2006年02月26日

旅の記録 江戸城外堀_四谷付近


外堀_食違見附より四谷駅方向dote_1    四ッ谷駅付近の外堀は埋立てられて、堀跡は中央線線路のほかに千代田区立外濠公園総合グランド(野球・テニス場)・土木学会施設・四ッ谷駅関連駅舎建物&商業施設・上智大学関連グランドなどになっています。JR四ッ谷駅麹町方面出口近は、江戸時代「四谷見附枡形門」があった場所ですが、現在ではその上に大きな木が植わった石垣の跡があるだけです。


四谷見附跡y_mituke_3     駅前の案内板によれば、『四谷見附は外麹町口、四谷口門、四谷御門とも呼ばれ、寛永13年(1639)長州藩主毛利秀就によって石垣の工事が始められ、櫓門は寛永16年(1639)四谷口普請奉行室賀原七郎と大岡左衛門正清によって建築された。見附とは城外を見張るために設けられた番兵の居所という意味であり、江戸城では濠沿いに36ヶ所あったといわれ、枡形形式であった。枡形門とは近代の城に特有の形式で、敵の進入を防ぎ易い構造の門であるとされていた。四谷見附は甲府へ至る甲州街道にあり、江戸城の西の玄関口として江戸城防衛の要所であった。・・省略・・』
 四ッ谷駅と四谷見附跡 y_mituke_6    なを、JR飯田橋(牛込見附跡)から中央線沿いに続く外堀土堤上の遊歩道公園(外濠公園とよばれており、2.5km余りの土堤の両側に、ソメイヨシノが植樹され、石灯篭跡も残るなど、江戸時代の面影を見ることができます。ちなみに、遊歩道上にはベンチや公衆トイレ、児童公園などが整備され、一部には照明の設備もあります。)は、新見附橋の袂及び市ヶ谷駅付近で途切れますが、同様に四谷見附跡で新宿通りを挟み、途切れたあと食違見附(紀尾井坂の上)まで続きます。四谷駅周辺の土堤上遊歩道は、5m以上の幅があり、濠に水がないのが残念ですが、桜の季節には花見の宴会をするには好立地です。
  新旧の四谷見附橋   no_y_mitukehasi    余談ですが、江戸城最後の工事として三代将軍徳川家光の頃、寛永13年(1636年)、外堀が造られ、神田川とつながり、掘り取った土は、九段、麹町、番町などの高台に積まれて土塁にされたそうです。堀には石垣を築き、要所には城門が設けられ、門には見附番所が置かれて門番が警備にあたりました。外堀は、現在よりも深く広かったといわれています。明治以後、外堀の一部は中央線の敷地となり、太平洋戦争後もさらに埋め立てられ堀跡の外濠公園等ができたそうです。

四谷見附跡配地図_案内板 y_haiti
外堀散歩案内板 sannpoannai


案内板に四谷見附の絵図がありました。新四谷見附橋(実際は斜め方向の古い四谷見附橋)方向から高麗門に入ったようです。なお、現在残る四谷見附跡石垣は絵図の左側とおもわれる。

 四谷見附絵図 ezu_1
  四谷見附跡  y_mituke_2

 四ッ谷駅(JR線の上に地下鉄のホーム) eki_1  
 JR中央線は明治27年に外堀の一部を埋め立て甲武鉄道四谷駅として開業しました(四谷駅麹町駅舎下から四谷門枡形石垣が発見され、駅舎下に現状保存されています)。現在の四ッ谷駅は地下鉄丸の内線、地下鉄南北線、JR中央線の三駅が同居しています。JR四ッ谷駅は橋の上にある感じで、その下を中央線が走っています。面白いことに、線路の位置はJR中央線が下を走り、上を地下鉄丸の内線が走っています。普通の路線と上下位置が逆です。

 JR四ッ谷駅ホーム JR_1
丸の内線四ッ谷駅ホームEki_2
 JR四ッ谷駅(この上が丸の内線) JR_2
丸の内線四ッ谷駅eki_3


外堀通り側からの写真(H18.03.25撮影)を追加します。桜が咲き始めました。外堀を埋立てた上智大学真田掘グランド上にいる学生との比較で外堀土手の高さがわかると思います。

上智大学グランド_1Jyoutigrand_1.jpg
上智大学グランド_2jyoutigrand_2

Posted by yoake at 19:04  | 江戸 , 旅行 , 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする