2007年04月26日

ビストロのような憲法論


国家は僕らを気がつけば、今月も後半へ。すっごい久しぶりの投稿です・・・。

田村理『国家は僕らをまもらない』(朝日新書)を読みました。立憲主義の理解のポイントを、「国家=権力は僕らを守ってくれない」「国家=権力は、放っておくと何をしでかすか分からないから、必要な規制をかけるんだ」という点におき、その理解を「僕ら」が貫くことが、いま大切になっているんじゃないか、というメッセージの本です。

・・・と書けば、難しく聞こえますが、本書の魅力は、こうした問題を、敷居を低くして論じている所にあります。
なにせ、立憲主義の本質を語る部分で、モンテスキューより重視してとりあげられるのは、ドラマ「HERO」でキムタクが演じた主人公=久利生公平のセリフ。イチローの個人主義が出てきたかと思えば、アラレちゃんのスッパマンが出てきたり、ゆずの歌詞も紹介されていたりと、なかなか多彩な顔ぶれです。「あとがき」は、ドリカムからはじまり、最後はなんと、マンガ・パタリロの名曲(?)、「クックロビン音頭」。とても楽しく読める一冊でした。

なかには、「別に無理に敷き居を低くしなくても」と思うところもありますが、キムタク演じる検事の久利生公平のセリフにのせて、立憲主義を説くあたりは、なかなか説得力がありました。著者が引用したのは、次の様なセリフ。

「俺達みたいな仕事ってな、人の命を奪おうと思ったら簡単に奪えんだよ。・・・オレらはそういうことを忘れちゃいけないんじゃないすか!」

繰り返しますが、本書は、立憲主義の理解を「僕ら」が持つことの大切さを強調します。その「僕ら」は、「弱者ぶりっこ」や「してもらう主義」の個人ではなく、自立をめざす意欲をもった個人であることが必要であることも語られています。

著者は「序章」で、「ビストロのような憲法論を」と言い、フランス料理を紹介するかのようにして、本書の内容を紹介しています。惜しむらくは、こうした序章の構成が、目次や本の構成そのものにも反映されればよかったのに、と思いました。

それにしても、最近、朝日新書が健闘しているような気がします。


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2007年04月10日

「現実を変えるために憲法を変える」が本音

ここで紹介した本(長谷部泰男、杉田敦『これが憲法だ!』)を読み終えました。以前に紹介したときは、「期待はずれ」という側面を強調していたのですが、途中からは、割と分かりやすく、それなりに共感できる部分が増えていきました。

共感できたところの前に、もう一つ、違和感をもったところ。

「立憲主義とは、公と私の区別を明らかにするものだ」と強調する長谷部さんですが、9条第2項については、次のように言います。
「自衛のための実力保持を認めないのは、『非武装絶対平和主義』という、ある特定の考え方を他の人に押し付けることになり、立憲主義に反する」
私は、9条に特定の考え方、それが『非武装絶対平和主義』かどうかはともかく、が反映していることは分かりますが、それなら、「議院内閣制」だって「司法の独立」だって、特定の考え方の帰結ではないか? 長谷部さんは、人権については一般的規定でいいと言うので、問題になるのは統治機構ということになりますが、9条のみが、立憲主義に反する規定であり、他の統治機構に関する規定がそうではない
となぜ言えるのか、いまいち分かりませんでした。

9条についての理解は、最後まで違和感をもっていましたが、現実の政治課題として問題になっている「改憲論」についての議論は、納得がいきました。そして、この部分が、両者の対談で、両者が一致した部分でもあったわけです。

2人は、次のような論理で改憲論に反対します。
《憲法を変える必要があるのは9条しかない》→《「9条と現実のギャップを埋める」という議論は通用しない。実は、9条改定は、現状追認ではなく、現状変革のため。「現状に条文をあわせる」ではなく、「現状を変えるために条文を変える」ということ》

「いまの憲法でできないことをやるために、憲法を変える必要がある」。そして、「いまの憲法でできないこと」は自衛隊を持つ事ではありません。自衛隊が海外で武力行使をすることができない訳です。
この提起は、当たり前のようですが、改憲論がこの本音をなかなか明らかにしないわけですから、この部分の強調は、大変大事だなと思います。


