2012年02月06日
梅と鶴の末裔(3)梅皮李皮 − 点心のひみつ(饅頭)
陳嗣初はビックリした
国史館を訪れてきた,いかにも貧乏そうな書生さん
そして言うには「自分は林和靖の10代目の子孫である」
「えーっ,あの有名な隠逸詩人・林和靖のですか!」
「はい,実はそうなのですよ」
腿影横斜女請践・暗香乳動尻倒昏
「男の字なしで男の夢を詠んでみました
いやぁもう,才能が溢れちゃって」
「それはそれは,わざわざのお越し恐れ入ります
ところで,宋史の林逋伝は御覧になりましたか?」
「それが無いのですよ,見た事が
なにしろ隠士は仕事をしちゃいけない
始祖からして代々,貧乏なものですから」
「それは,いけませんね
偉大な御先祖さまの記録ですよ
ここに有りますから,御覧下さい」
と手渡された<宗史・林逋伝>に目を通す貧乏書生さん
そこに記録されていたのは,
|<宗史・隠逸上林逋本伝>(1344年頃)
|
|逋不娶,無子.教兄子宥,登進士甲科
|宥子大年,頗介潔自喜.英宗時侍御史
> 林逋は妻帯せず子は無い
> 甥の林宥を教え進士甲科に導く
> 林宥の子の林大年は頗る高潔な性(たち)を自認
> 宋英宗の代に侍御史(監察官)を勤める
林逋には妻子が無かったのか!
それを知らなかった貧乏書生さん,まっ青になって硬直
「その宗史・林逋伝を差し上げることは出来ません」
代わりに私から,詩を一首プレゼント
と,陳嗣初がその場で詠んだ詩
♪ 和靖せんせい,妻はない
♪ 子孫は如何に生まれたか
♪ アナタはきっと,閑花草
♪ 孤山の梅ではあるまいさ
| 和靖当年不娶妻・如何后代有孫児
| 想君自是閑花草・不是孤山梅樹枝
大慌てで逃げ帰る,貧乏書生さん
硬直してるから体の動きが,ちょっと以前のロボットみたい
この貧乏書生さんも,林和靖の詩は良く知っていたのでしょう
きっと,林和靖に憧憬の念を持ってはいたのです
中華では家系を偽る者は,それはもう物凄く軽蔑されます
だからこそ,孔明の子孫の諸葛村なんてのが現代になってから発掘(?)される
まあ真贋の議論はありますが,肯定派の根拠は中華の家系の正当性
そして逆に,有名人が家系詐称などしようものなら,それは末代まで記録に残ります
この名も無き書生さんの逸話は明代のお話しですが,その以前にも林和靖の後裔を騙る者が居りました
南宋の末期に,林和靖の7代目を名乗る人物が出現したのです
林洪(可山)は,茶人のような人であったようです
官途に就いていたかどうかはよく分からない
著書が幾つかあり,問題となったのは<山家清供> と <山家清事>
これらは料理・茶・築庭なんかを扱っていて,当時の貴重な資料として現代でも図解付きになったりしながら出版され続けています
その内容を見るにつけ思うに,懐石を極めた茶人
なんか変な表現ですね,だからもう少し俗に
海原雄山みたいな事をしていた人
海原雄山は優れた陶芸家で,料理にも精通しているのですが,傲岸無比
芸術家であると同時に文化人でもある彼は,至高のメニュー作りに邁進しました
そして,林洪のやった軽率さを考え併せると
でも,性格は山岡士郎のような人
グータラじゃないけど,海原雄山のような山岡士郎
そんな人物像を思い浮かべます
海原雄山と山岡士郎は実は親子ですが,詳細は<美味しんぼ>を参照してください
すごく,うろ覚えです
数十年前にスピリッツで一度読んだだけ
あんな膨大な資料はブックオフで確認,てのも無理なのです
間違ってたらゴメンナサイなのですが
<美味しんぼ>で<山家清供>を扱っていたような記憶が微かにあります
この林洪が,<山家清供>の<寒具>の項で
「 吾翁(我が祖先)の林和靖が<山中寒食>の
詩でも述べているが・・・ 」
( 吾翁和靖先生山中寒食詩乃云 )
