2012年05月26日

ある晴れた土曜、写真と映画(2)九段下にて

鋭意執筆中 → 多忙のため火曜日以降のアップの予定です
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ある晴れた土曜、写真と映画(1)築地にて

今日はあれこれ顔を出す日。その前にまず、所沢郵便局に行って不在時に届いた冊子小包を受け取ると、その場で梱包をほどいて、振込票を抜き出して本の代金を振り込み。

P1000910.JPGそのまま、最初の目的地の築地へ。築地本願寺の本堂で日印国交樹立60周年を記念するイベントの一つとしてインド大使館主催の写真展「仏陀の智慧の道」が開催中(5月25日〜30日)です。やって来たのは、この写真展のお手伝いをしたからですが、と言っても、私がしたのは少しばかりの調整だけ。

会場のスタッフに見知った顔は無かったので、お忍びでも良いかなと思ったのですが、いちおう受付には挨拶。

今回の写真展は、写真家のビノイ・ベール氏と松本榮一氏が撮影したインドから日本に至る仏教が過去・現在において伝わった地の仏教遺跡の写真を、前田專學東方学院長の監修のもと、本堂の壁面を回廊状に仕切り、伝来の流れにそって展示しています。


P1000913.JPG写真展を一通りみて境内へ。ちょうど震災復興支援活動「築地スマイル広場」のイベント「緑のマルシェ」をやっていました。まぁ、簡単に言えば、被災地支援の物産展ですが、出店の3分の2は被災地以外です。しらす丼や富士宮やきそばを食べてもなぁ、と言うことで、宮城県鮎川浜のくじらのみそ漬けなどを頂いていると、牛串を売っている女性に何やら見覚えが。あっ、女子プロレスラーの神取忍だ。

Facebookにそのことを書いたら、写真展には「いいね!」もコメントもないのに、速効でコメントが続々と(笑)お前ら神取に食いつき過ぎ。

売り子の神取から買った(築地へは一人で行ったので証拠写真は無い)牛串を食べ終わったら、さて、次へ移動です。

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2012年05月23日

風説の流布

高校の国語教師あるいは予備校の現代文・古文講師がたびたび口にするのですが、漢文は簡単だから高3の夏からでも間に合う、いや2学期からでも間に合う、非道いのになると、やらなくても点はとれるとまで言います。

漢文に対する無理解と蔑視とがない交ぜになっているのですが、常識的に考えて、漢文という中国の古典文章語を、訓読という技法を使って読解するという言語を、半年や3か月そこらで入試で合格点が取れるレベルに出来ると思いますか?

簡単な句法や重要語句を覚えるだけでも3か月はかかりますし、漢文の背景となっている中国の歴史・文化・思想に至っては、かれこれ四半世紀は漢文と付き合っている私でも自信がありません。

彼らの妄言によって、毎年、どれだけの受験生が、志望校に合格できなかったり、浪人することになっているのか。彼ら無見識な国語教師・予備校講師を懲らしめる術は無いものでしょうか。

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2012年05月22日

為義の最期

NHK大河ドラマの「平清盛」は面白いと思うのですが、なんで視聴率が低いんですかねぇ。

平清盛と言っても、保元・平治の乱に勝ち残り、武家の第一人者となり、二条天皇、後白河院と巧みに渡りあって、従一位太政大臣という人臣が達することのできる極位極官まで上り詰めた軍事貴族としての姿は一般には知られておらず、みんなが知っているのは、平氏が政権を握った以降の、源平合戦の敵役の清盛です。

馴染みが薄いのはいたしかた無いですが、あまり歴史の勉強をしてこなかった層に媚びるあまり、史実をゴミ屑同然に無視して、山内一豊や崇源院(お江)が身分や空間を超越して歴史的な出来事にすべて絡むような荒唐無稽な「伝奇」ドラマを大河ドラマの名で放映した愚行に比べれば、今の「平清盛」の史実との齟齬は、蚊が刺した程度でしかありません。

