2010年09月05日

元祖山手七福神

2010年8月29日(日)元祖山手七福神

午前中は避難訓練に参加し、夜に神宮球場へ行くので、午後は「元祖山手七福神」を巡りました。

巡った社寺は、次の通りです。

1、覚林寺(毘沙門天、港区白金台)
2、瑞聖寺(布袋尊、白金台)
3、妙円寺(寿老人、白金台)
4、妙円寺(福禄寿、白金台)
5、大円寺(大黒天、目黒区下目黒)
6、蟠龍寺(弁財天、下目黒)
7、瀧泉寺(目黒不動)(恵比須、下目黒)

都営地下鉄浅草線の泉岳寺駅で降りて、最初に泉岳寺を訪ねました。

赤穂浪士の墓地を見たのは初めてです。

境内の「首洗井戸(吉良上野介義央の首をこの井戸にて洗い以て主君の墓前に供う)」の玉垣には、オッペケペーの「川上音二郎建之」とあり碑もあったので、帰って調べてみると、もともとは墓が井戸の真後ろにあり、墓は後に谷中へ移ったとも言われています。

白金台には「八芳園」という、庭園(1万2000坪)のあるレストラン・結婚式場があったので、服装が全く場違いではありましたが、入ってみました。

此の辺りは江戸時代初期には、徳川家康の側臣の一人、大久保彦左衛門の屋敷があったと言われています。

「八海山 泉ビール」はグレープフルーツの様な色をしていますが、歩き疲れた身体に沁み亘りました。

「八百屋お七」は1682年の大火で家を焼かれ、駒込の「円林寺」に仮住まいしていた時に、寺小姓の「吉三」に恋しました。

吉三はお七の処刑後、僧となり「西運」と名を改めて諸国を行脚し、大円寺の下にある「明王院」(現雅叙園)に入って、お七の菩提を弔いました。

また西運は、江戸の多くの民から浄財の寄進を受け、大円寺の前の「行人坂」に敷石の道を造ったり、目黒川に太鼓橋を架けたりして、社会事業に努めました。

「蟠龍寺」はこじんまりとした、お寺です。

本堂前の階段に座って小ざっぱりとした庭を見ながら、つくつく法師や油蝉のシンフォニーに聞き入っていると、都会に居ることを、ついつい忘れてしまいそうです。

東急電鉄目黒線不動尊駅から、東京メトロ南北線経由で、神宮前に着きました。

夜には、早速ご利益があり、神宮では20安打の猛攻、好調のヤクルトを粉砕しました。

神宮

神宮花火








この記事へのトラックバックURL

http://blogs.dion.ne.jp/yonesama/tb.cgi/9678067
※半角英数字のみのトラックバックは受信されません。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのコメント
泉岳寺には昔々訪れたことがありますが、線香の煙以外の
記憶は残っていません。それにしても、忠臣蔵って、なぜ
こうも日本人に受けるのでしょうか。法律論的には、政府
公認の仇討ちなどではなくて、まったくの私闘であり、
吉良家にとっては、一方的なヤクザの逆恨み襲撃みたいな
ものです。酔仙的には、荻生徂徠に組しますが。
Posted by 埼玉の酔仙 at 2010年09月06日 17:54
法律論的には異存はありませんし、体制維持のためには
そうせざるを得なかったものと思います。
しかし世の中、体制側ばかりでは無いし、体制に反発する
勢力や世論・世情といったものが存在します。
これなくしては、世の中味気ないし、救われないのでは?



Posted by yone at 2010年09月06日 21:31
 
※半角英数字のみのコメントは投稿できません。