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2007年03月31日

立憲主義と国家の過剰

いま、長谷部恭男・杉田敦『これが憲法だ!』(朝日新書)を読んでいます。だいたい半分ぐらい読みました。

長谷部さんと言えば、「国民が権力の手をしばるものが憲法だ」という立憲主義の考え方に疑問を呈し、「立憲主義とは、公私の区別を明らかにするもの」という定義を提出している憲法学者です。筑摩新書から出ている本など、これまでも何度か読み、その都度、違和感は感じながらも、問題提起そのものは新鮮に感じていました。

しかし本書は、率直にいって、期待はずれでした。対談という形が長谷部さんの素直な意見を明確にしている、ということなのかもしれませんが、次のような点で「?」です。
◎「公と私の区別を明らかにする」という立憲主義の理解について、その区別の基準は、憲法によってではなく長谷部さんの好みによってなされているような気がすること。
◎その区別の判断が、国際問題になれば、「例えばアメリカ」という普遍的な価値観をもった国に独占されうることも示唆すること。
◎体制の区別について、ときには「議会制民主主義を認めるかどうか」で語り、ときには、「憲法がしっかりしたものかどうか」でみる。

最大の問題は、やっぱり”国の権力から国民を守る”ということは必要じゃないかと思うことです。

例えば、今朝の新聞は、沖縄戦の集団自殺について、軍の関与を削除した、という教科書検定の結果について報じています。教育現場では、「国と郷土を愛すること」を教えることが必修になろうとしています。
なんていうか、「国家の過剰」。そんな様相を呈しているように思います。

こんなとき、「公と私の区別」を大切にするという立憲主義の立場から、「過剰な公」が国民の生活を圧倒しないように、権力に必要な枠をはめることが必要になる、というふうになるんじゃないかな、と思います。

まだ半分しか読んでいないので、全体を読んで私の感想が間違っているかもしれませんが・・・


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2006年11月12日

憲法問題を考えたい人にオススメ


憲法を変えれば高橋哲哉、斉藤貴男編『憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本 』(日本評論社)を読み終えました。言われていることは、まったくその通りで、とくに新しく分かったり気づいたことはないのですが、憲法について少し考えてみたいと思った人にはオススメです。

特徴は、分かりやすい。執筆陣も多彩で、映画監督の井筒和幸さん、小説家の室井佑月さん、漫画家のこうの史代さんなど、なかなか魅力的に文書を書いています。

私は「憲法が変われば戦争になる・・・」と、あまり直線的に言うのは違和感があるのですが、しかし、現実問題としてそういうこと。憲法を変えてできること(とくに、9条2項がなくなって、できること)は、海外での武力行使ですし、集団的自衛権の行使です。リアルに日本の状況を見れば、海外での武力行使や集団的自衛権の行使が、アメリカと一緒にやる戦争だということが分かります。

本書では、「戦争ができる」ためには、心も地域社会も教育も変えることが必要なことをいいますが、それもその通りだと思いました。

「北朝鮮が攻めてきたらどうするの?」「自衛隊を認めるだけならいいのでは?」などにこたえるQ&Aも説得的です。

”憲法の入門書”というより、現在、政治的に焦点になっている憲法問題を考える入門として、読まれてほしい本だと思いました。


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2006年11月03日

タレントも語りはじめた、憲法九条

今日は日本国憲法が公布されて60年の日。日本国憲法の基本的な立場――国の主権が国民にあることを明記したこと、「戦力の不保持」まで徹底した平和主義、「個人の尊重」を軸にした権利保障、などなど――は、21世紀に入り、ますます威力を発揮していると思います。安倍首相は、「時代にあわない」と言っていますが、安倍さん自身の発想が、時代にあわなくなっていることに気づくべきだと思ったりしています。

ところで、この憲法について、最近は、タレントも発言をはじめているのに注目しました。

爆笑問題の太田光が、著書までだし「憲法九条は世界遺産のように大切にするべき」と提言していることは、話題になっているし、ここでも触れました。

最近知ったのは、女優の宮崎あおいさん。『ダ・ヴィンチ』という雑誌で、「いま、憲法を改正する議論が起こっているけど、私は戦争をしたくないから、この憲法を変えることに反対」、と発言したそうです(YOUさんも紹介されています)。
今日、「朝日新聞」で意外な人が発言していました。石田純一さん。安倍さんと同世代で、信仰もあるという石田さんは、次のように語ります。

安倍さんは僕らの世代の代弁者とは思えない。過激な軍備増強・改憲論は、同世代にはかなり奇異に聞こえるはずです。現政権には「戦前に戻るつもりですか」と問いかけたい。

世界で紛争の火種が絶えない今こそ、日本は武力放棄をうたった崇高な平和憲法の理念を、世界に伝えていくべき大切な時代にある。


石田さんは、「いつか、安倍氏に自分の『憲法論』をぶつけてみたい」と思っているそうです。普段テレビでみるのと違う「石田純一」ですが、勇気ある発言として、たいへん注目しました。


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2006年10月28日

憲法の基本概念について検討する


憲法・まっとう待ちに待った一冊が、図書館に入荷(?)していました。樋口陽一『「日本国憲法」をまっとうに議論するために』(みすず書房)です。

本の背表紙に、次のような簡単な自己紹介が書かれています。

「日本国憲法」を語る際の、最も基本的なキーワードや、概念の背景について、あらためて解説・吟味します。「国家」「国民」「個人」「人権」「主権」など、まっとうに議論するためには勘違いがあってはなりません。本書は日本を代表する憲法学者によるシャープな書き下ろし。いま、憲法について論ずるための本格的な入門書です。


今日、借りてきましたが、四分の一くらいを一気に読みました。
ここでいう”シャープな書き下ろし”という形容は、分かるようで分かりにくい表現ですが、イメージとしてはその通りの内容。樋口さんの書き方につきものの、少し分かりにくい感じは相変わらずですが、その分、深く理解できそうな気がするので不思議です。

著者は冒頭、日本国憲法前文に、「人権」「平和」そして「国民主権」という、日本国憲法の三大原則といわれるものの関係を見て取りますが、ここで、「一歩立ち止まって考えてみよう」と提起します。「人権」とは何か、「平和」とは何か、「国民主権」とは何か・・・という具合に。

一例として、「国民」という言葉についての吟味を紹介すると・・・
憲法前文で「国民主権」がうたわれた場合の「国民」と、日本国憲法13条で「すべての国民は、個人として尊重される」と言った場合の「国民」と、この二つの使い方に区別があることに注意を向けます。結論的に言えば、前者が、権力に正当性を与える存在としての「国民」であり、後者が、人権の主体としての個人という意味での「国民」である。前者は、憲法によって縛られる存在としての「国民」であり、後者は、縛る側の「国民」である。――などなどと言った感じです。

樋口さんの本は、憲法学の分野では、杉原泰雄さんと並んで読んだ量では多いのですが、これまでの樋口さんの議論を、まとまって理解するうえでも、いいんじゃないかと思わせる一冊です。


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2006年08月28日

憲法判例から読み解く


憲法判例この本は、こんな書き出しからはじまります(段落はこちらでつけました)。

憲法論にとって、19世紀は「議会の世紀」だった。遅れて立憲主義を導入した帝国憲法下の日本でも、選挙権者の範囲の拡大と議会の権能の拡張、とりわけ大臣責任制をめぐる攻防が、憲法論の主要な舞台であった。
今日では、憲法論の舞台として、裁判的方法によって憲法上の権利保障を確保するしくみが、重要な関心対象となっている。〈Judicial Review Revolution〉とまでいわれる、そうした世界的な傾向のなかで、日本国憲法下の違憲審査制も、ともかくも50年ちかい経験をしてきた。
その間、憲法判例を扱った書物で、有益なものがすでにいくつも出版されているが、それに加えてあえて私たちがこの本を世に送ることにしたのは、「下級審判決からのアプローチ」によって「憲法判例を読みなおす」ことの意味の大きさを確認し、そのようなしごとの端緒としたい、と考えたからである。アメリカ型司法観念もヨーロッパ大陸型憲法裁判所も知らないこの日本で、にもかかわらず違憲審査の実りある運用を模索しようとするならば、訴訟当事者の「権利のための闘争」と、生きた生活事実への法の適用のなかで憲法規範の意味を明らかにする下級審裁判所の誠実な努力こそが、成否を分けることになるはずである。


樋口陽一、山内敏弘、辻村みよ子『憲法判例を読みなおす』(日本評論社)を図書館から借りてきた理由は、このような魅力的な書き出しにひかれただけではありません。最近、民主主義の根底にかかわる問題で、さまざまな裁判がたたかわれているからです。

その一つは、「表現の自由」と「プライバシー」の対立が争われている、とされる、ビラ配布に関わる裁判。
今日の報道によると、共産党のビラを配った僧侶が逮捕された事件で、地方裁判所が無罪判決を出したそうです。あまりにも当然の判決ですが、そのなかでも、無罪の根拠は、「ビラ配布を断る掲示がされていなかったから」ということ。
NHKの報道によると、ビラの配布の違法性が問われた事件は、四件あるそうですが、どれも極めて政治的意図を感じます。商業用のビラが配布されても、誰も訴えないのに・・・。
「表現の自由」など政治的自由が犯された場合、裁判所が、その権利を守れるかどうか――こういう角度から、最近の判例の動きを注目したいと思っています。

こう考えてみると、裁判官と教師は似ているかもしれません。どちらも、国家権力からは独立した形で、その場その場で、職責と良心に従って責任を果たすことが求められるからです。
〈裁判官と国家権力〉〈教師と国家権力〉。どちらの関係も、戦前は、国家権力によって牛耳られる関係でした。これが戦後、前者は日本国憲法によって、後者は教育基本法によって分離されるわけです。
この戦後の出発点を、「敗戦の後遺症」などと言う人が総裁候補のトップだというのですから、ますます、民主主義の原点を見つめ直す必要を感じます。


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2006年08月18日

改憲論の論客が、改憲論を斬る

いろいろなブログを見ると、終戦記念日の各紙の社説は、なかなか力作揃いだったようです。私は、全部を読んだ訳ではありませんが、ひときわ注目したのは、「東京新聞」の社説です。

同紙は、改憲論の中心的な論客と思われていた小林節さんの話を紹介します。
小林さんは、「政党、経済団体、マスコミのブレーンを務め、世論づくりに重要な役割を果たしてきました」。その小林さんが、最近になって、その改憲論を棚上げ、改憲阻止へと方向転換してしまいました」といいます。「転向の理由を聞かないわけにはいきません。研究室を訪ねました。」――このように、社説は入っていきます。

小林さんが、改憲論を棚上げした理由は、与党など改憲論者の政治家の素性を分かったことにあるようです。氏がもった危機感は、「九条以前に憲法本体が脅かされている」というもの。
記事を読んでみましょう。

この権力サークル内での活動と若手議員たちとの接触体験が統治する権力側への不信となっていきました。
苦労知らずの二世、三世議員。決定的だったのは、根幹の憲法観をめぐるその姿勢にありました。


その憲法観とは何だったか。
「憲法は権力を縛るもの」という立憲主義の原理をしらない、ということにあったと言います。権力の中枢にいることが当たり前で育った政治家は、そうなるのも当然かもしれませんが。
記事は続きます。

権力に近い世襲議員たちの憲法観は、憲法をつかって国民を縛ろうというものでした。「国を愛せ」「家庭を大切に」と道徳にまで介入しようとするその“新しい憲法観”は、その実、明治憲法への逆行でした。
小林教授には、この国のなかに「国家とは私」「まるで自分たちが主権者だった明治天皇の地位にいるような古い感覚」の特権階層が生まれたことが、心底からの驚きでした。
立憲主義の本質をわきまえない政治権力ほど恐ろしいものはありません。自分たちは安全地帯にいながらの歯止めなき海外派兵ともなるでしょう。

改憲論の中心を担う自民党などの「若手」(ホンマに若いか? といつも疑問)政治家との接点のなかでの実感ですから、説得力を感じました。

ところで、世論調査によると、次の総裁には安倍さんがふさわしいとこたえる方が多いようです。なぜ、これだけの人が安倍さんを支持するのかは興味あるところですが、安倍さんはじめ、名前があがった政治家すべてが、「苦労知らずの二世、三世議員」となれば、そもそも選択の余地が少なすぎるのかもしれません。
私は、世襲のすべてが悪いと思いません。しかし、権力の側にいることの危険性・恐ろしさを自覚しない人が、権力を握ることは、民主政治そのものを危うくするものだと思っています。


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2006年05月15日

関心ある分野・・・方法論、比較憲法学、学説史

このところ、本が読めていなかったのですが、図書館から借りてきた、この本を読み始めています。長谷川長安『新版 憲法学の方法』(日本評論社)。

出版は1968年ですから、相当前のものですが、読み応えはあると感じています。
私は、「方法論」という言葉に、どうも弱いようです。見田石介『「資本論」の方法』がありますが、これも「方法」に魅せられて、読み切った記憶があります。
さらに、憲法学の本は――なかでも、比較憲法学には、以前から関心を寄せていました。そういう点でも、本書は面白く読めます。

