2010年09月04日
富士吉田の火祭り「すすき祭り」
2010年8月27日(金)富士吉田の火祭り「すすき祭り」
8月26日から27日に行われる「鎮火大祭」は、「吉田の火祭り」と呼ばれ、「北口本宮冨士浅間(せんげん)神社」(旧県社)と「諏訪神社」の秋祭りです。
北口本宮冨士浅間神社の起源をたずねてみると、そもそもは諏訪明神社の社地だったようです。
諏訪神社は此の地域の地主神(じぬしのかみ)で、明治年間に北口本宮冨士浅間神社に合祀されています。
北口本宮冨士浅間神社の祭神は、「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」と、「天津日高彦火瓊々杵命(あまつひこひこほににぎのみこと)」、「大山祇命(おおやまずみのみこと)」で、諏訪神社の祭神は、「建御名方命(たけみなかたのみこと) 」と「八坂刀売命(やさかとめのみこと) 」です。
26日の夜に行われた「鎮火祭」には、時間的に間に合わなかったので来年以降回しにし、今年は「すすき祭り」だけを観ることにしました。
愛知県一色町を8時に発って東名高速道路を東進し、山梨県富士吉田市には13時頃に到着しました。
初めは神社の北にある諏訪の森自然公園駐車場に停めたのですが、20時にチェインが架かって仕舞うので、後で富士急行富士吉田駅のパークアンドライドに入れ直しました。
14時から上吉田コミュニティーセンターにある御旅所で、「発輿(はっこう)祭」が行われました。
「大御輿」一基と、富士山を形取った「御影」一基が、色んな法被を着た氏子達に担がれて、氏子町内の渡御に向かいました。

大御輿は諏訪神社のご神体、御影は北口本宮冨士浅間神社のご神体を、奉じていると聞きました。
途中で御影は、3回ほど荒々しく地面に叩き付けられます。
14時半頃から雨が降り出し、16時位まで雷を伴って本格的に降りましたが、此の辺りでも久し振りの降雨だそうで、霊験新たかなりといったところでしょうか。
15時からの「金鳥居(かなどりい)祭」は、富士吉田駅の観光案内所で雨宿りをしていたので、観ることが出来ませんでした。
北口本宮冨士浅間神社から金鳥居に至る道路は、「御師(おし)宿坊の街並」と呼ばれていて、広い道路の両側には、今でも宿坊跡が残っています。
「御師」と言うのは富士山信仰の中心的な存在で、富士山への登拝客に宿舎や登山の世話をし、祈祷によって神との仲立ちをする、宗教者の役割も果した人達です。
当主は神主の資格を持って、東京や千葉方面に富士信仰の布教に出掛け、夏季には山もとに戻って、富士講社などの登拝客を迎え入れたと言います。
此の街並みの基礎は1572年に形成され、富士山信仰最盛期の1800年代後半には86軒の御師の家があり、今でも15軒程度が残っていますが、宿坊は殆ど無くなりました。
18時10分ほど前に神楽殿に着くと、神楽が始まっていました。
「神巫(みこ)の舞」と「四方拝の舞」が奉納されましたが、「採物舞(とりものまい)」を含む出雲流の神楽で、「富士太太(だいだい)神楽」と呼ばれています。
19時から、北口本宮冨士浅間神社の本殿の直ぐ前の「高天原」で「着輿祭」が行われますが、その前に、浅間神社の西へ少し上がった所で、「御鞍石(みくらいし)祭」が行われます。
18時半近くになると、御鞍石の手前の道路には篝火が焚かれ、やがて御神輿と御影が担がれて来て、御鞍石の方へ進んで行きます。
御鞍石は諏訪神社の旧社地で、鞍の形をした岩の上に御輿が置かれて、真っ暗闇の中で神事が執り行われました。

御鞍石祭が終わると、19時10分過ぎに、御輿は高天原へと入って来ました。
「よいよい」という掛け声を掛けながら、御輿は高天原と呼ばれる、注連縄を張った中に御神木のある一角の周りを7周回りますが、途中で還御するのを惜しむかのように、練ったりします。
御輿には、多くの人達が「すすきの玉串」を持って、御輿の後に続きます。