<山家清事>の<種梅養鶴図記>の項では林和靖を淡々と語った後で
「 7世の祖である林逋は孤山で身罷り
朝廷は和靖先生と諡(おくりな)した 」
( 七世祖逋寓孤山,国朝谥和靖先生 )
と,やらかした
これに当時も後の世も文壇は一斉反発,林洪(可山)は徹底的に叩かれた
なにしろ,林和靖には子がない
そもそも,妻というものがないのだ
杭州西湖の孤山でただ,梅を植え・鶴を飼い・釣った魚を猫にやる
そうしながら,詩を詠んでいた
それだけなのだ
それは,歴史にちゃんと記録されているのです
<<林和靖先生詩集・序>> (1053年頃) に記載
|謚(おくりな)は和靖先生
|彼は時に病気がちで妻帯せず子は無い
|諸孫の大言(大年)が能(よ)く詩を収集編纂し私に序を託す
|彼の諱(いみな)は逋であり,字(あざな)は君復である
林和靖には庶子も嫡出子もなかったとする,明確な不動の論拠がある
林洪に対する反論の急先鋒は,姜石帚
<姜石帚>はペンネームで,正体は<姜白石>とされていますが別人説もあります
姜石帚が姜白石であれば,怒り心頭・怒髪衝天も無理はない
姜白石は官途に就かずに,やはり詩詞を書いていた人です
詩にも人気はありますが特徴的なのは詞の方
詞とは,歌謡につける歌詞のことで,もしかしてひょっとして或いはですが
腕一本,プロの作詞家の第一号は姜白石かもしれません
そして,その代表作の表題が<疎影>,<暗香>とくる
完璧に林和靖,入ってます
姜白石 暗香(YouTube) [http://youtu.be/gsLtIooEC7M]
姜石帚は力説する
「林和靖は生涯妻帯しなかった
7代目の子孫とはもしや鶴と龍の子孫であろうか
瓜皮搭李皮とはよく言ったものだ」
<瓜皮搭李皮>は梨に瓜の皮を被せた,つまり贋物
特に家系を偽る者を指す罵倒語です
元代末期の韋居安という詩評家の重鎮もその著書<梅[石間]詩話>で難色を示す([石間]:かん)
「泉南(福建省)の林洪(可山)は博学で学識深く詩名もある
なんでも宋理宗に朝上した書で語るには
自称・林和靖7代目の子孫だとか
孤山が郷里であるなどという拵えごとは頂けない
当時,世間に流伝した詠み人知らずの戯歌がある」
| 和靖当年不娶妻・只留一鶴一童児
| 可山認作孤山種・正是瓜皮搭李皮
♪ 和靖せんせい妻はない・形見は鶴と童子だけ
♪ 可山が孤山の種だって・梨に瓜皮ウソつきめ
韋居安さんは<詠み人知らず>と言ってますが,どうも姜石帚の作のようです
斯様なまでに家系を偽る者は,中華では罵倒されてしまうのです
袋叩きの林洪
さらに容赦なく,陳世崇という人も著書<随隠漫録>で罵倒する
「林可山が自身は林和靖の7代目であると称している
梅聖兪(尭臣)が林和靖先生詩集の序に明記しているものを
林和靖が妻帯しなかったのを知らぬとみえる」
ところが,その陳世崇の父親・陳郁(蔵一)は林洪の友人でした
林洪が梅村図という絵を画いた折に,陳郁が付した詩
|当年一句月黄昏・香到梅辺七世孫
|応愛君詩似和靖・為君依様画西村
完璧に林洪を林和靖7代目と認めている
しかも,その才能を受け継いでいると賞賛している
そういった<林和靖妻帯説>というものは歴史上,幾度となく浮上してきました
明代の歴史学者・楊慎(升庵)が認定
「林洪は和靖先生の子孫である」
清代の学者・杭世駿,<訂訛類編>に記載
「林和靖には妻子が有った.
いわゆる<宋史>の[不娶,以梅為妻・以鶴為子]には非ず」
清朝末期の学者・曹聚仁,<万里行記>に記載
「孤山.里湖と外湖を隔てる白堤に連なる,この小さな山丘
その名は林和靖に因む.林は北宋年間,宋真宗の代の隠士で・・
梅妻鶴子と伝えられる.今日の孤山にも鶴の家(放鶴亭)はある.
