2006年12月24日
”1848年のマルクス”から学ぶことにしよう
年の瀬が迫ってくると、”来年は何を勉強しようかな”と構想を練るようになります。だいたい、予定通りにすすむことはないのですが、それでも、”構想を練る”ということ自体が、なんだか楽しくて、毎年この時期には、いろいろ考えています。
そんななか、来年の課題として急浮上してきたことがあります。
それは、”1848年革命を前後するヨーロッパの情勢と、それを分析するマルクスやエンゲルスの論立てから、現状分析の視点を学ぶ”ということです。
世界史の知識がゼロの私には、1848年革命はほとんど分からない話なのですが、憲法の勉強をしていても、マルクスやエンゲルスのものを読んでいても、知らないではすまされない歴史的事件だということは分かります。しかし、なかなかここを学ぶ機会もなく、過ぎてきました。
そんななか、この時期のマルクスやエンゲルスの業績について、不破哲三さんが紹介している文章に出会いました。この論文が分かりよかったということと同時に、大変おもしろい問題意識を与えてくれました。
不破さんは、この時期のマルクス・エンゲルスの業績を紹介しながら、”ここに、彼らが現代史を理解する指針として、史的唯物論をどう生かしたかを読み取ることができる”という趣旨の強調を繰り返しています。
なるほど、私たちが学ぼうとするのは、何をおいても、現代を生き、未来を切り開こうとするからです。そうであるなら、”過去の歴史を説明するための理論”として考えられがちな史的唯物論について、そういう前提を排して、同時代を視る目として学ぶことは、何よりも大切だ、ということになるなと思いました。
ということで、07年は、1848年前後をうろうろする一年になりそうです。あくまでも、予定通りに学んで行けば、ということですが・・・
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そんななか、来年の課題として急浮上してきたことがあります。
それは、”1848年革命を前後するヨーロッパの情勢と、それを分析するマルクスやエンゲルスの論立てから、現状分析の視点を学ぶ”ということです。
世界史の知識がゼロの私には、1848年革命はほとんど分からない話なのですが、憲法の勉強をしていても、マルクスやエンゲルスのものを読んでいても、知らないではすまされない歴史的事件だということは分かります。しかし、なかなかここを学ぶ機会もなく、過ぎてきました。
そんななか、この時期のマルクスやエンゲルスの業績について、不破哲三さんが紹介している文章に出会いました。この論文が分かりよかったということと同時に、大変おもしろい問題意識を与えてくれました。
不破さんは、この時期のマルクス・エンゲルスの業績を紹介しながら、”ここに、彼らが現代史を理解する指針として、史的唯物論をどう生かしたかを読み取ることができる”という趣旨の強調を繰り返しています。
なるほど、私たちが学ぼうとするのは、何をおいても、現代を生き、未来を切り開こうとするからです。そうであるなら、”過去の歴史を説明するための理論”として考えられがちな史的唯物論について、そういう前提を排して、同時代を視る目として学ぶことは、何よりも大切だ、ということになるなと思いました。
ということで、07年は、1848年前後をうろうろする一年になりそうです。あくまでも、予定通りに学んで行けば、ということですが・・・
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2006年12月22日
『非対称情報の経済学』を読む
薮下史郎『非対称情報の経済学』(光文社新書)を読み終えました。感想は、「☆ひとつ」っていう感じです。
著者は、市場経済においては、新古典派の経済学者がいうほど需要と供給でうまくバランスが取れるようなものではない、ということをいろいろいいます。とくに、情報における非対称性が問題である、と。
”市場経済が、万能ではないんだ”という辺りの説明は、需要・供給曲線の意味解説も含めて、丁寧で分かりやすい印象を受けました。
しかし、私にとっては、分かりよかったのもここまででした。
経済学の基本的な知識がないということが、分かりづらかった要因の最大のものでしょう。同時に、すべての議論が抽象的すぎる印象も受けました。「抽象的すぎる」というのは、例えば、賃金の問題を論じるにも、企業と労働者の関係が、それぞれが対等なプレーヤーとして論じられていて、具体的な労働者と企業家の姿がみえなかった、などという意味です。近代経済学の枠組みだと仕方ないのかもしれませんが、あらゆる問題が、「適切な資源配分」に収斂されるのも違和感を感じる点でした。
ただ、スティグリッツの議論に興味がないわけではないので、引き続き、関心はもちつづけていきたいなとは思いました。
2006年12月19日
『自由論』を読み始める
J・S・ミル『自由論』を読んでいます。光文社から新しくでたもので、翻訳は山岡洋一さんです。ミルは、本書の目的を「社会が個人に対して適切に行使しうる権力の性質と限界が、この小論のテーマである」と語っています。市民生活のなかでの自由、公民としての生活のなかでの自由。こういう問題について、さまざまな角度から論じられています。
途中まで読んでいて、少し読みにくさを感じているのが率直な感想ですが、ときどき、「おっ」と思うことにもぶつかります。
例えば、ある議論について、”反論ができること”の大切さについて、次のように言います。
人間の判断に頼ることができるのは、間違いを正すための手段がつねに用意されている時だけである。ほんとうに信頼できる判断をくだせる人は、なぜそのような能力を身につけることができたのだろうか。自分の意見と行動に対する批判に、いつも心を開いてきたからである。
他にも、自分と異なる意見に耳を傾けることの大切さについて、ミルは繰り返し論じています。
キケロは、本人が残した記録によれば、自分の意見以上にとはいえないまでも、少なくともそれと変わらないほど熱心に、論敵の意見を研究するのを習慣にしていた。・・・自説の根拠しか知らない人は、その問題についてほとんど何も知っていない。
これらは、「言論の自由」を擁護する論脈で語られていることです。ここまではどちらかというと、社会のなかでの自由の問題というより、思考の方法、議論の仕方について深まる感じをしています。
2006年12月17日
ゴロンと論語
時々お邪魔する松竹さんのHPに紹介されていた一冊。一海知義『論語語論』(藤原書店)を読んでいます。前々から、洋の東西を問わず、一般教養が不足していることは痛感しています。いまはやりの「教養ブーム」に乗っかるつもりは毛頭ないのですが、しかし、先人が残した遺産に可能な限り直接触れて、みずからの糧にする作業が必要だというのは、みずからの課題と思ってきました。
最近では、劇作家の木下順二さんが亡くなったことで、さまざまな分野から追悼の思いが発せられていますが、そういうもののいくつかを読んでも、私の見識の”狭さ”をあらためて痛感するのです(ちなみに、木下順二さんの本は、『夕鶴』『”劇的”とは』を持っていますが、読まずに詰ん読状態です)。