さて、「平清盛」は今週から前半の見せ場の保元の乱に突入しています。保元の乱を描いた軍記物語に『保元物語』がありますが、中世のテキストの常として本文が大きく異なる諸本が存在します。『保元物語』には異本が多く、岩波書店の「古典文学大系」の底本が金刀比羅宮蔵本、小学館の「新編日本古典文学全集」は陽明文庫蔵本という具合ですが、この2つは同系統です。

この系統での源為義の最期の場面は、自分の運命を歎き、人目につくのは恥ずかしいので首を早くはねることを求めるなど、小日向文世演じる大河の為義の小人物のイメージとあまり異ならないのですが、岩波の「新古典文学大系」の方が底本にしている、上記2本とは系統を異にする内閣文庫蔵半井本の源為義の最期の場面はなかなかカッコ良いです。半井本では、捕らえられ、息子義朝の手によって七条朱雀で処刑されようとする場面で、

弓矢取身の習、興ある事哉。伊勢平氏が郎等に引張れて出て、子共の面をや穢(けが)さんずらんと思つるに、我子に請取られて、年来の家人正清が手に懸らん事こそ神妙なれ。然も朝敵と成て切らるる事、誠に面目也。弓矢取身の名聞、何か是に如(しか)む。


と言い放ちます。朝敵となることを「面目」と言い、弓矢取る身(=武士)の「名聞」と言うなど、あっぱれ「もののふ」の面魂です。

善良なお父さんを演じることの多い小日向ですが、ここは映画『アウトレイジ』の悪徳刑事を演じた時のような凄みを出して、半井本系の台詞を吐いてほしいですね。

Posted by yohaku at 20:30  |Comments(0)TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

金環日蝕

あまり期待はしていなかったものの、起きてみると曇りがちの晴天というところで、お天道様がしっかりと拝めます。

金環日食が月曜日で良かったです。月曜日は重役出勤の日ですので、朝食を済ますと、いそいそと椅子を通路に出して、優雅に金環日蝕観測です。

廊下の左右を見ると、もう出勤しているはずの同じ階の住人の姿が(笑)有休か半休を取ったんでしょうね。

日蝕の状況を知ろうと、ワンセグを持って出たのですが、その必要はありませんでした。近所の小学校で、学生が集まって観測しているのでしょう。校内放送で逐一状況のお知らせがあり、ピーク時には歓声も(笑)


月曜日は帰宅がどうしても遅くなりがちなため、ゆっくり寝ていたかったのですが、わざわざ何処かへ出かけてゆくほどの天体マニアではないものの、子どものころ親にねだって天体望遠鏡を買ってもらった程度には宇宙好きですので、今いる場所で見られる天体ショーを見逃す手はありません。

それにしても今日もきつかった。会議の後で、エクセルの細かいデータを見続けていたので、ヘトヘトです。

Posted by yohaku at 23:55  |Comments(0)TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

お天気次第

最近、LOVELOGが重いのですが、私だけですかね。まぁ、更新が間歇的なのは、それが理由ではなくて、自分の体調と自分を取り巻く環境の所為なのですが。

P1000881.JPGさて、明日は関東南部で金環日蝕が観察できるというので、私も流行に乗って「太陽日食メガネ」を買いました。近視用のメガネの邪魔にならないように団扇型です。

準備万端ですが、明日の天気はあまり良くないようですね。所沢は一日中曇りの予報です。

無駄遣いで終わりそうですが、6月6日には金星の日面経過があるようなので、その時にでもメガネの出番がありそうです。

Posted by yohaku at 17:53  |Comments(0)TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月19日

近世文人の自筆資料とその他のこと

連休中、府中市美術館に「三都画家くらべ」展を見に行った時に興味を覚えた幕末の銅版画の展覧会が、2006年に天理ギャラリーであったのを調べたことまでは、このブログでも書いていたかと思いますが、天理ギャラリーのサイトを見てみると、「近世の文人たち─自筆資料にみるその人となり─」という展覧会を5月13日から6月10日まで開催するとのこと。