大御輿の次に御影が入ってくると、追いかけられるような形になるので、着き従う人々が逃げまどう姿も見られました。
7周回った後、19時20分頃には御輿は高天原の御神木の前に安置され、やがて19時30分頃には諏訪神社の本殿に還御していきました。
御輿から御神体が本殿に遷座するときには、桐生市の「美和神社」で見た様に、白布の御簾が張られ、神官たちが「わー」とか「あー」といった声を出していました。
19時50分頃には、一間幅に二間長位の白い御簾が諏訪神社から出て来て、ゆっくりと北口本宮冨士浅間神社の本殿まで進みますが、やはり神官が遷座の時と同じような声を上げながら進んで行きます。
これは神さんの遷座ですから、低頭しなければなりませんし、写真撮影は禁止です。
20時過ぎに北口本宮冨士浅間神社の本殿に還御した時点で、提灯を持った氏子達は、其の場を去りました。
この頃になると、篝火の火が暖かく感じられました。
富士吉田駅への帰り道にあった酒屋で、清酒「甲斐の開運 鎮火祭」(山梨県冨士河口湖町、井出醸造店)と、米焼酎「富士山」(山梨県大月市笹子町、笹一酒造)を買い込みました。
8月26日から27日に行われる「鎮火大祭」は、「吉田の火祭り」と呼ばれ、「北口本宮冨士浅間(せんげん)神社」(旧県社)と「諏訪神社」の秋祭りです。
北口本宮冨士浅間神社の起源をたずねてみると、そもそもは諏訪明神社の社地だったようです。
諏訪神社は此の地域の地主神(じぬしのかみ)で、明治年間に北口本宮冨士浅間神社に合祀されています。
北口本宮冨士浅間神社の祭神は、「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」と、「天津日高彦火瓊々杵命(あまつひこひこほににぎのみこと)」、「大山祇命(おおやまずみのみこと)」で、諏訪神社の祭神は、「建御名方命(たけみなかたのみこと) 」と「八坂刀売命(やさかとめのみこと) 」です。
26日の夜に行われた「鎮火祭」には、時間的に間に合わなかったので来年以降回しにし、今年は「すすき祭り」だけを観ることにしました。
愛知県一色町を8時に発って東名高速道路を東進し、山梨県富士吉田市には13時頃に到着しました。
初めは神社の北にある諏訪の森自然公園駐車場に停めたのですが、20時にチェインが架かって仕舞うので、後で富士急行富士吉田駅のパークアンドライドに入れ直しました。
14時から上吉田コミュニティーセンターにある御旅所で、「発輿(はっこう)祭」が行われました。
「大御輿」一基と、富士山を形取った「御影」一基が、色んな法被を着た氏子達に担がれて、氏子町内の渡御に向かいました。

大御輿は諏訪神社のご神体、御影は北口本宮冨士浅間神社のご神体を、奉じていると聞きました。
途中で御影は、3回ほど荒々しく地面に叩き付けられます。
14時半頃から雨が降り出し、16時位まで雷を伴って本格的に降りましたが、此の辺りでも久し振りの降雨だそうで、霊験新たかなりといったところでしょうか。
15時からの「金鳥居(かなどりい)祭」は、富士吉田駅の観光案内所で雨宿りをしていたので、観ることが出来ませんでした。
北口本宮冨士浅間神社から金鳥居に至る道路は、「御師(おし)宿坊の街並」と呼ばれていて、広い道路の両側には、今でも宿坊跡が残っています。
「御師」と言うのは富士山信仰の中心的な存在で、富士山への登拝客に宿舎や登山の世話をし、祈祷によって神との仲立ちをする、宗教者の役割も果した人達です。
当主は神主の資格を持って、東京や千葉方面に富士信仰の布教に出掛け、夏季には山もとに戻って、富士講社などの登拝客を迎え入れたと言います。
此の街並みの基礎は1572年に形成され、富士山信仰最盛期の1800年代後半には86軒の御師の家があり、今でも15軒程度が残っていますが、宿坊は殆ど無くなりました。
18時10分ほど前に神楽殿に着くと、神楽が始まっていました。
「神巫(みこ)の舞」と「四方拝の舞」が奉納されましたが、「採物舞(とりものまい)」を含む出雲流の神楽で、「富士太太(だいだい)神楽」と呼ばれています。
19時から、北口本宮冨士浅間神社の本殿の直ぐ前の「高天原」で「着輿祭」が行われますが、その前に、浅間神社の西へ少し上がった所で、「御鞍石(みくらいし)祭」が行われます。
18時半近くになると、御鞍石の手前の道路には篝火が焚かれ、やがて御神輿と御影が担がれて来て、御鞍石の方へ進んで行きます。
御鞍石は諏訪神社の旧社地で、鞍の形をした岩の上に御輿が置かれて、真っ暗闇の中で神事が執り行われました。