この、『論語語論』。大変、おもしろいです。誰でも名前は知っている『論語』を「語」にしぼって論じたという意味での「語論」なんですが、それを、「ゴロン」と読んでほしいという著者の思いも込められたタイトルそのものからも、著者のユニークが伝わってきます。
内容的にも、さまざまな刺激を受けています。
例えば、「仁を身につけている人は、難を先にし、獲〔う〕るを後にする」という『論語』の一節。「獲る」とは、「私利」という趣旨で理解できるそうです。そうすると、困難をついつい後回しにしてしまう私などは、とても「仁者」とは言えなくなる・・・と反省させられたりします。
「学びて然る後、足らざるを知る」という一節には、”「然る後」とは、「その後で」という意味より強い意味があり、「学んでこそ、自分の力不足が分かるんだ」といことになる”と解説されています。「未知の知」という言葉よりも、もう少し広く、学ぶことの大切さを語っているようにもとれました。
あと、漢詩を直接読みながら、いろいろ予想をするのも面白い。”英語と同じように、中国語も「主語+動詞」となっているだろうから、そういうことを意識すれば、結構、読めるかも”などと、予想をしながら、読んだりしています。
『論語』そのものというより、漢詩に興味が沸きはじめてきました。一海さんの他の本に当たってみようかな〜
2006年12月15日
日本で成立した教基法。国連で採択された「障害者の権利条約」
昨日、今日と、国内外からさまざまなニュースが飛び込んできています。
今日、教育基本法の改定案が参院を通過し、可決しました。
いま、J・S・ミル『自由論』を読んでいますが、19世紀のイギリスで書かれた本書で扱われている思想や良心の自由の問題が、21世紀の日本の教育を論じる基本法で、「国家の教育のため」という口実で踏みにじることが可能となるアナクロリズム。「国家のための教育」によって失敗した60年以上前の失敗を繰り返そうというアナクロリズム。さまざまな議論が、すべて「100時間を費やしたのだから」で過ぎ去るナンセンス。そして、「国民の声を聞いた」と声高に叫びながら、その「国民の声」をねつ造したことに対する自覚のなさというナンセンス。・・・とまぁ、言い出せばきりがないほど言いたいことはありますが、これほど反教育的な経過で成立した教育の基本法を、我が子たちにどう伝えるか、新しく考えるべき点がでてきたことは確かです。
海外からは、嬉しいニュースが飛び込んできています。国連総会で、「障害者の権利条約」が採択されたこと。障害をもっていても、人としての権利が保障されるということが、国際的に条約として認知されたということですから、嬉しいですね。「子どもの権利条約」のように、各国の条約履行条項をチェックする委員会が設置されるようです。
障害をもった人々のたたかいには、あまり詳しくありませんが、きっと、人としての権利を勝ち取るために、さまざまな努力や苦闘をしてきたんだと思います。そして、時には逆流や挫折にあいながらも、人類の進歩を信じて、理想を掲げてたたかってきたんだと思います。
日本国内で起きた教育をめぐる逆流に目を奪われてしまうだけではなく、障害をもった人々が権利条約を手にするまでに努力した歴史にもしっかり目を向け、教育を、子ども達の未来を、私たちの生き方を考えていきたいと思います。

今日、教育基本法の改定案が参院を通過し、可決しました。
いま、J・S・ミル『自由論』を読んでいますが、19世紀のイギリスで書かれた本書で扱われている思想や良心の自由の問題が、21世紀の日本の教育を論じる基本法で、「国家の教育のため」という口実で踏みにじることが可能となるアナクロリズム。「国家のための教育」によって失敗した60年以上前の失敗を繰り返そうというアナクロリズム。さまざまな議論が、すべて「100時間を費やしたのだから」で過ぎ去るナンセンス。そして、「国民の声を聞いた」と声高に叫びながら、その「国民の声」をねつ造したことに対する自覚のなさというナンセンス。・・・とまぁ、言い出せばきりがないほど言いたいことはありますが、これほど反教育的な経過で成立した教育の基本法を、我が子たちにどう伝えるか、新しく考えるべき点がでてきたことは確かです。
海外からは、嬉しいニュースが飛び込んできています。国連総会で、「障害者の権利条約」が採択されたこと。障害をもっていても、人としての権利が保障されるということが、国際的に条約として認知されたということですから、嬉しいですね。「子どもの権利条約」のように、各国の条約履行条項をチェックする委員会が設置されるようです。
障害をもった人々のたたかいには、あまり詳しくありませんが、きっと、人としての権利を勝ち取るために、さまざまな努力や苦闘をしてきたんだと思います。そして、時には逆流や挫折にあいながらも、人類の進歩を信じて、理想を掲げてたたかってきたんだと思います。
日本国内で起きた教育をめぐる逆流に目を奪われてしまうだけではなく、障害をもった人々が権利条約を手にするまでに努力した歴史にもしっかり目を向け、教育を、子ども達の未来を、私たちの生き方を考えていきたいと思います。
2006年12月11日
経済学者の直言
根井雅弘『経済学の歴史』(筑摩書房)を読み終えました。”数式とか難しいところはどんどん飛ばして”という感じで読んだので、中身はほとんど理解できてないのですが、面白く読めた一冊でした。
とくに面白いと思うのは、所々に提示される筆者の問題意識です。経済学の本を書くくらいですから、経済学が専門の先生なんだと思いますが、”経済学者が、経済だけを知っていてもダメなんだ”という趣旨のことを言います。つまり、狭い専門の分野で閉じこもるのではなく、他分野の知見にも接するなど、広い視野が大事だ・・・ということなんだと思います。
そういう学問論として読みました。
例えば、次のように言っています。
ミルの言葉そのものは、”学者たる以前に、人であれ”と言っているような気がしますが、ともかく、こういう言葉に照らせば、現代の経済学者は誰も合格しない、という言い方は、そうとう強い批判だと思います。
「あとがき」にも、次のように書かれています。
そして筆者は、”経済学を学ぶものは、別の世界にも関心をもつような寛容な人であって欲しいと思う”と書いて、本書を閉じます。
私は経済学者ではありませんし、何か特別な専門分野をもっている訳ではないのですが、しかし、ここで言われている指摘は大切だなと思います。幅広く、教養を身につけながら、広い視野と鋭い視点を持ちたいと思うこの頃です。

とくに面白いと思うのは、所々に提示される筆者の問題意識です。経済学の本を書くくらいですから、経済学が専門の先生なんだと思いますが、”経済学者が、経済だけを知っていてもダメなんだ”という趣旨のことを言います。つまり、狭い専門の分野で閉じこもるのではなく、他分野の知見にも接するなど、広い視野が大事だ・・・ということなんだと思います。
そういう学問論として読みました。
例えば、次のように言っています。
かつて、ミルは、「経済学者以外の何でもないならばその人はよい経済学者とは言えない」という名言を残したが、この基準に照らすならば、現代の経済学者のほとんどは次第することが出来ないだろう。
ミルの言葉そのものは、”学者たる以前に、人であれ”と言っているような気がしますが、ともかく、こういう言葉に照らせば、現代の経済学者は誰も合格しない、という言い方は、そうとう強い批判だと思います。
「あとがき」にも、次のように書かれています。