天理図書館には、江戸時代の学者・作家その他文化人の貴重な自筆資料が所蔵されているのですが、昨年の10月に奈良の天理図書館でそれらをまとめて公開した展覧会が、東京に巡回してきたものです。本居宣長の『古事記傳』や賀茂真淵の『萬葉考』など、むしろ本業に関するものですので、コレ幸いと、見に行くついでに、銅版画の図録も入手することにしました。


これも何かの縁なのか、本居宣長を軸にした日本宗教学会での発表題目をオンラインで申し込んでから出発。夕方から研究所の研究部会がありますので、その前に神田錦町の天理ギャラリーに寄って、そのまま本郷通りを北上して研究所へ行こうという段取りです。


天理ギャラリーは上田秋成展以来です。2年ぶりですが、この間に見ておかないといけない展覧会をしていたかも知れませんが、それは図録を物色して補完ですね。

講堂で日本オリエント学会が発表会をしていたので、あれ、間違えたかな?と思いましたが、展示室の方へ向かうと展覧会をしていましたので、一安心。

自筆資料といっても書簡から原稿までさまざまですが、原稿もまたさまざま。浄書されて、ほぼ版下稿といって良いものから、推敲の跡が著者の苦闘を伝えるものまであります。

本居宣長『古事記傳』、村田春海『贈稲掛大平書』、橘守部『稜威道別』などは前者ですが、賀茂真淵『萬葉考』、伴信友『踏歌考』、平田篤胤『赤縣太古傳』などは後者で、朱墨、胡粉、貼紙など、いまならワープロ・ソフトで簡単にできる推敲も、かつてはその作業自体がたいへんな労働でした。

その胡粉による修正跡がすさまじい『萬葉考』のところで、警備の男性と女性が「胡粉」がどうしたという話しをしていたので、ついおせっかいに、貝殻から作った顔料だよ、と口をはさんだら、その女性は館員の人でした(汗)

聞くと、展示して、展示品についての講習を済ませると天理図書館の学芸員は天理に帰ってしまうそうで、残された館員は、私のような物好きの質問責めに四苦八苦するそうです。白色の塗料についての質問について学芸員に問い合わせたら「胡粉」だという答えが返ってきたものの、はて「胡粉」とは何だ?というところに私がやってきたという次第です。

なぜかそのまま館員に対してレクチャーをする流れになってしまいました(汗)以前、秋成展を見にきたことがありますよ、という話題から、秋成とその妻瑚璉尼(たま)の話題が出たので、宣長とその妻勝、篤胤とその妻織瀬のエピソード、あるいは井伊直弼は国学者でもあるんだよとか、国学者の銘々伝のような話しをとりとめなく。

来館者の質問の中に、藤原惺窩の『惺窩姜沆筆談』で、どこまでが惺窩で、どこからが姜沆のものか、というのがあったそうです。専門家には分かることなので案外と必要性に気がつかないことですが、一般の人のためには矢印くらいつけておいた方が親切ですね。

また、学芸員の意図が不明ですが、契沖・荷田春満・賀茂真淵・本居宣長と足代弘訓の5人を一つの軸にまとめた肖像を展示しておいて、弘訓だけキャプションがありません。やはりこれも当然のようにこの名無しの人は誰かと質問されるそうです。


そんな雑談をして、買うべき図録も買って、研究所へ。またしても当日のご指名で司会になったのですが、今回は「胎内五位説」についてでしたので、まだ分かる範囲ですね。


帰途、今回の研究部会の内容から、未入手だった中村生雄氏の遺稿集『肉食妻帯考』(青土社)を買おうかなという気になって、書店で財布を開いたら、あら恥ずかしい。お金が100円ほど足りません(汗)店員に取り置きをお願いして、そのままATMへ。

貧乏人なんだから、財布にはお金が入っていないものと思っていないといけないですね。

Posted by yohaku at 22:31  |Comments(2)TrackBack(0) | 散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

愚者は話すまでは賢者だ

本土復帰40周年記念式典に出席するため沖縄入りした鳩山由紀夫元首相が、「自分の思いが先に立ちすぎて綿密なスケジュールを立てられなかった」とのたまったそうですが、誰だ、いったいこんな政治家とも呼べない素人を総理大臣にしたのは?

