2012年02月01日
姉の急死、知的障害の妹が凍死の事件が報道されて・・・・・。


亡くなられた姉妹の冥福を祈るします。
ご家族が居れば悲惨なことにならなかったと思います。
両親の父が姉が中学の時に亡くなり、その5年後にお母さんを亡くし、姉のこずえさんが知的障害の妹のめぐみさんの面倒をみながら仕事を続けてたが、姉の勤めていた会社が倒産し育った滝川市で札幌へそこで、姉に脳内血腫がわかったのですが、この時のお姉さんは不安がと焦りがあったと思います。
病院で姉に起きた脳内血腫がどのようなものか説明を受けていたと思います。
脳内血腫については、下をクリックして下さい。慈恵医科大の脳外科。
http://www.neurosurgery.jp/jpn/neurotrauma/index.html#03
自分が倒れる前に妹を自立させようと思っていたことと思います。でも、グループホームでも受け入れて貰えず、生活保護課へ相談を3回も行っても手続きが出来なかったことも痛い程よくわかります。
そう簡単なことではないからです。
自分が治療で入院し、妹をグループホームに入れた場合、生活保護の住居保護が止まるので民間のアパートでは、確保することは出来ないのです。
すなわち、出されてしまうケースが多くあります。
県営又は都営ならだされませんが、民間はそうはいかないのが現状です。
障害を抱えている妹と二人でどうすればいいか、生きず待ってしまったのです。
ニュースでは、姉の脳内血腫による急死と報じられていますが、どの脳外科を診ても急死ではなかったと思います。亡くなる以前に脳外科で脳内血腫と診断をされていたからです。なので時間とともに血腫が大きくなっていたのだと思います。
その苦しみと痛みの中動けるうちにと思っていたのだと私は思います。
妹をなんとかして自立させてあげたかったと思います。
周りにNPOでもあったりしたら違っていたかもしれません。
障害や病気を抱えている末端はいつまで我慢しなければならないのと言う声を良く聞きます。
また、自分も今、母のことを考えると同じ気持ちです。
2012年01月22日
三丁目の夕日

先週と今週の二週続けてテレビでやっているのを見ていて何回見てもいいなと思いました。
今週の土曜日から三丁目の夕日64が放映されて見に行きたくなりましたが、映画館にはい行けないのが残念です。一作目が昭和33年ごろだと思います。自分が生まれた次の年でも幼い頃を思いおこします。ほのぼのとした家族や隣近所、幼い頃まだトロリーバスと都電が走っていたころを思い起こします。
そして、都内のJR(そのころは国鉄)は、全線チョコレート色の車両で間違えて乗ったりしたことや家の近くの子供が集まって遊んだこと上は中学生から下は幼稚園に入る前(自分)も一緒になって遊んだ記憶が戻ってきます。池に行ったり滝遊びしたり、オリンピックの年に新宿の小田急と京王百貨店の工事が始まったことも思い出します。まだ、のんびりしていたような気がします。みんな貧しくても和気藹々していたと思います。そこには相手への思いやりもありました。そして、悪いことをすれば自分の子でなくとも叱ったりしていました。
2012年01月09日
土曜日の晩から・・・・・。
身体の関節に痛みが強くなってしまいました。
特に左肩関節ところが強く未だに痛みがあり、息が苦しいのとのダブルパンチのところに昨夜と一昨昨日の夜中に母が、お腹が痛いよと叫んで、お腹の痛いところが胃のところだったので手を当ててさすってあげても酷く痛がるので、胃の薬の太田胃酸を飲ませて、胃のところさすってあげてだいぶ痛みが治まってホッとしました。もし、治まらなかったら救急車を呼んでかかり付けの病院に連れて行かなくてはと思いました。
もし、一人暮らしだったらと頭に横切りました。
高齢者の一人暮らし、特に震災で仮設住宅に非難された高齢者の一人暮らしをされている方達にも起きうることだと思いました。
急に具合が悪くなった時に電話などかける余裕などはありません。
自分も急に悪化して意識を失った時、母が居てくれたから良かったものの母が居なかったらと思います。
今日のニュース番組の中でも破産してしまいマンションのローンも払えなくなったことの特集をやっていましたが、旦那だけの責任にして離婚と言う方もいました、その方はお金の切れ目が縁の切れ目といっていましたが、それは家族のあり方、人として考えた時として間違えていると思います。
また、その方は、実家との会話がとれてなかったと言っていました。
それも家族として考えてどうかと思います。
家族としての考え方が、人の道理から考えた場合、間違っていると私は思いました。
親と子の関係を今一度考えるべきではないかと思いました。
そして、助け合うと言うことは、どう言うことなのか考えるべきではないかと感じました。
一部の人間だと私は思いますが・・・・・・・・・・。
そうでなければ、一人暮らしの高齢者が増えて行くことと、また、苦しみを1人で抱え込んでしまう状況が作られてしまうのではないでしょうか。
2012年01月03日
今日は、ガレットデロワと言うお菓子の日です。
2011年12月29日
三布告


三布告、みなさんご存知でしょうか。
私は、つい最近テレビのドキュメントでしりました。
自分の知っていたのは、敗戦の8月15日からポツダム宣言までの間で、日本を連合国で分割すると言う計画があったことは知っていましたが、三布告は知りませんでした。
三布告は、ポツダム宣言の9月2日の著印式から3日の朝方に告示する三布告についてGHQのマーシャル参謀次長より告げられ、その内容は一切の政府の権能を連合国最高指令官(SCAP)の権力の下に置き、英語を公用語とすること、SCAP命令違反者は占領軍裁判官が処刑する権限を持ち、占領軍の発行するB軍票を通貨として認めることなどの各布告からなりたって、完全なアメリカの直接軍政権が日本全土にひかれるところだったのです。
知らせを受けた外務省はすぐにミズリー号艦上での式に列席した岡崎氏を横浜のGHQに派遣し、2日の深夜にマーシャル参謀次長に面会し、三布告の公布の差し止めを要請し同意を取り付けて、翌日に重光外相とマッカサーの会見で、間接統治下の方向で妥結したのです。
それでも千葉県の館山では9月2日の翌日から4日間この三布告が実際に行われたのです。
もちろん、占領かされて日本に戻るまでの間、小笠原諸島と長かった沖縄は、この三布告下にあったのです。もし、岡崎氏と重光氏が動かなかったら今の日本はなかったと言っても過言ではないのです。
そして、沖縄の方達の苦しみを分かち合えるようにと思い、願っています。
小さい沖縄が戦中に大きい犠牲を受け、大勢の方達の尊い命が奪われ、占領下に置かれて本土復帰しても島の90%近く米軍の基地があること事態、問題なのです。
みなさんは、どう思いますか。
今回の福島原発事故にしても管轄の各省庁と政府の対応は、住んでいる人達への命に関わる問題をなんだと思っているのかと思うようなことばっかりで胸が痛みます。
言い逃れや責任の押し付け合いばっかりのように聞こえてたまりませんが、みなさんはどう思いますか。そして、本当に義援金は、末端の人達へ渡されているのでしょうか。
あれからもう、9ヶ月もたっていますがニュースにも聞きません。
こんだけの被害を出した原子炉はいらないと思います。
もんじゅの研究費用を考えたらもんじゅを止めた方がいいのではないでしょうか。
みなさんは、どう思いますか。
2011年12月25日
2011年メリークリスマス!
昨日は、膠原病内科の先生のところへ行くことになっていたのですが、昨日の朝の寒さで呼吸が苦しいところに関節と指先の痛みが激しく行けませんでした。
クリスマス寒波と天気予報では行っていましたが、東北大震災で余儀なく仮設住宅に非難されている方達は、寒くしていないかと心配になります。国や自治体の方で仮設住宅に暖房が効くようになっていないと言うのをニュースで見て、国や自治体は仮設住宅を建てるときに真冬に備えて建てれば良かったのにと思います。
自分の今の病状とステロイドの量も多いので教会のクリスマスミ前夜祭のミサに行けませんでしたが、始まる時間に合わせて家で祈っていました。
私は、カトリックですが全世界のキリスト教の教会ではクリスマス前夜祭ミサが行われ祈りを奉げられました。
瓦礫の撤去、そして、一日も早く復興することが出来るように・・・・・・・・。
希望の光をみんなが待ち望んでいることを・・・・・・・・・。
2011年12月18日
今日は、材料屋さんからパティシェって聞かれました。

パティシェって何かと聞かれて、みなさんはケーキ、チョコレートとを浮かべると思います。
そして、ケーキ、チョコレートを作る人がパティシェと答える方達が多いと思います。
日本のケーキ職人も自分たちは、パティシェと思っている人達も多いのも確かです。
フランスの指しているパティシェは、総合的な意味を持っています。
それは、パティシェの語源は捏ねると言う意味の語源があるからです。
で、捏ねるとは、小麦粉を捏ねたものが始まりではないかと言われています。
そして、パティシェは、王家や貴族のお抱えで、1700年だの本である王家の製菓技法の中にはブランディや石鹸、香水などの作り方も載せられています。また、中世期には肉や魚の独裁権も持っていたので
、料理なども出来なければならなかったのです。
王は、隣国の王を招待し食事を取りながらの会議やまた、王の領地の貴族もまた同じく食事をしながら会議などされて、その時の料理やデザート、菓子にどを作られていたのがパティシェで、その名残が残って、パン、惣菜、デザート菓子、菓子、チョコレート、アイスクリーム類、コフィチュール(ジャム、砂糖菓子類)などを作る人達を一まとめでパティシェと呼んでいるのです。そして、チョコレートの職人をショコラティエと呼んでいるのです。なので、フランスのパティシェの人達は、パンもやれば惣菜も作りますが、日本でパティシェと言われている人たちの中でフランスのパティシェと同じようにパンも惣菜も出来る人は、数人ではないかと思います。レセプションなどの料理やバター細工、氷細工、パン細工、あめ細工などを作って飾り、その上に料理やデザート、砂糖菓子、チョコレート菓子などを飾ります。これらをフランスのパティシェの人達は作るのです。
そのため14歳で弟子入りして親方から学びながら学校に行き、人間性も学び3年後に地方試験を受けます。それから、コンクールなどで腕と味を磨いていくのです。上を目指す人は、MFO(国家最優秀章)の試験を受けて、資格を取ります。これは、日本で言う人間国宝と同じです。
本を見ても難しく書いてあって作る気をなくしてしまうと言ってました。
簡単作れる方法を知らないからだと話したらそうだよねと言うことに。
時間をかけなくてもいいところに時間をかけたりしていると作りたくなくなってしまうのも当然だと思うと話したら確かにと言っていました。
普通の人達が誰でも作れるように簡単しないとだめだよねと・・・・・・・・。
パティシェやケーキ屋さんなら基本をしっかりと学ばなくてはならいけれども普通の人たちが作るのには、作る面白さや楽しさがなければと思います。
2011年12月13日
今日は、買い物の出先で呼吸が苦しくなってしまいました。
今日は、赤羽まで買い物に行ったのですが、スーパーで買い物をしている時はいつもの呼吸の苦しさだったのですが、100円ショップに入って品物を探している時に呼吸が浅く苦しくなってやばいと思いました。暫く高い台に座っていたら落ち着きはじめてホットしました。
でも、帰りのバスを降りて暫くしたらまた、呼吸が浅くなり今度は、口とのどのところがカラカラに乾いてしまい息が苦しくなってしまい、近くにあった自動販売機まで行って買い、口に入れたら呼吸が出来るようになりました。いつ、とこで呼吸が出来なくなるか分からない状態ですが、それでも生きている以上は人として人間として自分の時を迎えたいと思っています。
自分と同じように苦しんでいると人達は、この日本でも多くおられると思います。
点滴治療が出来ない中で、26年間よく頑張ってきたと思います。
発病当初から静脈炎、血栓があっちこっちに出来ていて、先生からは返り血の流れが悪くなっていると言われてから点滴治療が出来ず、胸郭出口症候群の手術した時には血管外科の先生から点滴治療をすると血栓と瘤が出来るから治療する先生には点滴治療は出来ないと話すよう言われてから21年経ちました。その間の手術は点滴なしでの手術でよくもったなと思います。
なので、緊急治療はできないのですが周りはその辺のことが分かっていないようです。
しかも長期のステロイド投与で感染しやすいのど肺炎になったら大変な事になるので、それで、同愛の入院時の婦長さんも順天堂の入院時の婦長さんも主任さんも風邪を引いている人達を遠ざけていたのです。なので、マスクをしないで咳をする人たちには必ずマスクをして欲しいと思います。
母の介護のことを思うと胸が痛みます。
自分の身近に接して下さる血筋によらない兄弟が居て下さることに感謝しています。
痛みを分かち合ってくれる友であり実の兄弟よりも兄弟がいることに・・・・・・・・。
私の言葉には、当たり前と言う言葉はどこにもありません。それは、幼児時期のことがあるからだと思います。育ててくれて当たり前だと思うかも知れませんが、育ててくれて当たり前ではないのです。
親は親で苦労して育てていること、そして、おじちゃんやおばあさんに可愛がれて育ってきたことを忘れてはならないと思います。自分は、幼児の時に父が入院して他人の家に預けられながら育って、母1人で兄と自分を育てる時にもおばに可愛がってもらいました。多くの方たちの手がかかって小学校をでました。そして、中学時代の2年からは朝刊の新聞配達、学校が終われば酒屋さんのバイトで学費と家に食費を家に入れながら学校に通い、中学を卒業してケーキ屋さんに就職した時は、母も叔母も喜んでくれました。そして、叔母がそれからまもなく癌になった時、毎週休みの時にプリンを作って見舞いに行ったことを思い起こします。叔母は、なかなか食べれずに居たのですが、先生がプリンならば良いとことで・・・・・・・・・・・。
2011年12月10日
今週の始まりは、かっちゃんの病院から・・・・・。


今週の月曜日に母のかかり付けの病院の整形外科の先生に診て貰いに行って来ました。
家の近くのかかり付けの病院の整形外科の先生は、整形外科の脊髄班みたいなのですが、股関節の方で診て貰っていたもので・・・・・・・。
もともとは、松戸にいて眼科の方では白内障の手術を松戸の新松戸で手術をして、柏に引っ越して柏の病院で、内科、眼科、整形外科で診て貰っていたので東京へ引っ越して来てからも通っていて股関節の手術もして貰って通っていたのですが、通いきれなくなり家の近くの病院を探して診てもらえそうな病院が王子の駅の近くで交通の便が良い所にあったので柏の病院で紹介状書いてもらって診てもらっているのですが、自分と同じ病院の整形の主治医の先生にも2ヶ月に1度診てもらっています。主治医の先生は股関節の人工股関節では有名な先生で、いろいろと相談にものってもらったりしていますので、話し