ところで、本書を最後まで読んで下さった読者は、経済学者の教養の幅が、例外を除いて、現代に近づけば近づくほど狭くなっていくことに気づくだろう。
そして筆者は、”経済学を学ぶものは、別の世界にも関心をもつような寛容な人であって欲しいと思う”と書いて、本書を閉じます。
私は経済学者ではありませんし、何か特別な専門分野をもっている訳ではないのですが、しかし、ここで言われている指摘は大切だなと思います。幅広く、教養を身につけながら、広い視野と鋭い視点を持ちたいと思うこの頃です。
2006年12月09日
今月は近代経済学を
気がつけば、ずっと更新してませんでした
今月は、近代経済学について学んでみようと思っています。9月、10月には、比較的集中して読んだのですが、そのとき、読み損ねた本も含めて。
中途半端で終っていたのは、根井雅弘『経済学の歴史』(筑摩書房)。マーシャルの章から、再開しました。基本的には資本主義擁護派の経済学という限界はあるわけですが、現実の経済現象を分析する視点や手だてについては、よく学び取ってみたいと思います。また、そこにある、科学性を読み取れるように努力してみたいと思います。
数ヶ月前から楽しみにしていた一冊を買ってきました。J・S・ミル『自由論』。光文社から新しく出た翻訳を買ってきました。本書そのものが、経済学について直接論じている訳ではないのですが。
岩波文庫のものは手元にあるのですが、新刊ということで購入。岩波の方は、こんなに
分厚いのに、光文社はこれだけ
の厚さ。翻訳によって、こんなに違うものなのかな〜
あと、その他にいろいろ読んでみたいものはあるのですが、スミス、リカード、ケインズは原典を読んでみたい。そして、日本の経済学者の著書、杉本栄一、宇沢弘文、都留重人なども読んでみたいと思っていますが、いつになるかな・・・

今月は、近代経済学について学んでみようと思っています。9月、10月には、比較的集中して読んだのですが、そのとき、読み損ねた本も含めて。
中途半端で終っていたのは、根井雅弘『経済学の歴史』(筑摩書房)。マーシャルの章から、再開しました。基本的には資本主義擁護派の経済学という限界はあるわけですが、現実の経済現象を分析する視点や手だてについては、よく学び取ってみたいと思います。また、そこにある、科学性を読み取れるように努力してみたいと思います。
数ヶ月前から楽しみにしていた一冊を買ってきました。J・S・ミル『自由論』。光文社から新しく出た翻訳を買ってきました。本書そのものが、経済学について直接論じている訳ではないのですが。
岩波文庫のものは手元にあるのですが、新刊ということで購入。岩波の方は、こんなに
あと、その他にいろいろ読んでみたいものはあるのですが、スミス、リカード、ケインズは原典を読んでみたい。そして、日本の経済学者の著書、杉本栄一、宇沢弘文、都留重人なども読んでみたいと思っていますが、いつになるかな・・・
2006年12月03日
アメリカ外交に関する本を読んで感じた三つのこと
ここで、「読みはじめた」と書いた本(西崎文子『アメリカ外交とは何か』)を読み終えました。全体で印象に残ったのは、次の三つです。
1つは、「外交とは何か」という問題については、いまいち分からなかったということ。アメリカの歴史を外交という角度で知るにはいい一冊だと思いましたが、外交そのものを論じるという点では、学びとりにくかった、というのが印象です。
外交が有効に働く力がどこにあるのか、外交における国家の意思と外交官の役割り、外交と国際関係の間の関連などなど、知ってみたいなと思う問題意識は、でてきました。
2つは、アメリカにおけるラテンアメリカと太平洋の持っている重みということです。
帝国主義を語る際の指標として、よく言われる米西戦争について、本書も言及していますが、その舞台が、まさにラテンアメリカであったこと、米西戦争によって、フィリピンとキューバがアメリカによって支配される(形はいろいろだが)ことで、アメリカ自身が、「帝国主義」という新しい段階に踏み出したことなど、なかなか興味深く感じました。もちろん、支配される側であった、民衆の側からの視点で、この辺りの歴史的事実をよく知りたいと思った、ということです。
3つは、イスラム諸国の台頭という問題です。
本書では、戦後のアメリカ外交に影響を与えた世界の構造の変化として、一つはイスラム諸国の台頭、もう一つはソ連・東欧の崩壊をあげています。どちらも重要で、とくに、後者については、これまでも20世紀の世界の構造変化を考える際にはキーワードだったと思っていましたが、イスラム諸国の位置づけについては、新鮮に感じました。
筆者は特に、イラン革命(1979年)の意味について、大きくとりあげています。イラン革命についての大略は知っているつもりですが、もうちょっと詳しく知りたいなと思いました。あわせて、イスラームそのものへの理解を深める必要性も感じています。

1つは、「外交とは何か」という問題については、いまいち分からなかったということ。アメリカの歴史を外交という角度で知るにはいい一冊だと思いましたが、外交そのものを論じるという点では、学びとりにくかった、というのが印象です。
外交が有効に働く力がどこにあるのか、外交における国家の意思と外交官の役割り、外交と国際関係の間の関連などなど、知ってみたいなと思う問題意識は、でてきました。
2つは、アメリカにおけるラテンアメリカと太平洋の持っている重みということです。
帝国主義を語る際の指標として、よく言われる米西戦争について、本書も言及していますが、その舞台が、まさにラテンアメリカであったこと、米西戦争によって、フィリピンとキューバがアメリカによって支配される(形はいろいろだが)ことで、アメリカ自身が、「帝国主義」という新しい段階に踏み出したことなど、なかなか興味深く感じました。もちろん、支配される側であった、民衆の側からの視点で、この辺りの歴史的事実をよく知りたいと思った、ということです。
3つは、イスラム諸国の台頭という問題です。
本書では、戦後のアメリカ外交に影響を与えた世界の構造の変化として、一つはイスラム諸国の台頭、もう一つはソ連・東欧の崩壊をあげています。どちらも重要で、とくに、後者については、これまでも20世紀の世界の構造変化を考える際にはキーワードだったと思っていましたが、イスラム諸国の位置づけについては、新鮮に感じました。
筆者は特に、イラン革命(1979年)の意味について、大きくとりあげています。イラン革命についての大略は知っているつもりですが、もうちょっと詳しく知りたいなと思いました。あわせて、イスラームそのものへの理解を深める必要性も感じています。
2006年12月02日
出だしに惚れて、カント入門
一目惚れというのでしょうか。出だしを読んだだけで、”面白そう”と引きつける本に、時々出会います。本書もその一つ。次のような言葉ではじまっています。入門書は、解説しようとする本体との距離感こそ決定的に重要である。この距離感は、例えば地図の縮尺の問題をどう考えるか、ということに似ている。例えば、〈東京〉という都市を知ろうとして、地図を作ることをもくろむ。東京全体を一枚の地図に書けば、東京という全体像はつかめるが、具体的に東京を探るにはほとんど役にたたない。
逆に、地図が詳細になりすぎると、地図としての役割りをなくしてしまう・・・と文章は続きます。