また、「他国の軍隊が一国の領土に居続けるのは異常。独立国の姿を取り戻さないといけない」とものたまったそうですが、気持ちは分かるが、一国の元首相がこれを言ったら、明日、アメリカから核弾頭が飛んできても何の不思議も無いですよ。根本的に外交センスが無い。アメリカをなめて仏印に進駐した旧軍のようなもんです。彼はアメリカ留学経験がありながら、いったい何を見ていたのか。

これまで鳩山元首相は近衛文麿の再来かと思っていましたが、これでも彼には過ぎたる評価です。「欧州情勢は複雑怪奇」と言って退陣した平沼騏一郎の再来と呼んだ方が適切でしょう。

政治家に「志」は大切ですが、それは必要条件であって、十分条件ではありません。「志」を実現する能力を持っていて、初めて政治家の十分条件となります。残念ながら彼には後者が致命的に欠けていました。未曾有の災害に遭遇した彼の後任もそうした不適格者でした。

処に人を得ないことは、小さな組織でも、大きな組織でも問題ですが、それが国家ならば大問題です。

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2012年05月13日

抜け落ちる亜細亜

録画しておいたテレビ東京の「美の巨人たち」を見ていてふと思ったのですが、取り上げるのは日本の芸術家でなければ欧米の芸術家の作品ばかりですね。

「美の巨人たち」に限らず、NHK BSプレミアムの「極上美の饗宴」も、NHK Eテレの「日曜美術館」も同様で、その他の芸術を紹介する番組はそろって日本でなければ欧米の芸術作品ばかりです。

アジアが抜け落ちています。それはもう、キレイさっぱりと。多少は教養のありそうな人と話していても、顧コウ中 の「韓熙載夜宴図」や黃筌の「写生珍禽図」などの名前を出した途端に顔から表情が奪われるのは、いたしかたありません。まぁ、これは中国美術の教養もないのに日本美術を語る手合いに対する嫌がらせなのですが(笑)

中国美術に限らず、インド、東南アジア、さらには西アジアまで、およそテレビでお目にかかることはありません。芸術における脱亜論はいまだ強固です。一事が万事で、日本とアジア諸国との関係に齟齬を生じがちなのは(アメリカ追随の外交という意味も含め)、なにも大東亜戦争の負債の所為ばかりではありません。

民放はともかく、NHKくらいは、アジアに目配せした番組作りをしたらどうかと思いますよ。

Posted by yohaku at 23:46  |Comments(0)TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

「報道写真とデザインの父 名取洋之助 日本工房と名取学校」展

旧都立日比谷図書館が千代田区に移管、改修され、図書館機能とともに、四番町図書館にあった歴史民俗資料館の機能も移転してきて、昨年の11月、千代田区立日比谷図書文化館としてオープンしました。オープン前、知らずに行って改修工事中で追い返されて以来、すっかりそのことを忘れていたのですが、今回、「没後50周年記念企画 報道写真とデザインの父 名取洋之助 ― 日本工房と名取学校」展があるというのを知って、迂闊なことですが、日比谷図書文化館の存在を思い出しました。

という次第で、早稲田大学の図書館に籠もる前に、日比谷図書文化館に寄ってみることにしました。改修しただけあって、手垢が着いた旧日比谷図書館がキレイになっています。地下にはLibrary Dining HIBIYAなるレストランまでありますが、丸善プロデュースだけに値が張ります。懐事情により昼食は日比谷公園のベンチでパンを食べて済ませ、写真展へ。