たら母も診てくれると言うので見て貰っているのです。そちらは、遠いので兄に車で連れて行ってもらっています。
話しが少しそれてしまいました。
で、王子の病院の整形外科の先生に、転んで右肩を痛めたようなのですがと話をしたらレントゲンを撮りに行ってと言うことで撮って戻って来たらすぐに呼ばれて診察室でレントゲンを見たら肩関節の頭のところに線が入っていたのでこれはひびだとすぐにわかりましたが、先生が湿布を貼って様子をみるようにと言うことで、いつもの薬の中に痛み止めも入っているからということでいつもの薬を1か月分だしてもらって帰って来ました。
水曜日は、ガイドヘルパーの方に付き添ってもらって内科と眼科の診察に行って来ましたが、腕の方は良くなってビックリする程上がるようになり、安心しました。
で、金曜日の夜、トイレに行く時にまた、転びそうになりドッタンと言う音がしてビックリして行ってみたらもう少しで転びそうになったと・・・・・・・・・。もうヒャヒャもんでした。
でも、肩の方が良くなって本当に良かったです。
自分の方は、相変わらずで、首から肩にかけて痛みと息苦しさはがあります。
木曜日にクリスマスカードを買いに出かけましたが、やっぱり大変でした。
今日は、いつも行く赤羽のパン屋に電話をして取りに行ったのですが、帰って来たらもう、呼吸が一時的に出来なくなり困りました。
母は、シスターの食事会で今日はクリスマス会で帰りが遅いと院長から聞いていたので、落ち着くかなと思っていたら数分で呼吸がなんとか戻って来たのでもう少し落ち着けばと思いながら元の呼吸まで戻るのに1時間かかってしまいました。
2011年12月03日
今日は、かっちゃんが大変な事に・・・・。


今日の朝、デイケアサービスが迎えに来た時に自分が鍵を開けてドアを開けたとたん後ろでドッタンーと言う音がしたので行って見たら母が前倒れになってしまい、動けなくなってしまたので、デイケアの介護の方も慌ててしまいました。
母の年は93歳で右側股関節は人工股関節になっているので、倒れないようにと言われていたから股関節の方心配しましたが、股関節の方は大丈夫だったのですが右腕が痛いと言いながらデイケアへ行って帰って来たら右腕が上がらないと言うので明日、病院へ連れて行こうと思ったら天気予報で明日は雨なので母を連れて行けなくなり、月曜日は晴れになっていたので月曜日連れて行くことにしました。
肩関節を痛めたようでなので・・・・・・・・。
母も右側人工股関節があるので下肢の障害4級なのと脊髄狭窄症と緑内障、白内障で白内障の手術もして、骨粗鬆症、高血圧、それと少し軽い認知症があるのですが、一番目が放せないのは歩く時なのです。手術をしていない左側の股関節も右側の股関節の手術した当時の先生からの説明では、両方の股関節の手術をするはずだったのだけども心臓がもたないと言うことで右側だけしか出なかったと言う説明を受けているので、倒れて人工股関節が折れたり、左側の股関節が折れたらもう、寝たきりになってしまうから要注意しなければなりません。
家の中では杖をついていますが、外では杖であるけないので押し車を使っているのです。でも、寝て夜中にトイレに行く時や横になっていて起きた時などは足がふらふらしているので気よつけてみてあげていないと危ないのが現状なのです。
ケアマネージャの方や介護ヘルパーの方達、包括センターの担当者の方も私の障害や病状を把握して、なおかつ心配しして来てくれので本当に助かります。
ミーティングなどでもこちらの話を良く聞いて理解し、すぐに手配をしてくれたりしてくれるので助かります。
介護してて分かったのは、大声で怒ったりすると脳が萎縮して認知症や痴呆になりやすくなることが分かりました。なので、大声で怒ったりせず、人としての尊厳をもって介護すれば大丈夫だと思いますが、ケアマネージャの方は、なかなか出来ることではないですよと言っていました。
でも、やらなければ認知症や痴呆症になってしまうのが現状なのです。
家の場合は、母の身の回りの介護ヘルパーの方に週2回、デイケアサービスは、お風呂のために週2回、買い物に障害の方でガイドヘルパー1回と月に一度の病院、マザーテレサのシスターの修道院で週一回の高齢者の方達の食事会が母のスケジュールになっているのですが、たまに外へ一緒に出かけて気分転換をしたりしています。
もし、介護のことで悩みが出たらコメントを下さい。
コメントは、承認しない限りでませんので安心して下さい。
2011年11月30日
今日は、ここのところ問題になっている自転車について。

自分が小学校時代の高学年から自転車教室があったことを思い起こします。