ところで、歴史学の本では、永原慶二『20世紀の歴史学』という本があります。歴史学はあまり読んだ事はないのですが、この本は、面白く読めました。歴史学に『20世紀の歴史学』があるように、憲法学の歴史をあつかった本はないかな・・・


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2006年05月03日

憲法の誕生日に「誕生の本」を読む

古関彰一『新憲法の誕生』(中央公論社)を読み始めました。

この本の存在は前から気になっていたのですが、なかなか実物と出会えなかったり、他に読みたい本があったりという感じで、読めずにいたものです。しかし、憲法制定史に関わる文献を読むと、必ず紹介される一冊だけに、一度は読んでおきたいと言う思いでいました。

著者は冒頭、「押しつけ」憲法論にも言及しながら、次のように言います。

憲法制定過程とは決して国家対国家の対決という図式によって解明されるものではなく、国家をこえた憲法観、法思想の対決という図式によって、はじめて解明されうるものであろう。


なるほどと思いました。
私は前から、日本国憲法の位置を、世界と日本の憲法史のなかで(それをめぐる人々の歴史も視野に)とらえることが大事だと思っていたし、それは日本国憲法自身が自覚しているものだと思っていました。しかし、「国家対国家」として制定過程をとらえることの弱点との関係でつかむという視点は、ここではじめて学びました。

今日は憲法記念日。まさに、新憲法が誕生したその日です。最近、憲法にまつわる本を読むことが多くなっているのですが、誕生日を含む月に、そうなるのも仕方ないですよね。


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2006年04月30日

改憲論がはる煙幕を払いのける

愛敬浩二『改憲問題』を読み終えました。
改憲派が繰り出す、〈本音を隠す煙幕〉を次々と払いのけていき、改憲派の本音と彼らの議論の底の浅さが表出されていきます。例えば、著者は、改憲派の議論のなかに、九条改定をすすめる積極的・魅力的なイデオロギーがないことを指し、〈「九条論」の貧困〉を指摘します。これも、世の中に氾濫している改憲論の弱点をズバリついたものとして読みました。

また、いろいろ問題意識もわいてきました。本書で紹介されている本のいくつかにも挑戦してみようと思いました。


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2006年04月28日

『改憲問題』


改憲問題愛敬浩二『改憲問題』(ちくま新書)を読んでいます。舞台を、”ある大学のゼミ室”とし、そこで学生から出されるさまざまな「改憲論」に対して、論を張っていくという構成。改憲論に対する切り込みが鋭く、テンポよく読ませる好著だという印象です。

例えば、「押しつけ憲法論」に関わっては、アメリカの南北戦争時に遡り、”いまのアメリカ憲法に、黒人差別を禁止する条項があるのは、南部諸州から見ると、戦争によって北部から押し付けられたものだったが、それを「悪い」と言えるだろうか”と提起。1776年の独立宣言によって、アメリカに自由は「受胎」されたが、その後、それが生まれるには200年かかった、という趣旨も織り交ぜて、こうした話が展開されます。

また、各分野から出される改憲論の共通点に注目し、「もしこれが、定期試験なら、集団カンニングを疑いたくなるほどだ」と言いながら、いまの改憲論の目的が、「自衛隊を認める」という現状追認にあるのではなく、「アメリカと一緒に海外で武力行使をできる”自衛軍”をつくる所にある」ということを告発しています。

いま読んでいるところは、立憲主義と民主主義の関係について論じはじめた部分。前から、この両者の関係は疑問だったので、かなり関心大です。


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2006年04月26日

『日本国憲法制定の系譜』を読み始める


系譜1原秀成『日本国憲法制定の系譜 volume1』(日本評論社)を読み始めました。前々から、図書館で手にとっていたのですが、厚い本なので遠慮していたものです。今回、思い切って読むことにしました。

「日本国憲法は、どのような系譜のもとに制定されたものだろうか。本叢書ではこの問題を、その根源から探っていく」

本文の最初の一行です。著者は、「地下水脈」という言葉を使っていますが、日本国憲法を生み出すに至った経過を、日本国内の従来の議論や世界的な探求(とくにアメリカ国内)を視野に入れて、明らかにしようとしています。それも、基礎資料をもって。
本書への期待は、ここにあります。つまり、日本国憲法の制定過程について、《資料をもって語る》こと。そのために著者は、「系譜学」という新しい方法論も提示して、議論をはじめます(この辺りの議論は難しい)。