なるほど、解説本と言われるものの功罪は、この距離感にあるのかもしれません。
そんな本書の主題は、カント。大切な思想を秘めていると思いつつも、多分、一生原文を読みきることはないだろうな、と思う思想家の一人です。それだけに、よい解説書に出会いたい思いが、強い人かもしれません。
ということで、別にカントに問題意識があったわけではないのですが、本書=黒崎政男『カント「純粋理性批判」入門』(講談社選書メチエ)を読んでみることにしました。
今月のテーマを、ヘーゲルにしようかと悩んでいたところでもあったし、カントのことについて、詳細は分からなくても、だいたいのことは知りたかったので、これを機会に読んでみようかと思います。
2006年11月30日
凛とした外交へ
今日、本屋さんで目についた一冊。古森義久『凛とした日本〜ワシントンから外交を読む』(PHP新書)。
まず、「凛」という字に目がいきました。何を隠そう、我が子の名前。また、「ワシントンから外交を読む」という設定も、面白いなと思いました。日本の外交を、少し広い視野で見るということが大切だと常々思っていたからです。
しかし、興味を持ったのはここまで。パラパラと本をめくり、期待は幻滅へ。何となくしか見ないで感じた感想に過ぎませんが、内容としては、中国脅威論のオンパレード。「凛」という言葉も、他国の「圧力」に負けずに、「凛」とできる軍事・安全保障の体制を、ということのようです。
しかし、私が息子に託した、「凛」という言葉の意味は、正反対です。そして、私がいま必要な日本の外交の「凛」とした姿勢には、「憲法九条」の平和原則を掲げた確固とした姿勢が必要だと思っています。
ともかく、外交とは何なのか。よく知りたいと思いました。
ときどき、「外交に軍事力は必要だ」という俗論を聞きますが、その理論が歴史的に絶えうる議論なのか、そもそも、外交をどう論じるべきなのか、少し深めて考えてみたいと思っています。
外交を考える上では、現実に展開する世界認識が前提ともなるでしょう。そういう点でも、問題意識をもって、いろいろ学んでみたいなと思いました。

まず、「凛」という字に目がいきました。何を隠そう、我が子の名前。また、「ワシントンから外交を読む」という設定も、面白いなと思いました。日本の外交を、少し広い視野で見るということが大切だと常々思っていたからです。
しかし、興味を持ったのはここまで。パラパラと本をめくり、期待は幻滅へ。何となくしか見ないで感じた感想に過ぎませんが、内容としては、中国脅威論のオンパレード。「凛」という言葉も、他国の「圧力」に負けずに、「凛」とできる軍事・安全保障の体制を、ということのようです。
しかし、私が息子に託した、「凛」という言葉の意味は、正反対です。そして、私がいま必要な日本の外交の「凛」とした姿勢には、「憲法九条」の平和原則を掲げた確固とした姿勢が必要だと思っています。
ともかく、外交とは何なのか。よく知りたいと思いました。
ときどき、「外交に軍事力は必要だ」という俗論を聞きますが、その理論が歴史的に絶えうる議論なのか、そもそも、外交をどう論じるべきなのか、少し深めて考えてみたいと思っています。
外交を考える上では、現実に展開する世界認識が前提ともなるでしょう。そういう点でも、問題意識をもって、いろいろ学んでみたいなと思いました。
2006年11月27日
世界に目を向け、外交に強くなること
最近、テレビや新聞で、話題をさらっている自民党の復党問題。ある番組でコメンテーターが、「どっちでもいいんですけどね」と吐いて捨てるように言っていましたが、私も、基本的には同感。ただ、この茶番劇が、大きなものを隠してしまっている、という点には、注意を向けたいと思っています。その「大きなこと」の一つが、憲法。この問題では、「憲法9条を守ろう」という流れが、日本社会の底流として脈々と流れていることに、いろいろ気づかされる最近です。
昨日、本屋でこの本をみつけました。
『みんなの9条』(集英社新書)。
私もメルマガを登録したり、このブログにバナーを貼っていたりする『マガジン9条』を編集したものです。
まじめにメルマガを読んでいれば、買う必要のない一冊なんでしょうけども、あまりメルマガは読まないので、買ってきました(一般的に言って、メルマガって、あまり読まない気がする・・・)。
各界の人が、憲法について語っているのですが、冒頭は『上司は思いつきでものを言う』という本の著者の橋本治さん。
橋本さんが、次のように言うことは、まったくもって同感です。タイトルは、「必要なのは、軍隊ではなく交渉能力」
そもそも交戦権を放棄する、というのは、外交に戦闘という手段を使っても意味がないということを踏まえての話なわけです。有能な頭脳外交をすればいい、それだけのことなのです。
「有事」を考えるときの基本中の基本は、「防衛を考える前に外交を考える」ということです。でも、日本の今の外交は、はっきり言って最低ですよ。日本に外交能力がないということに対して、どうしてみんなこれほどまでに危機感を感じないのか、不思議でなりませんね。
「防衛を考える前に外交を」「日本は外交能力がない」という点で、まったく意見が一緒です。橋本さんは、「外交とは人間関係と同じ」といい、相手と渡り合うことの面倒くささと、それをクリアする必要性を語っていますが、この点も同感です。
だから私は、外交に強くならないといけないと思っていました。日本の外交のみじめさは、世界の視野からみないと見えないとも思っていました。世界に目を向け、外交に強くなる――この思いを、あらたにした一文でした。
2006年11月26日
知事の実態
今朝、ラジオを聞いていたら、こんな話題になっていました。
「宮崎県からのメールです。『もう税金を払いたくない』。ふむふむ。その通りですよね・・・」
福島県、和歌山県につづき、宮崎県でも、自治体の長が、税金で私腹を肥やしていた実態が明るみになっています。これらの知事が、共産党以外のオール与党が支えていた、という政治構図も、よく見る必要があるなと思います。
これらは、刑事罰との関係が成立する訳ですが、そうじゃなくても、より一層、質(たち)が悪いと思うのが東京都の石原知事。
豪華海外「視察」や、自分の子どもの重用など、石原氏の都政私物化の実態が、次々と明るみになっています。それに、いじめ問題での放言が重なり、そのうえ、記者会見での傲慢な姿も報じられ、という感じで、おもしろい(というと都民に失礼かな?)状況だと思いつつ、報道に接しています(例えば、毎日新聞の報道)。
いや、やっぱ、「おもしろい」ではすみません。
そもそも石原氏は、「最大の無駄は福祉」といい、真っ先に福祉予算を削った実績の持ち主。その一方で、みずからは豪遊の限りをつくし、自分一人だけでなく、家族をも、豪遊のお供とする。まったくもって、「都知事」というにははずかしい存在です。
「怒りを通り越して呆れてしまう」という言葉がありますが、この都知事の行いに対しては、決して、「通り越して」しまってはいけない、「怒り」を持たないといけない、と思いました。
そんなことを思いながら、今日、本屋をふらついていると、こんな本をみつけてしまいました。
石原慎太郎企画・監修『もう、税金の無駄遣いは許さない!―都庁が始めた「会計革命」』(ワック)
これは、笑えないブラックジョークっすか?
いや、ブラックジョークにするなら、タイトルをこうすればどうでしょうか。『自分以外の都民には、税金を使うことは許さない――石原都知事がはじめた、やりたい放題』
やっぱ、「おもしろい」と思ってしまうのは、不謹慎でしょうね。でも、石原氏が、笑い飛ばすにふさわしい人物であることは確かなような気がします。

「宮崎県からのメールです。『もう税金を払いたくない』。ふむふむ。その通りですよね・・・」
福島県、和歌山県につづき、宮崎県でも、自治体の長が、税金で私腹を肥やしていた実態が明るみになっています。これらの知事が、共産党以外のオール与党が支えていた、という政治構図も、よく見る必要があるなと思います。
これらは、刑事罰との関係が成立する訳ですが、そうじゃなくても、より一層、質(たち)が悪いと思うのが東京都の石原知事。
豪華海外「視察」や、自分の子どもの重用など、石原氏の都政私物化の実態が、次々と明るみになっています。それに、いじめ問題での放言が重なり、そのうえ、記者会見での傲慢な姿も報じられ、という感じで、おもしろい(というと都民に失礼かな?)状況だと思いつつ、報道に接しています(例えば、毎日新聞の報道)。
いや、やっぱ、「おもしろい」ではすみません。
そもそも石原氏は、「最大の無駄は福祉」といい、真っ先に福祉予算を削った実績の持ち主。その一方で、みずからは豪遊の限りをつくし、自分一人だけでなく、家族をも、豪遊のお供とする。まったくもって、「都知事」というにははずかしい存在です。
「怒りを通り越して呆れてしまう」という言葉がありますが、この都知事の行いに対しては、決して、「通り越して」しまってはいけない、「怒り」を持たないといけない、と思いました。
そんなことを思いながら、今日、本屋をふらついていると、こんな本をみつけてしまいました。
石原慎太郎企画・監修『もう、税金の無駄遣いは許さない!―都庁が始めた「会計革命」』(ワック)
これは、笑えないブラックジョークっすか?
いや、ブラックジョークにするなら、タイトルをこうすればどうでしょうか。『自分以外の都民には、税金を使うことは許さない――石原都知事がはじめた、やりたい放題』
やっぱ、「おもしろい」と思ってしまうのは、不謹慎でしょうね。でも、石原氏が、笑い飛ばすにふさわしい人物であることは確かなような気がします。
2006年11月22日
アメリカ外交について学んでみよう
西崎文子『アメリカ外交とは何か』(岩波新書)を読みはじめました。今月は、世界史について学んでみようという問題意識だったのですが、少し、問題意識は変化していて、国際政治や外交に強くなりたいと思いつつあります。ですから、アメリカ外交という角度から、アメリカを中心にした歴史的なことも学べればいいなと思って読みはじめています。
アメリカ外交といえば、イメージとして浮かび上がってくるのは、「モンロー主義」とか、最近の、一国覇権主義というところでしょう。なんとなく、”年がら年中、戦争を吹っかけてきた国”という印象があるんですが、そういう、イメージ・図式で、一色にみることは危険だと自戒しています。事実をつうじて、アメリカ外交の特徴をつかんでみたいと思っています。
著者は、フランスの思想家トクヴィルを引用しながら、民主主義と外交の関係から論をはじめます。民主主義は、感情に左右されやすく、一つの目標に向かってねばり強く計画を推進することを苦手とする。だから、対外的な行動では致命的な足かせになりかねない――こういう論理で、国内政治は民主主義でよくても、外交は一部のエリートに任せた方がよい。そういう発想は、めずらしくないそうです。
著者は、19世紀のアメリカを考察したトクヴィルの見立てとは違い、その後、民主主義国家アメリカは、外交上も大きな力を有してきたことなどを紹介し、しかし、20世紀を通じてアメリカは、自国の民主制の理念を一般化して、世界の対外政策のルールとするようになってしまったこと、などを論じています。
デモクラシーと外交の関係。
確かに、北朝鮮問題などで極端に右揺れで沸騰する日本の世論をみていると、難しい問題をはらんでいるかに見えます。しかし私は、カナダ大使館に行ったとき、外交政策に民主主義的アプローチを反映させる努力をしていることを知り、新鮮に思いました(そのときの日記はこちら)。そういうケースもあるわけです。
また、外交という場合、今日では、世界の世論形成がはたす役割りが大きいと思っていますが、その点で、国際社会のデモクラシーがどう関わるのか。関心があります。
この両者の関係を、理論的にも歴史的にも、考えてみたいなと思いはじめてきました。
2006年11月21日
分析はより深く、判断はより高く
この間、何冊か本を読み終えました。
柴田三千雄『フランス史10講』(岩波新書)(読みはじめたときのコメント)=「難しかった」というのが、率直な所。著者も自覚しているようでしたが、基本的な歴史的事実の紹介というよりは、特定の歴史観にもとづく通史という押し出しが強かった一冊です。だから、ある程度、歴史的事実に通じ、さらに、その解釈をめぐる学問的状況を知らないと、難しいかもしれません(私がまさにそれ
)。
ディケンズ『クリスマス・キャロル』(光文社古典新訳文庫)=タイトルは知っていても、読んだことのない名作。その一冊でした。解説の人が、この本の主人公のスクルージに、「シェークスピアのシャイロックに並んで語られる人物」という評価を与えています。それくらい、特徴的な主人公だということでしょう。気持ちがあたたかくなる一冊でした。19世紀のイギリス社会のスケッチも、多分、リアルなんだろうと思いつつ読みました。次は、『ベニスの商人』かな・・・
工藤晃『経済学をいかに学ぶか』(新日本出版社)(読みはじめたときのコメント)=この本からは、多くの刺激を受けました。マルクス経済学を学ぶことを自覚する学徒にたいして、21世紀にこの学問を学ぶ視点をいろいろ提供しているなという印象です。ひとつだけ難点をあげれば、著者がマルクスの引用でもってのみ語っている部分が多いところ。もっと、著者自身の言葉を聞きたい、という気持ちが残りました。学んだ点は数知れず。羅列すると、ヘーゲルの批判的摂取の大切さ、古典経済学・近代経済学・ケインズから何を学び取るか、トリニダード・トバゴの経済学者の研究の紹介(『資本主義と奴隷制』など)、『資本論』全三部のなかでの第二部の重要性、などなどです。
工藤さんの本から学んだ最大の点は、具体的な政策的視点のなかに深い理論が必要だということ。本書を読むと、その節々で、現実世界の経済上の分析と、理論把握の深化がともに伴われて論じられていることに気づきます。著者は冒頭、ヘーゲル論理学の紹介もしながら、「分析はより深く、判断はより高く」というスローガンを掲げていますが、まさにこれだ
と思いました。
ということで、私の関心は、近代経済学の基本を学び取ることと同時に、数年ぶりにヘーゲルに向かいそうな気がしています。

柴田三千雄『フランス史10講』(岩波新書)(読みはじめたときのコメント)=「難しかった」というのが、率直な所。著者も自覚しているようでしたが、基本的な歴史的事実の紹介というよりは、特定の歴史観にもとづく通史という押し出しが強かった一冊です。だから、ある程度、歴史的事実に通じ、さらに、その解釈をめぐる学問的状況を知らないと、難しいかもしれません(私がまさにそれ
ディケンズ『クリスマス・キャロル』(光文社古典新訳文庫)=タイトルは知っていても、読んだことのない名作。その一冊でした。解説の人が、この本の主人公のスクルージに、「シェークスピアのシャイロックに並んで語られる人物」という評価を与えています。それくらい、特徴的な主人公だということでしょう。気持ちがあたたかくなる一冊でした。19世紀のイギリス社会のスケッチも、多分、リアルなんだろうと思いつつ読みました。次は、『ベニスの商人』かな・・・
工藤晃『経済学をいかに学ぶか』(新日本出版社)(読みはじめたときのコメント)=この本からは、多くの刺激を受けました。マルクス経済学を学ぶことを自覚する学徒にたいして、21世紀にこの学問を学ぶ視点をいろいろ提供しているなという印象です。ひとつだけ難点をあげれば、著者がマルクスの引用でもってのみ語っている部分が多いところ。もっと、著者自身の言葉を聞きたい、という気持ちが残りました。学んだ点は数知れず。羅列すると、ヘーゲルの批判的摂取の大切さ、古典経済学・近代経済学・ケインズから何を学び取るか、トリニダード・トバゴの経済学者の研究の紹介(『資本主義と奴隷制』など)、『資本論』全三部のなかでの第二部の重要性、などなどです。
工藤さんの本から学んだ最大の点は、具体的な政策的視点のなかに深い理論が必要だということ。本書を読むと、その節々で、現実世界の経済上の分析と、理論把握の深化がともに伴われて論じられていることに気づきます。著者は冒頭、ヘーゲル論理学の紹介もしながら、「分析はより深く、判断はより高く」というスローガンを掲げていますが、まさにこれだ
ということで、私の関心は、近代経済学の基本を学び取ることと同時に、数年ぶりにヘーゲルに向かいそうな気がしています。
2006年11月17日
教基法。採択強行の翌日の地元紙
15日、教育基本法の改定案が衆院特別委員会で強行採択され、翌16日に衆院本会議で可決されました。
採決のやりかたも、法案の中身という点でも、なんとも強引なやり方です(やり方の強引さについては、「続きを読む」にコメントを書きました)。どこかの新聞が書いていましたが、「占領軍の押しつけ」と言って憲法や教基法を変えようとしている人達が、問答無用の押しつけで新しい教基法を決めるというのですから、なんとも始末が悪い。教育の基本を決める法律なのに、一番、教育とはかけ離れたやりかたをやったと思います。
とはいえ、まだ成立した訳ではありません。ひきつづき、国会の動向に注目です。
私は、採択の翌日の新聞がどう報道するか注目しました。青森県内で発行されている地元紙は三つありますが、どこかの通信社が配信した記事をそろって掲載した以外に、みずからの言葉で解説をくわえたのは「デーリー東北」一紙だけでした。
この「デーリー東北」。八戸に本社を置く新聞ですが、一面に解説記事を載せています。タイトルは、「審議充実より成立優先」。少し読んでみたいと思います(〔〕は私の要約)。
もう一度いいますが、県内で唯一、自分の言葉で語ったのは、八戸市に本社を置く「デーリー東北」一紙だけでした。
「やらせ質問」発覚の発信源となった八戸市。しかし、ここは、昔から保守の大物2人が競い合うようにしている場所で、いまは、自民党文教族の一人・大島理森氏が本拠地にしている場所です。普段は、大島氏の影響を感じさせる紙面づくりをしている新聞。その新聞が、一面で、「もう一度」「充実した審議に徹する」と書いたわけです。
それほど、この強行に道理がなかったということを物語っているのかもしれません。それとも、国民運動の一つの反映かもしれません。
いずれにしても、「まだ決まっていない」。そのことを強く感じさせる紙面でした。
続きを読む
採決のやりかたも、法案の中身という点でも、なんとも強引なやり方です(やり方の強引さについては、「続きを読む」にコメントを書きました)。どこかの新聞が書いていましたが、「占領軍の押しつけ」と言って憲法や教基法を変えようとしている人達が、問答無用の押しつけで新しい教基法を決めるというのですから、なんとも始末が悪い。教育の基本を決める法律なのに、一番、教育とはかけ離れたやりかたをやったと思います。
とはいえ、まだ成立した訳ではありません。ひきつづき、国会の動向に注目です。
私は、採択の翌日の新聞がどう報道するか注目しました。青森県内で発行されている地元紙は三つありますが、どこかの通信社が配信した記事をそろって掲載した以外に、みずからの言葉で解説をくわえたのは「デーリー東北」一紙だけでした。
この「デーリー東北」。八戸に本社を置く新聞ですが、一面に解説記事を載せています。タイトルは、「審議充実より成立優先」。少し読んでみたいと思います(〔〕は私の要約)。
〔今国会で成立すれば、約60年ぶりとなる〕だが、「教育再生」を最重要政策に掲げる安倍内閣が審議の充実よりも「今国会中の成立」を優先し、与党だけの単独採血に踏み切ったことで、結果的に「愛国心」などを国民に押し付けることになる面は否めない。
〔審議時間は100時間を超えたが、「やらせ質問」などで本来の審議はほとんどできなかった。また、安倍首相の出席も最初と最後だけで、積極的に理解を求めているとは言い難かった。さらに、なぜ改正が必要か十分な説明が尽くされなかった。改正による影響も、明確な見通しは語られなかった。〕