警察署の交通課のおまわりさんが来られて校庭で乗り方と学科があって東京都のコンクールがあったりしました。今から40数年前のことですが、今の中高年の方達なら教わってきているはずだと思います。
それと自動車教習所で免許を取った方なら学科で教わって来ているいることだと思います。
歩道などを走る時は車道側をを徐行をし、いつでもすぐに止まれる状態で走ることになっているのに何台も横になって走ったり、スピードを出して走っていたりして問題が起きているのです。もともと歩道は走ってならなかったのですが、それは例外として来た事に問題があるのと車道側事態にも問題があるのです。家の近くに環状7号線が通っているのですが、三車線あるうち前の交通法規では三車線あるところでは、中央側から高速、中速、低速車だったのが三車線共50になっている事態問題だと思います。バス亭で待っていて目の前をぎりぎりにスピードを出して通り過ぎる車が多いことにも問題があると思います。車自体の運転する側にも厳しくして欲しいと思います。
駐車するにしても信号のある交差点の場合は5m以内は駐車禁止なのに平気で止めたり、交差点のところでUターンをしたりする車が多くなっているを取り締まって欲しいと思います。
安心して自転車が車道を走れるようにならなければ、無理だと思います。
今日のニュースでも年金を引き下げると言うニュースが・・・。


今日のニュース番組の報道スティションでも取り上げられていましたが、国民年金、遺族年金、障害年金の低い年金を受け取っている者にとっては大変なことなのです。
物価スライド方式も平成7年まで上がり平成8年から引き下げられて平成17年から物価スライドはされずに今日に至っているのですが、この前にも書いたように年金でも低い方達がどんなに多く生活をしているのかを考えて欲しいと思います。
司会の方も年金自体が下がっているのにと言って下さっていましたが、事実なのです。
7年間物価が下がっているのをそのまんまんにして来たと言うことを言っているのですが、逆に医療費の高額医療費の引き上げが72600円から10万円を超える額、その上、病院単位から各科の診療科別単位になり、合併でかかる科が多く見てもらわなければならない自分たちは、一体どうすればいいのか、これも前与党からのつけが今出て来ているのです。
それと未払いで貰っている方達もいることはニュースでみなさんもご承知だと思いますが、これはあってはならない重大なことだと私は思います。
これも、今の与党の長妻氏が厚生労働大臣の時に出て来た事問題なのです。
それまでの杜撰さが浮き彫りになり外へ出て来たのです。
国の事業への予算よりも年金や東北大震災の復興へ力を入れる時だと私は思います。
福島原発事故で、原発の大変さを思い知らされたのにも関わらずまだ、高速増殖原型炉もんじゅに研究費用に1年間に40兆円近くも予算でいつまで続くのかわからない物に使わず、年金問題や東北大震災のに予算を回してからにすべきだと思います。
会社からリストラされて人件費を減らし、物価が下がったのであって本来の意味の物価が下がったのではないのです。リストラもなく物価が下がったのであれば本来のあるべき姿だと思いますが、リストラで、解雇され失業された方達がなぜこんなに多いのかを知るべきではないでしょうか。
2011年11月25日
本当に障害者自立支援法の撤廃。
原則1割を負担する障害者自立支援法は廃止予定。2013年8月までの新法施行を目指すことを閣議決定しているのですが、本当に廃止できるのかと思います。政治の駆け引きに使って来ている党があるからです。障害を抱えた家族の人達が一生懸命署名活動をして集めて来たのを不意にするような政党があることは問題だと私は思います。
そもそも、自治体の工房で働く障害者から何らかの形で料金をとるようなこと事態、障害者を苦しめて、通う日数を余儀なく減ってみんなと会う機会なくったりしているのが現状なのです。
障害年金はそんなに多くはないのです。障害1級と2級の例を障害基礎年金1級で986100円、2級が788900円(平成23年度)これが1年分で6回の支払いにして1級で1回分が2か月分で164350円これを1ヶ月にすると82175円、2級にすると1回分が131483円を1ヶ月にすると65741円しかならないのです。そこ自治体の工房、または作業所で作業して施設で作られたものを販売しても月に8千円しかもらえないのです。今から18年前に東京のある自治体の工房(作業場)へ教えに行って話しを聞いたときえっと思わず声が出てしまいました。翌日、その工房を運営している自治体の障害福祉の責任者に話しをしに行きました。相手側の話しは、これでいいのですと役所言葉を言出したのです。相手側は、自分を健常者(健康)と思って話しをしていのですが、聞いていて障害を抱えた子供たちの親御さんの気持ちや障害を抱えてしまった子供たちの将来のことなど考えていないのに対して爆発してしまいました。親御さん達は自分がいなくなったらどうなるのだろうかと言う心配を常に抱えているのです。また、中途障害になった自分のような人達も多いのです。