御鞍石祭が終わると、19時10分過ぎに、御輿は高天原へと入って来ました。
「よいよい」という掛け声を掛けながら、御輿は高天原と呼ばれる、注連縄を張った中に御神木のある一角の周りを7周回りますが、途中で還御するのを惜しむかのように、練ったりします。
御輿には、多くの人達が「すすきの玉串」を持って、御輿の後に続きます。

大御輿の次に御影が入ってくると、追いかけられるような形になるので、着き従う人々が逃げまどう姿も見られました。
7周回った後、19時20分頃には御輿は高天原の御神木の前に安置され、やがて19時30分頃には諏訪神社の本殿に還御していきました。
御輿から御神体が本殿に遷座するときには、桐生市の「美和神社」で見た様に、白布の御簾が張られ、神官たちが「わー」とか「あー」といった声を出していました。
19時50分頃には、一間幅に二間長位の白い御簾が諏訪神社から出て来て、ゆっくりと北口本宮冨士浅間神社の本殿まで進みますが、やはり神官が遷座の時と同じような声を上げながら進んで行きます。
これは神さんの遷座ですから、低頭しなければなりませんし、写真撮影は禁止です。
20時過ぎに北口本宮冨士浅間神社の本殿に還御した時点で、提灯を持った氏子達は、其の場を去りました。
この頃になると、篝火の火が暖かく感じられました。
富士吉田駅への帰り道にあった酒屋で、清酒「甲斐の開運 鎮火祭」(山梨県冨士河口湖町、井出醸造店)と、米焼酎「富士山」(山梨県大月市笹子町、笹一酒造)を買い込みました。
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この記事へのコメント
うなぎの一色町から富士吉田へと、忙しいですね。
御神体の遷座に際して、夜間 白布の帳で囲い、篝火や
熾火以外の灯火を消し、掛け声をしながら送るというのは
全国に共通のようです。明治天皇以降の大葬でもこれに
準じています。酔仙の管見では、北方系の神々に共通の
シャーマニズムの習俗ではないかと推測するのですが、
南方系の神々ではどうなんでしょうか?また、韓半島や
大陸のシャーマニズムではいかがでしょうか?詳しい方が
おられたら、ご教示下さい。
あと、大山祇・木花開耶姫は国津神系(土着・縄文)で
瓊々杵・建御名方は天津神系(渡来・騎馬民族)ですから
その昔、富士山の麓で、白人とインディアン(ネイティヴ)
の間で侵略と融和が繰り返されたのでしょう。
御神体の遷座に際して、夜間 白布の帳で囲い、篝火や
熾火以外の灯火を消し、掛け声をしながら送るというのは
全国に共通のようです。明治天皇以降の大葬でもこれに
準じています。酔仙の管見では、北方系の神々に共通の
シャーマニズムの習俗ではないかと推測するのですが、
南方系の神々ではどうなんでしょうか?また、韓半島や
大陸のシャーマニズムではいかがでしょうか?詳しい方が
おられたら、ご教示下さい。
あと、大山祇・木花開耶姫は国津神系(土着・縄文)で
瓊々杵・建御名方は天津神系(渡来・騎馬民族)ですから
その昔、富士山の麓で、白人とインディアン(ネイティヴ)
の間で侵略と融和が繰り返されたのでしょう。
Posted by 埼玉の酔仙 at 2010年09月04日 21:31
初めての土地を訪れると、その歴史やら文化やら、
大いに楽しめるものです。
タクラマカンも広かったが、日本も結構広いです。
祭神から歴史を紐解くのは、楽しみの一つですね。
大いに楽しめるものです。
タクラマカンも広かったが、日本も結構広いです。
祭神から歴史を紐解くのは、楽しみの一つですね。
Posted by yone at 2010年09月05日 20:51