名取洋之助(1910〜1962)は、写真家であり、編輯者でした。昭和3年(1928)から7年まで、青春時代をドイツで過ごした名取は、昭和8年(1933)、「日本工房」を立ち上げ、報道写真、そしてその写真を記号して、それらを構成して一つの物語を作る組写真という手法を日本に持ち込みました。

しかし、名取の組写真は日本ではまだ新しい手法であったためか、日本工房の核となる仕事は『NIPPON』という外国向けの日本宣伝のグラフ誌でした。そこから『COMMERCE JAPAN』、『SHANGHAI』、『CANTON』、『華南画報』、『MANCHOUKUO』、『EASTERN ASIA』、『カウパアプ・タワンオーク(東亜画報)』という、日本軍のアジア進出に併走するグラフ誌を次々に発行してゆきます。

敗戦を南京で迎えた名取は、昭和21年に日本に引き揚げ、日本の『LIFE』を目指した『週刊サン・ニュース』を創刊しますが、1年半であえなく休刊します。むろん、まだ名取の理想は、日本の現実とは合わなかったためです。戦前の雑誌は、国策に沿うものでしたので、多少帳尻が合わなくても良かったのですが、戦後の名取の戦場は商業誌で、そこでは採算が取れなければいけません。その後、名取は、昭和25年(1950)に創刊された岩波書店の『岩波写真文庫』の編輯にかかわります。この頃になって、名取の組写真という手法が一般に定着するようになります。いまでこそ名取流の組写真はあまり見かけませんが、それは昭和30年代から40年にかけて濫費されて、すっかり陳腐化してしまったためです。最近では、また一周回って新鮮になってきた感じです。

組写真という手法の基礎となる“写真は記号である”という名取の思想は、一方で一枚写真による表現を「お芸術」や「俳諧趣味」といって嫌うものでした。しかし、今回の写真展では、名取自身の写真のほか、名取の編輯した雑誌にかかわった土門拳、藤本四八、木村伊兵衛、小柳次一、三木淳、稲村隆正、薗部澄、熊谷元一の写真がふつうの写真展のように一枚写真で展示されていました。これでは「報道写真とデザインの父」というタイトルが泣きます。

『NIPPON』を始め、『COMMERCE JAPAN』、『MANCHOUKUO』、『カウパアプ・タワンオーク』など、名取が携わったグラフ誌も数多く展示されていたのですが、いずれも表紙ばかりで、見開きになっているものがあまりに少ない。これでは「報道写真とデザインの父」と(略

まぁ、悪いことばかりでもなく、名取が編輯した経本折りの『NIPPON 日本』(1938年。土門の写真を熊田五郎が構成)が、屏風のように立てた状態で表裏全ページ見られるようになっていたのは上出来の展示です。


会場に入ってしばらくするとシャッターの音が。写真撮影禁止のハズだがなぁ、と思っていると、案の定、オヤジが職員に注意されています。ところが、このオヤジ、確信犯のようで、なんで写真を撮ってはいけないのか、道理に合わないと職員に喰ってかかっています。

やれやれ。見たところ全共闘世代のようですが、この世代はとかく反権力が好きで、かつて国家権力と闘って敗れた敗残のトラウマか、今では博物館の職員のような小権力に喰ってかかって溜飲を下げています。オヤジは元ジャーナリストと称していましたから、なおさらでしょう。

それにしても声がでかい。鑑賞の迷惑千万。しばらく我慢していたのですが、「問題意識を喚起するためわざともめるようにしている」というオヤジの台詞が耳に入って、私もスイッチが入りました。オヤジの独りよがりの正義のために、良質な鑑賞空間を破壊されては公共の道徳が成り立ちません。もめるオヤジと職員の間に割って入って、オヤジにはご退出頂きました。


それにしても、一度、生地の武闘派にスイッチが入るとなかなか「慈愛の人」(笑)に戻らないので困ります。月曜は重要な会議があるのですが、日曜のうちに切り替わらなければ、月曜は休もうかなぁ(爆)

Posted by yohaku at 23:44  |Comments(0)TrackBack(0) | 散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする