動で危険を感じた人は、受けて立たざるを得なくなります。そのような立場になった人を非難するつもりはありません。受けて立つ行為は、道徳的には正当防衛なのです。受けて立つことのできる人は能力のある人なのです。私は、盲目的な妥協をする気持ちはありません。(妥協して良いことといけないことの判別ができなくてはいけません)
不調和を一足飛びに感化することもできるかも知れません。有るとすれば、感化方式と名付けてよいでしょう。対して妥協を経て調和させる方法は、説諭方式と言えるかも知れません。適当な表現がありませんが、説諭方式もベースに感化できるものがなくては難しいでしょう。感化の根源は波動なのです。何事も一律に、調和を目的として妥協しなくてはいけないと云う考え方は、学業優等生の考え方です。波動には良いものも悪いものもあります。妥協していると逆に悪影響が及ぶものもありますで、悪いものは、キッパリと縁を切る必要があるります。但し、自信のある人はその限りではありません。
2010年10月21日⇔木漏れ日の空間「感性や波動で判別した方が確実です」より
2012年01月29日
今後は常識的で初歩的な説明は控えます
さらに余計なことを記せば・・。密教では上記の子供に説明するようなことは行われないのです。自分で気付かなくてはならないのです。それが修行であり、ついて行けるところまでが自分の肉であり血なのです。だから下から上は観えなくなるのです。したがって序列もできるのです。反面私のやり方即ち説明方式には、当然、密教系から批判があると考えられますが、私の抱える事情から説明は止むを得なかったこととしてで、自然に行ったことです。即ち、神の計画に従っただけで他意はなかったのです。しかし、初期の目的は一応達せられたことであり、何時まででも自ら回答を見出そうせずに説明に頼る人を相手にすることもいたしません。
今後は説明は控えることにします。但し、想念上では説明を続けられる間は続けます。想念は受信能力に意識の高尚性の問題が入ります。たとえば高尚性が劣ると、小学生に三角関数を教えるようになり、説明しても届きません。さらには、私自身ほ能力の保証はないのです。霊的な計画に関しては、高橋佳子も同じことを言っていたかも知れませんが真似をした分けではありません。霊的な事柄は深遠なのです。又、この世で絶対に面会してはいけない人と言われている人とは面会いたしません。例え真実でなくても、指摘した人の責任が残るからです。
検察や警察の幹部を務める人がいなくなることはあり得ないと思います。武田信玄や上杉謙信、織田信長、伊達政宗と云った人達は十代からトップを務めてきたのです。現代でもいないはずはないと思います。勿論能力の形は違うと思います。神の裁きが期待される社会がくれば、二十代で官憲の幹部を務める人が出てくることは容易に想像できます。私が神なら、審議も何も行わないで、さっさとキズ者はゴミ箱に入れて捨ててしまうでしょう。そのような機能が働きだせは志願者などいくらでもでてくるのです。高橋佳子(とっくの昔に他界しているかも知れない)が又、怪しげなこと、即、「自分が神の代理を行うつもりだった!パートナーようやく育てあげることができ、待ちに待っていたことだ!今行う」などと・・。
要するに化身となった悪魔の姿で私を磨き上げたと云うものです。確かにそのような感じを受けましたが、私の想念の回路のパターンがそのように生じる方向に設定されて、事件が解決しなければ、治らないのかも知れません。事実かどうかは私は確かめることはできませんが、想念があったことは間違いありません。事実なら民衆のマインドコントロールの元になりますので放置できません。忠告します。双方が互いに相手の腹を読み先手々と行くことを考えれば、即ち、ウラでは最初から対決になっているのです。
2010年10月20日⇔木漏れ日の空間「今後は常識的で初歩的な説明は控えます」より
2012年01月25日
皆様方にお願いします
如何なる理由があろうとも一つの家庭の中で家族が事実を話せず、知っていなが知らぬ振りをして暮ら差なくてはならない条件が有ってはいけないのです。それは、私が犯罪を犯していたとしても同じことなのです。社会生活に不都合はなくても不愉快極まります。(トボケを行う方は、正当な理由があれば不愉快でも何でもないのです。習慣化して他事に関しても同じように行う癖がつくのです)短期間又は改善の見込みがあれば我慢もできますが、永久に改善されない可能性があるのです。従って、対策に関して、ゼスチァーによる示唆や想念行為で指示又は要望などを行っていただいても意味はありません。
意味を持たせる必要があれば、言葉や文書で伝言その他の手段で通知していただく必要があります。云うならば、想念上の行為に現実の言行の上書を行っていただくことです。そのような行為があれば信頼関係も築けます。信頼関係があれば想念上の行為も通用します。但し、手段はあくまで手段であり見せかけで逆用することもできます。信頼は失います。如何なる人も私の家内に、無言の内に公安当局の意向を示唆をして了解させようなどとしていただく行為は受け入れられません。、家内は連想力が弱いので、 無理に連想させると、記憶喪失などの症状がでる可能性があります。意向は言葉でハッキリ伝えていただかなくてはなりません。
家内の記憶喪失は、既に経験があります。記憶喪失の事実は知っていますが原因は追及しようがありませんので、上記要望が正当性があるか?どうか?は雅子さんに聞いてください。上記に関して国民の皆様にお願いがあります。家内の実妹である水渓雅子(いずれ住所、電話番号を公開しますが、無碍(ムゲ)なこともできませんので、今は差し控えさせてもらいます)雅子さんが官憲に拘束されているなら、無理なことも言えませんので事実が話してもらえるようご協力をお願いします。官憲以外に拘束できる人はいないはずです。最早トヨタも、幸福の科学もその力はないはずです。さらには、家内の性格が私を護った(谷口建彦の解説しそうなこと)と云うことは認めることはできません。
他の人と結婚していれば展開が違ってくるのです。参考として、豊田英二はGLAの谷口建彦から「言われた通りにヤレ!」言われた可能性もありますが、私はそのようなことは言ってはいません。未だ豊田英二が当事件を仕切っているのですか?それとも未だ彼がオバマ大統領、その他の外国の要人に同じように指示しているのですか?事実なら、谷口建彦がそのような指示を行使する資格が、どこにあるかか?その根拠を追及していただきたいと思います。「言われた通りにヤレ!」の言葉が人から人え連鎖して伝えられることがあってはいけません。衆人環視の中でも人の一人や二人殺せなくては、強権を維持することはできない。と云う思想を強権思想と名付けさせてもらいます。私はとっくの昔にご承知なのです。
2010年10月19日⇔木漏れ日の空間「皆様方にお願いします」より
2012年01月21日
愛の概念を変えなくてはならなくなります(2)
高橋佳子を信じる、谷口建彦は、私に悪かれと想ってトヨタに紹介したとは、想えません。彼はそのような悪党ではありません。良かれと想って行ったに違いありません。しかし、現実には当ホームページで公表しているような事態に進展いたしました。私自身やむなく高橋佳子が、愛なら何をヤツテもよいなどと教説したことに誤りがあると主張せざるを得なくなりました。しかし、それも訂正しなくてはならないのです。上記に示す根拠により、「愛なら何をヤツテもよい」のです。真実は、谷口建彦の想いが愛ではなかったからいけないのです。本人は愛の想いで行ったと思っていることでしょうが、責任が欠落しています。したがって、彼が愛と思っているのは、自分自身を騙していることの証左なのです。
真実の愛なら何を行っても良いと云う教えは、教えとしては間違ってはいないのです。本来愛は真実そのものであり、真実の想いのことを愛と言うのであって、真実以外の愛など存在しないのです。叉、真実と熱心は取り違えやすいものですが、熱心に想うことなら悪いことでもできます。しかし、真実に悪いことを想うなどと云うことは、意味をなさない概念になります。言葉の遊戯にすぎません。想いを言葉や行為で形に表したものが、善悪で則る概念なら、想いの中に悪しきものがない(愛)なのに、どうして行為、行動にすれば、人を害するものになるか?が、問われなくてはなりません。答えは谷口建彦の想いの中身も独善的な状態だったのです。
ハッキリ言わせてもらえば、当人達が愛と思っているものの中に、愛ではないものが、(競争心対抗心)混在していたのだが、それが理解できない、もしくは認められないと言うことなのです。その証はやはり、素直に責任が自覚できないままに、事後の対策として、正当化が行われていたことです。以上は自の行いを客観的に観れなくなっていた証でもあります。但し、言葉の概念は時代により変わっていくこともあり、人為的に変えることもできるものでもあり、変えなくてはならなくなる場合もあると思います。要するに言いさえすればよいというものではないのです。以上ですが、これまでの表現が2転3転しましたことは、衆人をまどわすタワ言ではありませんので、ご理解下さい。
2010年10月15日木漏れ日の空間「愛の概念を変えなくてはならなくなります(2)」より再編集
2012年01月17日
愛の概念を変えなくてはならなくなります(1)
私はインターネットの場で、「間違った愛と云う」言葉や概念を使いましたが、本来間違った愛など存在しないのです。愛とは正しさであり、善であり、真心なのです(私個人の見解です)尚、真心とは責任が伴うもので責任の伴わない真心など欺瞞なのです。愛ではないのです。てすから、愛の想いで何がしかを行って、間違ったり、他に害を及ぼすことはないのです。以上の内容を含んだ想いのことを愛と言うのですから、想いを言葉や行為に表して結果が間違っていたり、他に害を及ぼせば、それは間違った愛ではなく、貪り(自我々我欲、自己保存、自己顕示、打算、計算、虚栄心、競争心、その他の概念)に置き換えられるべきものなのです。
私が、使った「間違った愛」とは欺瞞を明確にする目的で記したものです。幸福の科学にも「奪う愛」と云う言葉がありますが、本来奪う愛などという愛はないのです。だから哲学の知識を有する人からすれば、間違った愛など衆人を惑わす、たわ言と思われるかも知れません。しかし宗教は哲学と違い一般大衆を対象としたものですので、自分さえ理解していれば良いとか、一部の理解力の優れた人々に理解してもらえば良いと言うものではありません。勿論宗教でも言葉の持つ内容が解らない人に、無理に理解していただく必要はありませんが、できるだけ誰にでも解りやすく、表現しなくてはいけないのです。
GLA教祖高橋佳子は、当人が哲学を学んでいたと云う事情もありますでしょうが、教えの中に、「愛ならば何を行っても良い」と云うものがありましたが、言葉としての教えでは間違ってはいないのです。どう云うことか?と言えば、上記に示すように、愛とは正しさであり、善であり、真心なのです。したがって、正しくないこと、善でないこと、真心であるとは言えないことも、行ってよいとは教説していないのです。もっとい言えば愛でないことを行ってはいけないと附け加えなくてはいけないのです。しかし、愛は感情ですから感情の中身など自分にしか分らないのです。高橋佳子の教えが独善的で、欠陥もここにあるのです。
2010年10月14日⇔木漏れ日の空間「愛の概念を変えなくてはならなくなります」より
2012年01月12日
社会から精神異常者を区別できなくなる
霊的には謝罪されれば許す義務があると仮定すれば、許すことにより事態がより悪化すれば、許す義務があるとする思想の持ち主と教説した人の責任になります。高橋佳子が私を護っていたと主張すれば、側近の立場で護っていたことになります。但し、私の理解です。他の立場で護っていたかも知れません。その立場が判る人は、私より格上の霊魂です。ずれにしろ私は関知しません。この世には、自然を含めて非合理的なことがありますが、人間や人間社会に非合理性があれば排除すべきです。理由は精神病者を排除(区別⇔オームの麻原でも精神異常者ではないのかも知れません。専門家にお訊き下さい)できなくなります。
2010年11月06日⇔「社会から精神異常者を区別できなくなる」より
2012年01月09日
許されているか?どうか?は、どちらに反作用が起きたかです
事件解決は私の胸の内三寸にはないのです。そのように見えるとすれば、その見解(多数意見)は、事後の責任の所在について悪魔(悪魔の示す現象)に追い込まれているのです。私の責任で解決してもらう性質のものではないのです。以上は私自身の創作想念なら関係ありません。神社仏閣の祭司で道徳、倫理を説く立場にない人は、心情的ドライアイスになっている人もお見えかと思いますので、官憲に携わる方は必要のない霊的な事柄、意味を深く追求すべきではないと思います。霊的には越権行為とみなされても仕方がなく、それなりの反作用(該当人には不都合)も又、仕方ありません。
倫理を説く者は矛盾、その他の間違いがあってはならないので、一定の追及は止むを得ないと思います。逆説的に云えば宗教、又は倫理を解けば心情的ドライアイスから解放されるとも考えられるのです。意味するところは来世の下準備と云うこともあり、本人も解らないのです。身近なひと以外は、周りの人が口出しすることではないのです。私は一定の説明は許されているのです(一定は、他人から口出しをされるべき事柄ではありません⇔政治とは違います)以上は全く正しいと云うことも、的を射ていないとも考えられません。判断する人の問題です。以上は想念上で示していた見解です。
許されているか?どうか?は、個人に関しては、どちらに反作用が起きたかです。許されるか?どうか?は、公けに関しては、他人の間違いを利用したか?生かしたか?になります。いずれにしても私の判断できることではありません。想念行為に関しても説明しなければ霊的絶対強権制度が樹立されます。ドライアイスの例(1)、「矛盾がないようには生きられない」従って説くことも批判することもできない。ドライアイスの例(2)、「一つ説明すると次々に説明をしなくてはなり、最後は切り合いになる」したがって何も言えない。上記は先に唱えた人がいても後追いではありません。
2010年11月05日木漏れ日の空間「許されているか?どうか?は、どちらに反作用が起きたかです」より
2012年01月02日
為政者も独自に霊能力を身につけなくてはならなくなる
高橋佳子は眼下に着くも、呼応するも、その他これまで通り独自の思想の啓蒙も、霊子線を切るも(私に関しても)自己責任になります。私は、この世の社長やお抱え弁護士様の役目はご辞退いたします。役目は出向社員か派遣社員になります。どちらかはあの世に還ってからでないと判らないようになっているのです。お抱え弁護士様の役目が成り立てば、一番力のある霊能者を金銭その他のこの世的力で支配できることになり、霊的権威はなど意味がなくなり破滅の道を歩くことになります。強要も同じです。
循環文明二順目の社会では国政に携わる志を持つ人は独自に霊能力を身につけなくてはならなくなります。但し、一番霊能力の強い人が為政者のトップに立たなくてはならない制度では、真剣勝負の選出はトーナメント方式になり、霊的絶対強権体制の樹立になります。霊的事柄には逆説的にもいみがありますので、国政に携わる意志を持つ人は、志に応じた条件(必ずしも霊能力でなくてもよい⇔高潔な心には必ず種類は別として霊能力が与えられるようになっているのです)が与えられると考えてもよいのです。邪な志、手段は、 技や術に傾き最後には破滅することと思います。
2010年11月04日⇔「為政者も独自に霊能力を身につけなくてはならなくなる」より
2011年12月31日
神の裁きは社会風潮にあるのです
官憲が無意識(目的をキチント自覚していないもの)の内に特定の目的をもった作為が条件反射のようにできるようになっては、世も終わりです。上記については理解できる同僚にお聴き下さい。和子が、(結婚の挨拶状は貰わなかった)「私も夫婦関係が悪くなった」と口実をつけて面会にくるとの想念が入りました。彼女は上記に類するいたずらをするような人間ではありませんが、官憲から指示されれば従うことでしょう。葬儀の時間に間に合わないように連絡したのは、自覚的に行われたのか?縁切りは誰が仕掛けたのか?自覚的に行われたのか?私が先に仕掛けたことにしてもらっては困ります。以上は後から気付いたことです。
如何にさばいても暴いても、善悪を基準にしても、道理筋道を基準にしても、私には何らキズは出てはこないのです。一郎なら、仲立ちに仕立てて、間接的に自称養父と議論できたがと思う。結果として自称養父が謝罪しなくてはならなくなったい思う。それも危なかったのでは仕方がないだろう。なるようになっただけです。勝ち組に組しなくてはいけないとの、社会風潮に支配されていると認識します。勝つことを考えなくてはならないではないか?現在では勝つことばかり考えているとも言えるのです。間違いなら神の裁きを受けるだけです。神の裁きは間接的なものも直接的なものもいろいろあり、前もって人間に判る分けはないのです。
私が結論を出したら、次々に結論が出たとすれば、云うならば最後から始まり、はじめに遡って行くドミノ倒しと同じになります。最後=結論結論ですから変えることは不可能です。自分の判断でかえると稲葉の白ウサギに相当する行為になります。従って個人的にも変えることはできません。以上についても、私は、事実の認証はできません。意志の問題ではなく不可能なのです。尚、大川隆法は自ら神とは言っていません。会員に言わせていたのです。国家権力が私に謝罪しないで、難事を乗り切るには当方のインターネットでの事件公開を停止させることは必須条件なのです。その他には強権の発動があると思います。しかし、対象を間違えれば、霊的(神に象徴される権威)には乱用もしくは不正行為になります。
私が自然死すれば、高橋佳子、大川隆法のカルト連合が、この世を仕切る可能性があります。為政者国際連合は、罪に問われることになります。しかし、為政者国際連合が私を殺せば、カルト連合に対して申し開きができます。勿論、両者の内勝ちを収めた方に対してと云うことになります。(両者の思想は、互いが上下関係を決しなくてはならないようになっています)又、高級霊魂が宗教を説く偉大な人間として現われても、政教分離体制を維持する為には、為政者がこの世的なトラブルは解決しなくてはならないのです。以上は、大筋であります。又、事件解決の邪魔になる文面とは思いません。倫理を説くを殺してはいけないと云う掟があるとして、私は、彼等の霊思想の中では、過去生に霊的掟を破ってるから、彼等に敵視れたのかも知れません。 (2010−10−28)
2010年11月03日 ⇔「神の裁きは社会風潮にあるのです」より
2011年12月26日
法冶破綻国家の対策は出向社員の仕事か?
財政破綻国家とは聞いたことがありますが、法治破綻国家の対策はありますか?両者とも外国の介入は仕方がないと思います。神に象徴される霊存在は、「自分に都合の濃いことは聞き入れてはもらえない」はずです。国際社会としても神にお任せできなくなるでしょう。介入は正当化できると云うことです。それも力勝負の領域です。私はいたずらに抵抗しているのではありません。人権侵害の実害は薄れましたが、今度は、霊的に迷わないで済むように努力しているのです。凌辱獄門に関する私の決断は必然の帰結です。想像の世界で現実を決定することは致しません。推測でも同じです。
私は系列親会社(霊的な世界)の出向社員か?系列とは関係ない別会社の派遣社員か?は知りません。いずれにしても経営業務には参加致しません。できないようになっていることを真摯に受け止めています。会社の経営破綻の責任は私にはないものと認識しています。選挙権参政権はこの世的な事柄です。尚、個人にとって霊的世界は時間が異なれば別の世界になります。例えば、AさんとBさんが江戸治時代に友人として生きても、転生の時期が明治と平成になれば、別の世界に生きたと云うことです。縁が一時的には切れたと云えます。
極端な想像をすれば、未来の世界から出向く社員としてこの世で使命を果たすと云うこともあり得るのです。同じ次元内の出来事と云えます。上記は、この世の現実と照らし合わせて、如何に可能性があるように思えても、悪魔でも想像の世界であること自覚しないと迷います。もう間違いないなどと決定(決断)すると、絶対に大丈夫に思えることでも、愛を伸ばした瞬間に、地面が裂けて地獄に落ちることもあり得ます。他のページで、覚悟について述べましたが、この世的な現象を対象とした記述であり霊的な意味を対象としたものではありません。霊的意味の先取りは危険極まりないことです。
不思議なことを述べることになりますが、霊的事柄は、事実であっても先取りすると事実ではなくなると考えなくてはならないのです。但し、以上もこの世的な理解であって、霊的には真実とも言えるのです。要するにはじめから真実だったと云うことです。言わば官憲の対処と同じ様相が起きると考えれば理解し易いと思います。しかし、真似が通用するとは思えません。お気を付け下さい。現実を考慮すれば、官憲の中にも個々には判っいる人がいても、一般に対して言うことはできないのです。やはり一定の説明は止むを得ないと考えます。
但し、私は、私に関する事柄以外の一般的な現象については関知いたしません。姿勢も崩すことはありません。又、神の裁きが始まっいると認識した言動をとることをお勧めします。ご了承下さい。法治破綻国家は、外国は、無理して手助けすることはないと考ええられます。趣旨変転しておりますが、要望を行ったのは豊田章一郎(想像の範囲のもの)であって私ではありません。ヤルべきことを行って不可能なら、当事者たちは、瓜分の利も天の賜物と解釈できるのです。日本からすれば、瓜分の難であり、私を殺せば厄介が発生するだけです。日本の政治家にも理解できる人はいるでしょう。天は自ら助ける者を助けると云う諺があります。
2010年11月01日⇔「法冶破綻国家の対策は出向社員の仕事か?」より
法冶破綻国家の対策は出向社員の仕事か?
2011年12月22日
矛盾そのものは罰することはできない
自他に拘わらず過去世を知っていると云う、ことと想像できると云うことの違いは、知っていたら、一つしか提示できないのです。想像なら様々に幾つでも禎司できます。連想を働かせれば、高橋佳子、大川隆法の両者は来世は倫理を説けなくなっていてもよいのです。所詮、この世は矛盾に満ちた世界であります。従って矛盾そのものを罰することはできません。唯、矛盾から誘導された結果には責任があり、処罰されるべきものもあります。特定の矛盾が悪を誘導する可能性があれば、事前に排除しなくてはいけません。宗教、道徳道徳の教説に矛盾があってはいけません。教説でなく個人的な言動であれば、矛盾は仕方がありません。改善がなければ他人と次々に、力勝負になるだけです。
真実の力は愛なのです。私は真実の愛は知りません。唯、試行錯誤はできます。自分勝手の尺度で、より真実に近い概念を選択することしかできません。一つ説明すると次から次えと説明しなくてはならなくなります。縁起の法則と云えますが、密教系では、上記現象を受け入れないものもあると考えられます。しかし、全く説明がなければ禅問答になります。私は、適当なところで説明は打ち切るべきだと思っています。上記の「私は真実(の愛は)知りません。唯、試行錯誤はできます」の記述を、ノウハウ事件や凌辱事件に置き換えれて、真実のところを事実、思考錯誤のところを推測、想像に置き換えれば、そっくり事件に通用しますので、ご理解の参考にして下さい。尚、神の概念についても思考錯誤を途中で打ち切ったものです。
2010年10月31日木漏れ日の空間「矛盾そのものは罰することはできない 」より
2011年12月18日
使命に反することは致しません
私は、腹の内を明かすことなく最後の切り札を隠し持って、世渡り先導するような人とは、来世の縁を持ちたくはありません。先導されれば受けて立たざるを得なくなります。世の人々が互いに同じようなことを行わなくてはならなくなります。感性や波動で危険を感じた人は、先手で受けて立たざるを得なくなります。そのような立場になった人を非難するつもりはありません。さらには、仮想敵対者と先手を互いに読み合えば、実際に切り合った瞬間に最終結果を迎えることになります。従って最後の切り札を隠し持って、世渡り先導するような人と手を組むこともできません。理由は、常に先手で正当防衛を読み合っていなくてはならなくなるからです。
受けて立つ行為は、道徳的には正当防衛なのです。受けて立つことのできる人は能力のある人なのです。良心的でも能力の劣る人は支配されることになります。私の使命に反することですので妥協はいたしません。何でもかんでも妥協するつもりはありません。妥協して良いことといけないことがあります。(高橋佳子がダウンについても責任は持ちません)如何なる人も、私のアイディアを利用したければ利用していただいて結構です。結果は自己責任とさせていただきます。信念を持つと他人の結果が出てから、自己決定を行う必要があるのかも知れません。それでは、一人の人の信念は貫けても多数の人のそれぞれの信念は貫けません。
2010年10月28日⇔木漏れ日の空間「使命に反することは致しません」より
2011年12月14日
要望と解説
来世の設定は、逆三角形の人生はお断りです。お断りは人生の常道です。呑める訳はありません。一年B組の優等生が現われましたか?公開した記事の内容に矛盾があればお知らせ下さい。知らせると生じる矛盾もあるかも知れません。優等生なら意味の説明は不要と思います。そちらでお聴きください。しかし、物語風にして指摘すればできます。私は自分の波動の知りません。他人を検査すると自分も知られます。私は波動の色の判った人もいます。即座に調べに来たのだなと云うことも解りました。尚、調べ方にもにもいろいろあります。自覚的に調べる方法と、リトマスペーパーのように反応を見て判断するものがあります。反応で判断する方法には、さらに二通りあり、試すことを自覚している行為と、無自覚的に行われるものです。
即ち、愛その他の善と錯覚している内容をもつものです。霊的に捉えれば、無限のところに原因があり得るのです。即ち過去世の意識が原因になっていれば、自覚できるはずはありません。正当化するか謝罪するか二つに一つです。第三者から見れば錯覚による間違いのように見えるはずです。霊的に目覚めるとはどう云うことか?知りません。しかし、想像は様々にできます。提唱した人の説明すべきことです。又、良心を捨てることができるのか?どうかも?知りません。捨てることができるとすれば二通りあります。一つは良心が邪魔(行うと抵触することとは違う)になっていることを勇気を持って行うことです。もう一つは、徹底的に正当化を行うことです。しかし、両方とも見栄えが良いとは言えません。
私の幼少時代の遊びの一つに、段々畑の石垣にはいろいろな高さがあり、飛び降りる高さを競うものありました。(足腰が鍛えられているのです)目を閉じて飛び降りることも試しに行いましたが、極低い高さからしかできません。大変危険な行為であることを知っています。したがって類似行為は致しません。事件の報告は良識的責務は、大海勉君にあると思います。私には命じる資格はありません。当事件のこの世的テーマは矛盾をどう捉えるか?であり、一つの構想ととらえれば、神の創作としか言えないのです。もっと言えば神は存在すると認識せざるを得ないのです。但し、私にとってはと云うことであります。前記の飛び降りる危険は寝目を閉じてでありまして、目を開いてとすり替えないようにしていただきたいと思います。
2010年10月27日木漏れ日の空間「要望と解説」より
2011年12月09日
不法行為なら警察は逮捕できました
人権擁護委員会に提出した言行と同様原稿を名古屋のアメリカ領事館に投稿するにあたり、目的は違いますが、(書類は参考書類になります⇔すりかえるなということです)その行為を予告してあり、投稿時にし私服の若警察官らしき人が、私の行為を見ていたのだから不法行為に相当すれば、逮捕すればよかったのです。現場で不信行為にとして職務質問もできたのです。しかるに警察からの連絡なにもありませんでした。(他の領事館には郵送しました)上記に関して、既に解っているようなことを記さなくてもよいとのご意見もあるかも知れませんが、私からすれば、関係する方面に知らせてはないと受け取れます。
例えば、国際問題になってからは、ロシア、中国(目的タイミンクをすり替えないようしてもらいたいと云うことです⇔即時に国際社会に報告することではない⇔犯罪ではない)検察は1矛盾を創らないよう願います。靖を含めて、四等親以内の親族で、事情聴取を受けたら報告してもらいたい。私が嶽道様にお参りする(多分お礼参りの意味と思う)必要があれば、以上の良識的責務を果たしてからにしてもらいたい。私は、靖が嶽道様の御守役を行っているかどうかは知らないが、可能性としてあると思っています。(五才頃祖父に連れられてお参りした記憶がある)以上は啓蒙の立場からすれば、霊的観点からも公開できるものと思います。自助努力の内容を含めて、なくてはいけないと云う意味。この世的利害損得ではいけない。
私は、霊的意味に深入りするべきでははないと主張していますから、深い意味を知りません。しかし、様々に想像はできます。どれが真実かは知らないと云う意味です。過去が化変えられるならるものなら全てが虚実になり得るのです。(意義を変えることはできる)伝説では釈迦も霊的に渡り歩いていると云えます。唯、時代は映り、道徳も変わっています。また、好奇心と興味本位は違います。興味本位で渡り歩いてはいけません。すり替えないで下さい。霊的規則に反する内容、又は矛盾が゛あれば電話又は、この世的手段でお知らせ下さい。テレパシーは精神分析の知識を応用で身に付けることも可能なものと考えます。実際にアドバイスが行われているのです。
霊的意味の深入りに関しては、特定の宗教組織などで師事している人又は、神社仏閣の祭祀に携わる人達や個人で修行を行っている人達には関知しません。立場の異なる人達と、すり替えないようにお願いします。私の対象としている人達は一般人なのです。上記に関して如何なる立場の人も全てを明からさまにすることを示唆するものではありません。公開できない部分を私の責任にしてもらいたくないだけです。尚、謝罪と償いの関係を例示すれば、私は娘の純子にある件で謝罪しましたが、償いを要求されれは、本人の自己責任を追及しなくてはならなくなったのです。要するに先に全体に関して謝罪したのです。謝罪と償いの関係に着いては、ケースバイケースとなります。加代子さんのお母さんが嶽道様に願掛けがあっても私から出向くことはないのです。
2010年10月24日⇔木漏れ日の空間「不法行為なら警察は逮捕できました」より
2011年12月05日
一般大衆の閲覧を対象にしてものです(2)
前ページにつづき・・。 GLAに所属していた以上、幹部会員を咎めるのは自分で行わなくてはいけなかったのです。教祖に依頼してはいけないのです。私が教祖の立場でも批判を次々に「垂れ込まれて」は組織は維持できなくなりますので、拒否します。そのようなことは受け入れません。密教方式なら私が教祖でもに謝罪されれば許します。謝罪されて同じことを行っていれば許しません。何処まで許すか?は相手と内容を観てから決めます。しかし、教祖によっては間違いに自ら気付くまで許すと云うものもあるのです。教祖が神でも組織は維持できます。組織内では通用します。責任は全人類にあると説くこともできます。神でなければ、教祖の自己責任なのです。教祖でなくても自分が神なら神の定義がキチンとできなくてはいけません。
自分は神であると云ってはいけないと云う法律もなく、精神異常者が言っても罰する法律は創れないのです。「お前は精神維持用者だ」と言えば泥試合になります。キチント定義ができたか?どうか?は客観的に判断れなくてはならないものなのです。要するに最後は、「殺し合いを行うのではなく」又、最後でなくても任意の途中でも「この世のルールで解決しなくてはいけないのです。当事件は任意の途中ではこの世のルールに持ち込めなくなっていたのです。その責任は高橋佳子と大川隆法です。宗教でなくても組織を運営する以上、一々メンバーからトップに直訴する道は閉ざされていてもよいのです。但し、人格をみがくと云う目的ではないものは、あまり芳しくはありません。常識の範囲内のものです。直訴すれば死ぬと云うことがあってはいけません。
2010年10月29日⇔木漏れ日の空間 「一般大衆の閲覧を対象にしてものです(2)」 より
2011年11月29日
一般大衆の閲覧を対象にしてものです(1)
私の思想に関連して、何について自信があるか?問い質したくなる人は、自分で回答を見つけて下さい。結果は自己責任になります。当事件に関して、谷口建彦の教説の被害被害に遭った人は公開していただきたいと思います。但し、同様内容のものを警察に提出してから、(私に縁のある人や新たに縁のできた人達に坂本竜馬気どりで、次から次えと無断で関わっていた形跡がある⇔外見を一見すれば確かに坂本竜馬のような振る舞いがあります⇔坂本竜馬は無断で行ってはいなかったはずです⇔坂本竜馬の生まれ替わりとは認められない)当事件以外の人達の被害に関しては公開を要請するものではありません。
「縁を切りたければ切ってみろ!」だと、「お前は神だと言いたいのか!」猛烈な矛盾だぞ!「切りたければ切れ!」と言わなくてはいけないのだぞ!縁の維持に関しては、本人が決めるですので他人のことは、家族と言えども口出しするつもりはありません。論議を吹きかけてきたものが、幸福の科学に属する者なら、「家族を質に取る気か?」私は死んでも宗教理念と啓蒙のノウハウは生き続けるのです。(誰かが部分的にしろ取り入れる)子供は引きつがなくてもよいのです。宗教組織に所属する必要があれば、自分の好むところに所属すればよいのです。「自己責任なのだ!」必要がなければ、無神論者になるか?自分の宗教に生きるか?二つに一つになるのです。靖もある意味では、自分の宗教に生きていると言えるのです。
谷口建彦は、娘の純子に私が、GLAに送付した思想の内容を娘自身の生活の周り説くように勧めていた様子が感じられました。、宗教と云うものを知らない者が行うことなのです。悪魔の業と云えるのです。宗教は思想ですのです。親子といえども思想は違うものなので、学ぶことはできても引きつげないのです。自分から進んで引き継ぐことは、形だけの真似でも、新たな要素を取り入れても自己責任になるのです。アドバイスするなら、行ってもよいけれど「お父さんの真似をしてはいけない」言うしか仕方がないのです。何で、彼が東大卒なのか?理解に苦しみます。肩書に惑わされないように行わなくてはいけません。
2010年10月21日木漏れ日の空間「一般大衆の閲覧を対象にしてものです(1)」より
2011年11月24日
感性や波動で判別した方が確実です
私は、腹の内を明かすことなく最後の切り札を隠し持って、世渡り先導するような人とは、来世の縁を持ちたくはありません。先導されれば受けて立たざるを得なくなります。世の人々が互いに同じょうなことを行わなくてはならなくなります。感性や波動で危険を感じた人は、受けて立たざるを得なくなります。そのような立場になった人を非難するつもりはありません。受けて立つ行為は、道徳的には正当防衛なのです。受けて立つことのできる人は能力のある人なのです。私は、盲目的な妥協するつもりはありません。(妥協して良いことといけないことの判別ができなくてはいけません)
不調和を一足飛びに感化することもできるかも知れません。有るとすれば、感化方式とな名付けてよいでしょう。対して妥協を経て調和させる方法は、説諭方式と言えるかも知れません。適当な表現がありませんが、説諭方式もベースに感化できるものがなくては難しいでしょう。感化の根源は波動なのです。何事も一律に、調和を目的として妥協しなくてはいけないと云う考え方は、学業優等生の考え方です。波動には良いものも悪いものもあります。妥協していると逆に悪影響が及ぶものもありますで、悪いものは、キッパリと縁を切る必要があるります。但し、自信のある人はその限りではありません。
2010年10月21日⇔木漏れ日の空間「感性や波動で判別した方が確実です」より
2011年11月12日
今後は常識的で初歩的な説明は控えます
さらに余計なことを記せば・・。密教では上記の子供に説明するようなことは行われないのです。自分で気付かなくてはならないのです。それが修行であり、ついて行けるところまでが自分の肉であり血なのです。だから下から上は観えなくなるのです。したがって序列もできるのです。反面私のやり方即ち説明方式には、当然、密教系から批判があると考えられますが、私の抱える事情から説明は止むを得なかったこととしてで、自然に行ったことです。即ち、神の計画に従っただけで他意はなかったのです。しかし、初期の目的は一応達せられたことであり、何時まででも自ら回答を見出そうせずに説明に頼る人を相手にすることもいたしません。
今後は説明は控えることにします。但し、想念上では説明を続けられる間は続けます。想念は受信能力に意識の高尚性の問題が入ります。たとえば高尚性が劣ると、小学生に三角関数を教えるようになり、説明しても届きません。さらには、私自身ほ能力の保証はないのです。霊的な計画に関しては、高橋佳子も同じことを言っていたかも知れませんが真似をした分けではありません。霊的な事柄は深遠なのです。又、この世で絶対に面会してはいけない人と言われている人とは面会いたしません。例え真実でなくても、指摘した人の責任が残るからです。
検察や警察の幹部を務める人がいなくなることはあり得ないと思います。武田信玄や上杉謙信、織田信長、伊達政宗と云った人達は十代からトップを務めてきたのです。現代でもいないはずはないと思います。勿論能力の形は違うと思います。神の裁きが期待される社会がくれば、二十代で官憲の幹部を務める人が出てくることは容易に想像できます。私が神なら、審議も何も行わないで、さっさとキズ者はゴミ箱に入れて捨ててしまうでしょう。そのような機能が働きだせは志願者などいくらでもでてくるのです。
高橋佳子(とっくの昔に他界しているかも知れない)が又、怪しげなこと、即、「自分が神の代理を行うつもりだった!パートナーようやく育てあげることができ。待ちに待っていたことだ!今行う」などと・・。要するに化身となった悪魔の姿で私を磨き上げたと云うものです。確かにそのような感じを受けましたが、私の想念の回路のパターンがそのように生じる方向に設定されて、事件が解決しなければ、治らないのかも知れません。事実かどうかは私は確かめることはできませんが、想念があったことは間違いありません。事実なら民衆のマインドコントロールの元になりますので放置できません。忠告します。双方が互いに相手の腹を読み先手々と行くことを考えれば、即ち、ウラでは最初から対決になっているのです。
2010年10月20日⇔木漏れ日の空間「今後は常識的で初歩的な説明は控えます」より
2011年11月08日
何人も指示や要望は言葉や文書で行ってもらいたい
如何なる理由があろうとも一つの家庭の中で家族が事実を話せず、知っていなが知らぬ振りをして暮らすなどと云う条件が有ってはいけないのです。それは、例え私が犯罪を犯していたとしても同じことなのです。社会生活に不都合はなくても不愉快極まります。(トボケを行う方は、正当な理由があれば不愉快でも何でもないのです。習慣化して他事に関しても同じように行う癖がつくのです)短期間又は改善の見込みがあれば我慢もできますが、永久に改善されない可能性があるのです。
想念行為で指示又は要望などを行っても意味はありません。意味を持たせる必要があれば、言葉や文書で伝言その他の手段で通知する必要があります。云うならば、想念上の行為に上塗りを行っておくことです。そのような行為があれば信頼関係築けます。信頼関係があれば、想念上の行為も通用します。但し、手段はあくまで手段であり見せかけで逆用することもできます。しかし、信頼は失います。私の家内に、無言の内に公安当局の意向を示唆などで理解させようなどとしていただくと、連想力が弱いので、 無理に連想させると、記憶喪失などの症状がでる可能性があります。
意向は言葉でハッキリ伝えていただかなくてはなりません。家内の記憶喪失は、既に経験があります。記憶喪失の事実は知っていますが原因は追及しようがありませんので、上記要望が正当性があるか?どうか?は雅子さんに聞いてください。上記に関して国民の皆様にお願いがあります。家内の実妹である水渓雅子(いずれ住所、電話番号を公開しますが、無碍(ムゲ)なこともできませんので、今は差し控えさせてもらいます)雅子さんが官憲に拘束されているなら、無理なことも言えませんので事実が話してもらえるようご協力をお願いします。官憲以外に拘束できる人はいないはずです。最早トヨタも、幸福の科学もその力はないはずです。
2010年10月19日⇔木漏れ日の空間 「皆様方にお願いします」より」より