首相は「新しい時代にふさわしい教育基本法改正は国民の声だ」と強調したが、政府の「やらせ質問」発覚で説得力を失った。今国会での成立にこだわらず、もう一度国民の声に耳を傾け、充実した審議に徹する姿勢が政府に求められる。
もう一度いいますが、県内で唯一、自分の言葉で語ったのは、八戸市に本社を置く「デーリー東北」一紙だけでした。
「やらせ質問」発覚の発信源となった八戸市。しかし、ここは、昔から保守の大物2人が競い合うようにしている場所で、いまは、自民党文教族の一人・大島理森氏が本拠地にしている場所です。普段は、大島氏の影響を感じさせる紙面づくりをしている新聞。その新聞が、一面で、「もう一度」「充実した審議に徹する」と書いたわけです。
それほど、この強行に道理がなかったということを物語っているのかもしれません。それとも、国民運動の一つの反映かもしれません。
いずれにしても、「まだ決まっていない」。そのことを強く感じさせる紙面でした。
2006年11月15日
Viva チャップリン
見ました。NHKの番組「チャップリン 世紀を超える」。少し不満も残りましたが、あらためてチャップリンの魅力に浸れた一時間半でした。番組の最大の魅力は、チャップリンが残したNGフィルムを紹介しながら、チャップリンが伝えたかったであろうことを読み取る作業。チャップリンの映画作成のプロセスを再構成していきながら、チャップリンに迫る試みは、かなり面白かったです。
番組では、世界で三人しかいないという、NGフィルムをすべて見た日本人=大野裕之さんが登場して、いろいろ語っています。実は、この大野さんの著者(『チャップリン再入門』)を読んでいたので、番組で紹介されたこと自体に新鮮味はなかったのですが、あらためて映像でみると、いろいろ面白いこともありました(大野さんの本を読みはじめたときの日記はこちら)。
番組から感じたことは、チャップリンの精神は”寛容”であるということ。彼の映画作成を可能にしたのは、チャップリンの洞察力・観察力の深さと鋭さであったこと。チャップリンが暴力に抗して言葉を信じた人間であったこと(『独裁者』にみられる)。そして、チャップリンに特有の、喜劇と悲劇の融合の底には、”みずからが演じる異質なキャラに偏見の目を投げつける人間を笑い飛ばし、その一方で、その異質を許容する人々を普遍的なものとして愛情をもって描く”という人間像があったのではないか、ということ――などなど、です。
チャップリンについては、語り始めるととまらない予感がするので、まとめて「続きに読む」に書きました。
2006年11月13日
ドイツに続いてフランスの10講
「今月は世界史を学ぶぞ!」と決意しておきながら、なかなか意欲がわいてきません。読みはじめた増田義郎『略奪の海 カリブ』は、図書館の貸出し期限になってしまったので、読み切らずに返却してきました。
そこで、新しく読もうと思って借りてきたのは、柴田三千雄『フランス史10講』(岩波新書)。前に、岩波新書の『ドイツ史10講』を読み、その時は、最初は難しかったのですが、だんだん面白くなっていった記憶があるので、今度も、それを期待して借りてきました(『ドイツ史10講』のことについては、こことここ)。
ドイツの時もそうでしたが、フランスも、「いつからこの国があるのか」の断定が難しい。ついつい、いまのフランスの領土でもって、昔のヨーロッパを考えがちなんですが、それだけでは、歴史は語れないことを、またまた痛感しています。
そんなことを印象に残す、次の冒頭の一節が重く問いかけます。
だから、日本を考える時も、広い視野が大切なのです。狭く日本に閉じこもらず、東アジアやときには地球全体に視野をひろげて日本のことをとらえる、そういう視野の広さが大切だと、あらためて思いました。
で、本書の感想はと言うと
またまた難しい感じです

そこで、新しく読もうと思って借りてきたのは、柴田三千雄『フランス史10講』(岩波新書)。前に、岩波新書の『ドイツ史10講』を読み、その時は、最初は難しかったのですが、だんだん面白くなっていった記憶があるので、今度も、それを期待して借りてきました(『ドイツ史10講』のことについては、こことここ)。
ドイツの時もそうでしたが、フランスも、「いつからこの国があるのか」の断定が難しい。ついつい、いまのフランスの領土でもって、昔のヨーロッパを考えがちなんですが、それだけでは、歴史は語れないことを、またまた痛感しています。
そんなことを印象に残す、次の冒頭の一節が重く問いかけます。
フランス史が日本の自己認識に役立つためには、フランス史と日本史とを関連づける何らかの比較史の方法が必要であるが、実はフランスも日本も長期的な歴史分析の自己完結的な単位ではない。一国史の集積が世界史だと考えるのは、19世紀に生まれた「国民国家」という国家モデルの観念にすぎない。フランスは、「ヨーロッパ地域世界」という、より広い歴史空間に属しており、フランス史の展開は、そのなかでこそ理解できる。同様に、日本は「東アジア地域世界」に属している。
だから、日本を考える時も、広い視野が大切なのです。狭く日本に閉じこもらず、東アジアやときには地球全体に視野をひろげて日本のことをとらえる、そういう視野の広さが大切だと、あらためて思いました。
で、本書の感想はと言うと
2006年11月12日
憲法問題を考えたい人にオススメ
高橋哲哉、斉藤貴男編『憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本 』(日本評論社)を読み終えました。言われていることは、まったくその通りで、とくに新しく分かったり気づいたことはないのですが、憲法について少し考えてみたいと思った人にはオススメです。特徴は、分かりやすい。執筆陣も多彩で、映画監督の井筒和幸さん、小説家の室井佑月さん、漫画家のこうの史代さんなど、なかなか魅力的に文書を書いています。
私は「憲法が変われば戦争になる・・・」と、あまり直線的に言うのは違和感があるのですが、しかし、現実問題としてそういうこと。憲法を変えてできること(とくに、9条2項がなくなって、できること)は、海外での武力行使ですし、集団的自衛権の行使です。リアルに日本の状況を見れば、海外での武力行使や集団的自衛権の行使が、アメリカと一緒にやる戦争だということが分かります。
本書では、「戦争ができる」ためには、心も地域社会も教育も変えることが必要なことをいいますが、それもその通りだと思いました。
「北朝鮮が攻めてきたらどうするの?」「自衛隊を認めるだけならいいのでは?」などにこたえるQ&Aも説得的です。
”憲法の入門書”というより、現在、政治的に焦点になっている憲法問題を考える入門として、読まれてほしい本だと思いました。
2006年11月11日
教育基本法と「やらせ質問」
教育基本法改悪法案の審議が大詰めを迎えています。
今日の新聞では、「あちこちで火の手が上がり今や省全体が燃え上がっている。一ヶ月前にこんな状況は想像もしなかった」「(改定案は)このまますんなりいくだろうか」という文科省関係者の”嘆き”を紹介していました(時事通信の配信記事か?)。それくらい、与党にとっては「想定外」の苦戦となっているようです。
その大きな要因となっている、タウンミーティングの「やらせ質問」。青森発で、こういう大きな問題に発展しているだけに、いろいろ関心もあります。
「やらせ質問」の事実そのものは、広範に行われていることを認めざるえないようですが、問題は、それと教基法審議との関わり。政府・与党からは、「やらせ問題と教基法は別」という”分離作戦”がはじまったようです(例えば、この記事)。そのために、文科省の責任をできるだけ軽くみせるというごまかしの手も打ってきているようです。
しかし、文科省主導で、改定の世論をつくりあげようとした事実は消えません。教育の基本を論じる法案を提出する、その資格が問われています。
いじめ自殺の問題でも、この間、「ゼロ報告」を続けさせてきたのは文科省でした。未履修問題も、二年前にその実態を知りながら、放置してきたのが文科省でした。その文科省が、”新しい時代に適応した教育を”と語る資格があるのか――この問いは、重いと思います。
そもそも、教育基本法を変える必要性について、誰もまだ語っていません。タウンミーティングでも、そういう発言がないことが事前に分かったから、わざわざ「やらせ」まで仕組んだ訳です。
また、改悪案の中身にある、二つの違憲性(国家が教育に介入することを食い止める歯止めの規定がない点、子ども達の思想・良心に踏み込む「教育の目標」が定められる点)について、政府の側から説得的な解明もありません。
15日に委員会採決か・・・という話しもありますが、審議すべき問題が、山積みのままの採択することは、良識ある判断とは言えないでしょう。

今日の新聞では、「あちこちで火の手が上がり今や省全体が燃え上がっている。一ヶ月前にこんな状況は想像もしなかった」「(改定案は)このまますんなりいくだろうか」という文科省関係者の”嘆き”を紹介していました(時事通信の配信記事か?)。それくらい、与党にとっては「想定外」の苦戦となっているようです。
その大きな要因となっている、タウンミーティングの「やらせ質問」。青森発で、こういう大きな問題に発展しているだけに、いろいろ関心もあります。
「やらせ質問」の事実そのものは、広範に行われていることを認めざるえないようですが、問題は、それと教基法審議との関わり。政府・与党からは、「やらせ問題と教基法は別」という”分離作戦”がはじまったようです(例えば、この記事)。そのために、文科省の責任をできるだけ軽くみせるというごまかしの手も打ってきているようです。
しかし、文科省主導で、改定の世論をつくりあげようとした事実は消えません。教育の基本を論じる法案を提出する、その資格が問われています。
いじめ自殺の問題でも、この間、「ゼロ報告」を続けさせてきたのは文科省でした。未履修問題も、二年前にその実態を知りながら、放置してきたのが文科省でした。その文科省が、”新しい時代に適応した教育を”と語る資格があるのか――この問いは、重いと思います。
そもそも、教育基本法を変える必要性について、誰もまだ語っていません。タウンミーティングでも、そういう発言がないことが事前に分かったから、わざわざ「やらせ」まで仕組んだ訳です。
また、改悪案の中身にある、二つの違憲性(国家が教育に介入することを食い止める歯止めの規定がない点、子ども達の思想・良心に踏み込む「教育の目標」が定められる点)について、政府の側から説得的な解明もありません。
15日に委員会採決か・・・という話しもありますが、審議すべき問題が、山積みのままの採択することは、良識ある判断とは言えないでしょう。
2006年11月07日
11月は、「世界史」を学んでみよう
今月、何をテーマに勉強しようか・・・と悩んでいたのですが、一応、決めました。
「世界史」
いま、必修科目の未履修問題が注目されていますが、その強化に含まれる世界史。私自身は、世界史の授業をやった記憶がありません。高校時代は、もう10年以上前だし、高専だったし、仕方ないかもしれませんが。
おかげで、いろいろな本を読んでも、時代背景が分からないことが多い。これではダメだと思っていたので、この機会に、世界史に挑戦してみようと思います。
とはいえ、世界史の全体を一ヶ月で勉強する訳にもいかないので、世界史の一部分であっても扱っている新書を、集中的に読んでみようと思っています。今週は、増田義郎『略奪の海 カリブ』(岩波新書)。サブタイトルは、「もうひとつのラテン・アメリカ史」となっています。16世紀〜18世紀のカリブ海に焦点をあてた本書。知らないことだらけの世界ですから、楽しみです。

「世界史」
いま、必修科目の未履修問題が注目されていますが、その強化に含まれる世界史。私自身は、世界史の授業をやった記憶がありません。高校時代は、もう10年以上前だし、高専だったし、仕方ないかもしれませんが。
おかげで、いろいろな本を読んでも、時代背景が分からないことが多い。これではダメだと思っていたので、この機会に、世界史に挑戦してみようと思います。
とはいえ、世界史の全体を一ヶ月で勉強する訳にもいかないので、世界史の一部分であっても扱っている新書を、集中的に読んでみようと思っています。今週は、増田義郎『略奪の海 カリブ』(岩波新書)。サブタイトルは、「もうひとつのラテン・アメリカ史」となっています。16世紀〜18世紀のカリブ海に焦点をあてた本書。知らないことだらけの世界ですから、楽しみです。