いま、憲法に関わる本を二冊同時並行で読んでいるのですが、どちらも「押しつけ憲法論」を批判するメスが鋭い。本書では、アメリカは「日本政府」と「日本の人々」の区別が、かなり意識的にされており、「押し付けられた」のは、日本政府の方だったことを指摘しています。

なにせ厚い本なので、先は長いのですが、よく学びたいと思います。


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2006年02月26日

センが吟味する「人権」

センが議論する、「人権」についても紹介します。

センの問題提起は、「人権は、何によって定義づけられるか?」ということ。これは、大切な提起だと思いました。というのも、自然権論者は、人権を「神が与えた」とし、平等を「神が平等に作ったから」としたわけです。「神が・・・」は虚構ですが、では、人権が虚構かというと、そうではないと思います。では、「何によって?」と問う必要があると思うからです。

センはこれを、「倫理的な要求」と言います。最初は、「?」だったのですが、だんだん分かってきました。

実はこの問題意識は、数年前にある文章を読んで以来、持っていたものです。それは、東大の先生たちがまとめた『基本的人権』という本の冒頭の論文(高柳信一「近代国家における基本的人権」)です。ここで高柳さんは、”人権の要求には、〈人間解放の要求=すべての人間が、その精神的物質的資質を全面的に展開する事ができる価値をもつ〉を前提とせざるを得ない”を書いています。そして、そこには、「人間」をそういうものだとみる価値観が前提にされていることも指摘されています。また、この「人間解放」の要求(人類普遍の要求)が資本主義社会のなかであらわれる形態(歴史的な特殊的表現)が「人権」だとしています。

私はこの提起は、すごく大事だと思ってきました。そして、センの文章を読んで思い起こしたとき、このことを、センが倫理的なものとしてい指摘したのかと思いました。

後に続くセンの議論はよく分からないのですが、久しぶりに頭をつかったような気がします。


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センが吟味する「民主主義」

アマルティア・セン『人間の安全保障』(集英社新書)をもうすぐ読み終えます。この人の本を読む場合、この人が自明のこととしてとりあげている事例が分からないと、しんどいかもしれません。他の人なら丁寧に解説があると予想されるものでも、どんどん飛ばしていきます。その点が、難しさになっているようにも思えます。

でも、学ぶところもいっぱいあります。その一つは、基本的な概念を、基礎づけている部分。例えば、「民主主義」とか「人権」「自由」とか、分かっているはずの概念について、色々考察を加えています。

「民主主義」のことで強調するのは、「民主主義』を「公開選挙」だけに限定する狭い見方を批判し、もっと広い見地から民主主義をとらえるという問題です。センは、「民主主義がもとめているのは投票箱だけではない」と言いますが、なるほどと思いました。
では、どう理解すればいいのか? センは、〈公共の論理〉という視点を提供します。具体的には、「公開」と「寛容」という言葉になるようです。詳細はよく分かりませんが、センの問題意識はよく分かると思いました。


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2005年09月01日

「戦後60年で最大のニュースは?」と聞かれたので…

聞かれた、というか、あるサイトでアンケートがあったので、つらつらと書いていました。しかし、われながら堅い! あまりにも堅苦しくなったので、そのサイトで「送る」をクリックするには忍びなく、しかし、せっかく書いた努力を無にするのも忍びなく。結局、Blogに持ってきました。

戦後60年の最大のニュースは、日本国憲法の成立だと思っています。それは、20世紀の前半に、世界で侵略戦争を起こした大国の一つ(アジアでは唯一の国)が、「戦争をしない」「武力は持たない」と宣言したからです。世界でも最も好戦的だった国が、世界で最も徹底した平和の国になったこと――この意味は、大きいと思います。

その後、この憲法の理想は、「理想」でとどまる情勢が続きました。しかしそれは、21世紀の世界では、現実のものとなりつつある情勢が展開しています。「ただの理想」の日本国憲法が、世界の現実の先導となりつつある、これが、21世紀の到達点だと思います。

日本国憲法の成立は、人類の憲法史のなかでとらえてみても画期的でした。
「権力の抑制」を目的とした立憲主義は、日本国憲法によって、権力の実力行使にとって最も大切な「交戦権」「武力の保持」という権利を奪われました。そのことによって、日本国憲法は、立憲主義の伝統を最も生かしたものとなったと思います。
人権の伝統は、日本国憲法の成立によって、自由権と社会権が日本史上はじめて取り入れられたことで生きているし、さらに、「平和的生存権」にまで高められました。
これらは、世界の憲法の流れを継承したものです。
世界の憲法の流れのなかで異質だったのは「武力の不保持」ですが、これは、人類の理想を現実化したもので、やはり、憲法史上、画期的であったと思います。

あなたなら、「戦後60年の最大ニュース」は、何とこたえますか??

2005年08月17日

「憲法9条は変えてはいけない」というメッセージ


20050817905ebe62.JPG『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』という長いタイトルのブックレットを読みました(岩波ブックレット)。
別に買うつもりはなかったのですが、岩波書店のHPをのぞいたときに、力を入れて紹介してあったので、その岩波の決意にも共感して、購入です。

論者が多彩なのが、そもそもの面白さですが、そこで議論されていることも、なかなか大切だなと思いました。

◇アフガニスタンで医療活動を続ける医師=中村哲さん。「吾が身のほうが『憲法9条』に実際に守られてきたことを肌身で感じています。」「現実を知らないから『軍隊に守られるのは危険』とか『軍隊そのものが危険』という認識が持てないんです。『丸腰の強さ』を現地にいると痛感します。」
◇女優の吉永小百合さん。「人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っています。」「武器ではなく、憲法9条こそが、私たちを守ってくれます。」
◇作家の井上ひさしさん。「無防備地域の考え方は、日本国憲法の前文および第9条の非武装平和主義にうながされてできたものです。」「日本の国内ではだんだんと日本国憲法の前文と9条の精神が孤立しているように見えますが、全然孤立していません。国際的には非常に大きな力の強い動きになっているのです。」

紹介したいコメントは、まだまだありますがこの辺りで。
みずからの言葉で、肩肘はらず、心のこもったメッセージを語ることの大切さも学ばされます。

2005年08月12日

日本国憲法の成立過程を学ぼう


20050812cab2937c.jpg今日、図書館で鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(創元社)を借りてきました。

前にここにも書きましたが、大塚英志さんの『憲法力』を読んで触発されました。この本の存在は前から知っていたのですが、「密室」という言い方が少しひっかかっていました。
「まえがき」を読んで思ったのは、次のようなことです。
GHQが憲法の草案を書いたことは、当時は秘密裏でしたから、客観的には「密室」だったわけです。でも、憲法学者の樋口陽一さんが「密室ではあったが、その空気は澄んでいた」と言うように、自由と民主主義、平和な日本をめざす志は高かったと言うべきでしょう。さらに、「密室」だったのはあくまでも草案で、その後は、国会での公然の議論のもとで採択されたのが日本国憲法だというのはご承知のとおりです。

これまで「密室」という言葉にとらわれて読んでこなかったことを恥じました。やっぱり、思い込みはいけないですね。

大変、面白そうな本なので、読むのが楽しみです。



2005年07月24日

君主制の国

『概説 イギリス憲法』も統治機構論まできました。話は、国王と君主制のことからはじまります。

イギリスと言った場合、君主制の国という特徴を忘れるわけにはいきません。実際、議会も政府も司法も「女王のため」に存在するのが建前となっています。
例えば議会は、上院(貴族院)と下院(庶民院)がありますが、この二つに加えて国王も構成要素になっているそうです。

しかし…といって、著者は次のように書いています。

「君主の地位および君主制の根拠は議会の総意による。すなわち、国王大権は名誉革命後も残存したとはいえ、君主制の運命は議会の手中にあり、議会の総意によって共和制に移行させることも可能であり、また廃止せずとも、次第にその権限を縮減させていくことも可能である。」

2005年07月23日

イギリス憲法の法源

イギリス憲法の法源について、メモします。それは、判例法、議会による立法、司法的先例、憲法習律(慣例)、EU法です。

――第一次法源は判例法、第二次法源は議会制定法だそうです。しかし、議会制定法は、イギリス憲法の中でもっとも効力の高い法源だそうです。ちょっと、分かりにくいです。
――憲法習律とは憲法の運営上成立した慣例だそうです。文章にもなっていないにもかかわらず、これを破れば政治的な制裁を余儀なくされるそうです。
――EU法。これは、国際法上の条約ですから、どう国内法化するか、という問題があるそうです。