自分の場合は、障害の他に膠原病も抱えていると思ったら言わずにはいられませんでした。
売れなくってもいいのですではなく、売ることを目標にして精神的にも安定したら社会で働けるようして行くべきではないかと。なんのための工房(作業所)なのかと自分の障害手帳と膠原病を抱えている者として聞きたいと言ったら黙ってしまいました。何軒か関わった民間の工房(作業所)では売り上げを反映しつつあります。反映すれば生活が出来るようになって行きます。
また、才能がいっぱいあるのにもったいないです。
今、障害者自立支援法の廃止ができることを祈っています。
介護保険が出来、障害者自立支援法とうで今まで使えた福祉が使えなくなってしまった方達が数多くおられるのです。そのためにも障害者自立支援法は廃止すべきなのです。
2011年11月22日
今日は、慢性呼吸不全。
去年の3月ごろから階段を上がりきって少し歩いたところで、マラソンで走った時の呼吸の苦しさのような感じで肩から首にかけて痛みもともなうようなのを感じていたのですが、先生に胸郭出口の再再発の可能性がたかいよと首から鎖骨にかけてだんだんと膨らみ圧迫感と首をしめられるような息苦しさと今では外で歩くにも肩から首にかけて上から錘をのせられた様な圧迫感が強くなって来ています。
慢性呼吸不全の病状の現れ方の中に頻呼吸、頻脈がみられ肺動脈が上昇し、肺動脈や頚(けい)静脈の怒張(どうちょう)(ふくれる)や浮腫、チアノーゼなどがみられ、さらには呼吸の時に使う筋肉である胸郭乳頭筋(きょうかくにゅうとうきん)、斜角筋(しゃかくきん)が肥大して鎖骨上の陥凹(かんおう)肩を使う呼吸、口をつぼめるような呼吸をしたりすると・・・・・・・。
今の自分の場合だと胸郭乳頭筋と斜角筋の肥大による肺動脈と頚静脈の怒張になって圧迫して呼吸が苦しいのだと思います。もともと、胸郭出口症候群は、鎖骨の下を通って頚椎の方へ通っている太い動脈
、太い静脈を圧迫している骨や筋肉を最終的に切除して圧迫している部位を取り除く手術なのです。
で、切除した部位が怒張と膨れて肥大して圧迫して動脈と静脈圧迫しているのだと思います。
胸の痛みも咳もほとんど無い状態だからなのです。なので、人工呼吸器をつけて楽になるかと言うとあまり意味が無いと思うので、先生に様子をみようと話しました。
それと点滴の中に薬を入れて点滴をすると血栓、瘤が出来るという事で血管外科の先生が外的血栓、瘤が出来るから点滴はできない事を言うように言われているのです。なので、救命処置のための点滴治療は出来ないなか、先生も大変なのです。入院して治療が出来ない中・・・・・・・・・。
でも、そんな中でもやすみやすみケーキを作ったり、かっちゃんの面倒を見ています。
医療改革で高額医療をかかっている病院に対してだったのが各科になり、高額医療費が引き上げられ10万円以上になってしまったのです。
膠原病の場合は難病認定で病名が付けばいいですが、自分みたいに難病認定されない方達が数多くおられるのも現状なのです。そして、膠原病の場合合併症に伴いかかる科も多いのも現状なのです。
難病の方達も同じです。白血病の方達も同じです。
かかる科が三科でだと30万円を超えないと高額医療費になりません。
また、非課税世帯の国保でも1科の高額医療費は37500円なのです。
生活保護の医療だと効力のある薬もまた、必要な検査も出来ないのが原状でなのです。
また、緊急の医療もかかりつけの病院に行く前に緊急処置を近くで受けられないのが現状なのです。
こんな医療にしたのは誰だと言いたいと思います。
2011年11月19日
今日は、加山雄三のテレビを見ていました。
お久しぶりです。もう、2週間もたってしまいました。
来て下さるみなさんは、元気ですか。
タルトタタンの作り方、ホームページに載せましたので宜しかったら見て作って下さいね。
家で美味しいリンゴのタルトが出来たら、そして市販のパイシートを使って街のケーキ屋さんより美味しいのが家で出来たら幸せな気持ちになると思います。
ここ3、4日日間ホームページのページリンクが出来なくなって来て観て下さる方達にご迷惑をおかけしてしまいましたが、今日ようやく修正出来ました。ソフトメーカの方ではサポートの期限が切れているのでと言われ自力での修正に時間がかかってしまい本当にご迷惑をおかけしました事、お詫び申し上げます。
パリのパティシェの名高いコンクールとフランスの料理のコンテストでも高いレベルのポキューズドゥルもリンクを付けてご紹介しています。それと材料店の方も増やしましたので一緒にご覧になってみて
下さい。
体調の方は、一昨日の晩に呼吸が少しおかしくまた、目眩と力が抜けてきそうになってすぐにベットの背中を上げてベットに入り暫くした落ち着きました。
いつも自分と同じように苦しんでいる人達がいると思っています。また、自分よりももっと苦しんでいる方達もいることを・・・・・・・・・。
医療と生活は、抱えている者の立場としては、医療と福祉を壊し、勝ち組だの負け組みだのと言って言っていた党には、政権をとって欲しくないと思うのは、私だけなのでしょうか。
人としての尊厳はいったいどこにいってしまつたのかと思います。そして、国は国民あっての国であることを忘れてはならないと思います。 国民の視線で観、末端の人たちが良くなる国づくりをして欲しいと願います。ブータン国王のような気質がある日本の政治家が出て欲しいと願います。
一番辛い白血病を抱えた小さいこどもと家族、そして白血病を抱えた方達の家族、自分と同じように膠原病を抱えた者の痛みや苦しみのわかる国になって欲しいと願っています。
そんなことを思う時に今さっきまで、鉄也の番組で加山雄三の生番組をやっていて加山雄三の歌を聴きていて、心に響いてきました。やつぱり力がある歌が多いと思いました。
歌と同じように人へ感動させることは同じだと今日はつよく感じました。
加山雄三さんは、自分と20の年の差、そして、30歳の時にお父さんと一緒に経営していたホテルが倒産し当時金額で20億円、今の金額になおすと200億円とてつもない借金で、手が付けられないほどめちゃくちゃになり、アメリカへ渡ったけれどもやつぱり日本へ帰って来てた時に仕事をくれたのが
NHKのワイドショーだったそうです。そして、その当時35歳。その時ワイドショーに300人の満席のお客さんの前で生きててよかったと感動しました。それから少しずつ返済をしながら仕事も来るようになったそうです。それまでは、仕事がまるっきりなかったと言っていました。
また、仲間が食道がんで自分のライブで歌えなくなり、バブルがはじけた時期とぶつかり大変な時期の時に無料で歌を歌い助けてくれたと言っていました。痛みがわかると言うことがどんなにすごい力になるかつめのアカでも煎じて飲ませたいと思いました。
2011年10月30日
今日は、タルトタタンを作っていました。
少し、血圧の間が狭くなってしま頭がボーッとしたりしていたのですが、昨日か一昨日のテレビの番組でタルトタタンのレスピ作りをしているのを観て、簡単に家庭でも出来るようになるといいなと思いついたので作ってみました。
自分で作るだけならパティシェとしては、パータ・フォンセかパータ・ブリッゼを作ってからなのですが、今回はスーパーなどで売られている冷凍のパイシートを使ってみました。
マンケの型の大きさより幅が狭かったので2枚を重ねてから伸ばして型よりも一回り大きく切ってつかいましたが、伸ばすのにも時間はかからなかったのでご家庭でも同じ味がだせると実感しました。
紅玉のリンゴを無塩バターとグラニュー糖で煮詰めてバニラシュガーとリンゴのブランディーのカルバドスを効かせたりして煮詰めてしんなりしたところで焼き型のマンケと言うのに煮詰めたリンゴを並べてオーブンに入れて焼いて、焼き上がったら冷まして、冷ましている間にパータをオーブンで焼いて置き、冷めたらマンケの型ごと冷やした上にのせてひっくり返して、型からとり出して出来上がりです。
丁度、今から紅玉の季節なので美味しいです。
近々、HPの今月の教室にタルトタタンの作り方を載せますので一度作ってみて下さい。
で、ホットケーキの方はタルトタタンのページにリンクをつけて置きます。
2011年10月21日
今日は、同愛記念病院の先生に今の状況報告。

同愛記念病院の整形外科の先生と泌尿器科の先生にようやく今の状況報告をしました。
整形外科の先生の診察、泌尿器科の先生の診察に先月行っていなかったので連絡をしなければと思っていたのですが、なかなか連絡が取れなかったのです。
今月から電子カルテに移行し、先月あたりから大変忙しかったと思います。
書いていたカルテをパソコンに記録させる作業は大変なことですから・・・・・。
整形外科の主治医の先生に膠原病内科の先生の話しをしたらうなずいていました。
そして、泌尿器科の先生の方も話しをしたらお腹の方と腎臓結石の方は俺が診るから痛みが出たりしたらすぐに電話してこいと言われました。
でも、首から喉のところが膨れて歩いたり身体を動かすたびに首の喉ぼとけあたりから呼吸が苦しくなるの日増しに強くなるのですが、92才の母と二人暮らしなので買い物も・・・・・・・・・・。
ガイドヘルパーの方に付き添って母も週一回行くのですが、やっぱそれだけではすみません。
また、食事のしたくも・・・・・・・。
そう言う中で、自分みたいな者には介護保険が使えないのはと思います。
そして、自分と同じような方たちは多くいると思います。
特に白血病、膠原病、難病を抱えている方達の生活は大変だと言うのを国(国会義員)、政府の所管の厚生省の方達にわかって欲しいと思います。
そして、弱い、力のない者の守る法案を政治の駆け引きに使わないで欲しいと思います。
障害者自立支援法
障害者の方達が工房などで作業するのに使用料としてとることで工房へ行っての作業が減ったり出来なくなった方達が多くいるのです。
それで、今の与党になった当初の厚生大臣が障害者自立支援法を廃法すると言ったら廃法にするなら協議は出来ないなどと駆け引きに使うのはもってのほかではないでしょか。
みなさんはどうお思いでしょうか。
そうそう、今年のハローウィンは10月31日の晩です。
ケルト人がきっかけで、ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出て来ると信じられ、これらから身を守るために仮面を被り、魔除の焚き火を焚いたのが始まりで、ケルト人の居たスコットランド、そしてイギリス、アイルランドから広がって行ったと聞き来ました。
今ではかぼちゃのケーキやプリンなどが家で作られたり店に並べられたり、装飾も売られています。
2011年10月09日
先週の金曜日は、膠原病内科の先生の診察に今日はマザーのシスターが来てくれました。
今日の写真は、フレンチトーストと塩漬け豚バラのポトフです。
膠原病内科の先生の診察に行って来ました。
行く途中から首のあたりから締め付けられるような息苦しさが出て、ついたら大丈夫と診察室に入って指で血中酸素を測ったらなかなか上がってこず、やっと上がったら96で97ぐいならもう少し楽になると思うけれどもと。
酸素を使うと言ってくれたのですが、肺や気管支でないから胸郭出口症候群の再再発で首のところからの呼吸が苦しいと言うよりも首を締め付けられて呼吸が苦しいからと・・・・・。
で、何か一つをしたら身体を休めるようにと・・・・・・・。
薬をもらって帰って来ました。
今日は、マザーテレサのシスターと院長が来て祈りと今の状況を話しました。
マザーのシスター達との出会いは、発病して7年目の平成5年で入院するので住んで居る所を引き払い2月に入院して8月に退院して帰るところなく病気を抱えながらホームレスをしている時にシスターハウスに話しをしに言った時、いつでもここに来ていいからねと言うことからの始まりで、動けた時は一人暮らしの高齢者の人達の食事会やクリスマス会の手伝い、またクリスマス会のケーキを作ったりといろいろと一緒に行動が出来たのですが、ここ4年近く動けずじまいで手伝うことができなかったので、院長も今年なったばかりなので話しが出来てよかったと思います。
インドのカルカッタでマザーテレサが創立したのが10月7日だったのです。
2011年09月27日
先週の金曜日の祭日に先生が来てくれました。
今日は、自宅で作った天ぷら定食とタルトポワールと言うフランス菓子です。
タルトポワールは、パートシュクセと言うサブレ生地を薄く延ばしてタルト型に敷き詰めて、クレ
ームダマンドと言うアーモンドの粉末と粉糖、バターと卵でクリーム状にして合わせてそこにラ
ム酒を加えて香りをつけたのを絞りその上に洋ナシをのせて焼いたものです。
点滴治療が出来ないので、先月のように倒れて意識がなくなった時に困るので飛んできてくれる時に家がわからないと困ると言うことで来てくれたのです。
今から8年前の交通誘導の仕事中、夜中に交通事故にあって工事現場の近くの大学病院に運ばれた時に点滴で血栓と瘤が出来るのとステロイドを飲んでいると言ったらかかりつけの病院に行く様に言われて
頭の右側側頭の切れたところを消毒して縫っただけで、右側肩関節の骨折でかなり落ちて、それと二頭筋断裂で仕事場の所長の車でそのまんま家に帰って来て、家で4日三角巾をつけたまま安静にしてから主治医の整形の先生のところへ行ってレントゲンを診て入院だなと言っていたのですが、念のためにレントゲンを撮って来て言うのでレントゲンを撮りに行って診察室で診たらもうくつういてるよと言うことで、二頭筋の断裂は手術をしない方がいいと言うことで今も断裂のままなのです。
なので、救急車で運ばれたとしても緊急の治療が出来ないので、運ばれたとしても治療が出来ないために受け入れられないのが現状なのです。
今までの手術も点滴の薬を使わずに手術もやって来たのです。点滴治療が出来ないところでの手術をして下さった先生方には感謝をしています。
また、膠原病内科の先生は、いつでも呼んでと言って下って、かっちゃんも感謝しています。
8月の時のようなことが起きたらすぐに電話するのよとかっちゃんに言っていました。
でも、よくもったと思います。
吐血と言うか、身体全身から出血した時も点滴治療なしで飲み薬で治まり、でも、この時今日までだと先生が言われて、やるだけのことをやらしてくれという事で血小板を入れて1時間あまりで、逆に出血してしまったりと・・・・・・・・・・・。
その時の先生はビックリしてしまいました。
左足のアキレツ腱のところの動脈が切れた時も見る見るうちに腫れて黒くなったしまたって、脛のところに蜂窩織炎(ほうかしきえん)(潰瘍)に成ってしまった時も整形と内科の両方で入院しながら診てくれたのです。
そんなわけなので救急車で近くの病院に運ばれたとしても治療が出来ないと断れるのが目に見えているので、膠原病内科の先生がいつでも飛んで来てくれることになったのです。