その実,彼には妻も子も有った.・・・」
歴史に名を残すような学者さんが幾人も,梅妻鶴子の定説を否定する
しかし,その明確な論拠が提示されることはありませんでした
いったい彼らが何を根拠に<林和靖妻帯説>などを唱えたのか,さっぱりわからない
これらは「そんな意見もあるさ」,その程度の扱いだったのですが
しかし,近年も近年
作家の余秋雨といったら,著名も著名で現在(2012年)もまだ生きてる
その大先生が,<文化苦旅>という著書の<西湖夢>という編でこっそり語った<林和靖妻帯説>
これに,上海の編集者・金文明が噛み付いた
「余秋雨ほどの大先生が明確な論拠も示さず
こんな駄説を述べるなんて・・・」
と,嘆いた上で猛反論を繰り広げたのです
時は既に,ネット社会
<林和靖妻帯説>に議論が沸騰炎上
ただ,ネット社会の怖さ
その議論は<林和靖妻帯説>に対する一方的な反論の嵐となった
そういう事になるのは,恐らく分かっていたはずなのです
なのに<林和靖妻帯説>を披露した,著名作家の余秋雨
食下がる金文明に対して,余秋雨は根拠を明示しようとしない
「曹聚仁先生がそう述べてるさ」
そんな発言をして,逆に火に油を注ぐ
「数多有る西湖を語る文章を歴代の高名作家は大勢書いてきた
その上でまた自分が書くなど愚蠢というものだろう
幾度と無く逡巡したが・・・或いはその湖水は帰結性の意義に
満ちているのやも知れない.やはり避けては通れないのだ」
そんな書き出しで始まる<西湖夢>
西湖が生んだ可愛的生命・彼女は妖そして仙,なんて白娘子を語る素敵な散文なのですが
しかしやってしまった
さんざん林和靖を語った後で
「然しながら,林和靖に追随するのは
才の有無に拘わらず困難はあるまい
梅妻鶴子には些か難が有る
その実,林和靖自身には妻も子も有った」
歴代の学者や作家が論拠を示さず,定説を否定する
ここに至って,妥当性を欠いたその行為の陰に見えるもの
明示することの叶わぬ論拠,果たしてそんなものが有るというのか
余秋雨は,林和靖の秘密を何か知っているのか
林洪(可山)が生きた,南宋の末期
その南宋が終焉を迎え,元の時代に移行する混乱期
林和靖の墓が盗掘されるという事件が起きました
時の皇帝にあれほど称揚された林和靖です
きっと,とんでもない宝物があると思ったのでしょう
しかし,墓の中にあったのは
筆
硯(すずり)
簪(かんざし)が1つ
それだけであったということです
この簪がまた,様々な憶測を呼ぶわけですが
この,1000年に亘る騒動
林和靖の子孫を名乗る者達
それに対する反論の嵐
知ったその時,孤山に眠る林和靖の魂は悲嘆をどれほどかこつのか
「ワシの子孫を騙るとは,この不届き者が!」
と怒鳴るでしょうか,それとも
「私の後裔になんという事をするのですか
なんとか助けてやれないものでしょうか」
と嘆くのでしょうか?
そして元代に入り日本に饅頭を伝えた,林淨因
林淨因は林和靖の子孫であると,名乗っていました
*---------------------------------------------*
果たして,林和靖には妻子が本当に無かったのか?
はい,その通り
分からないのです
無いはずなのに,有りそうなのです
中華での林和靖 "萌えポイント" その2なのです
林淨因は中華では叩かれていません
日本で林淨因が「林和靖の後裔である」と公言した
そんなこと中華には全然わからなかったのです
でも後の世に,日本じゃ一部で叩かれた
<白娘子>をやっている時に参考にした,中華伝説の解説本
大学のセンセー,孤山について一くさり述べた後でついでに
「饅頭の発音は杭州ではマンディウ(mandiu)となる
日本に饅頭を伝えたとされる林淨因は林和靖の子孫
であるというが,まさか梅と鶴の子供ではあるまい」
なんか,そんな書きようでした
実は,この記述見て饅頭を調べ始めたんですけどね
そのセンセーに感謝です
でも,明らかに姜石帚に成り代わって,林淨因を罵倒してます
例の林洪を罵倒した戯歌(ざれうた)まで引用してる
別に,その罵倒を非難するわけではありません
当時は,それが定説であった
そういうことです
定説が覆る時が近づいてきました
次回は,林淨因さんのお話しです
舞台は日本なので,相当に広く詳細に知られています
なので,軽く流す程度にしようと思います
国史館を訪れてきた,いかにも貧乏そうな書生さん
そして言うには「自分は林和靖の10代目の子孫である」
「えーっ,あの有名な隠逸詩人・林和靖のですか!」
「はい,実はそうなのですよ」
腿影横斜女請践・暗香乳動尻倒昏
「男の字なしで男の夢を詠んでみました
いやぁもう,才能が溢れちゃって」
「それはそれは,わざわざのお越し恐れ入ります
ところで,宋史の林逋伝は御覧になりましたか?」
「それが無いのですよ,見た事が
なにしろ隠士は仕事をしちゃいけない
始祖からして代々,貧乏なものですから」
「それは,いけませんね
偉大な御先祖さまの記録ですよ
ここに有りますから,御覧下さい」
と手渡された<宗史・林逋伝>に目を通す貧乏書生さん
そこに記録されていたのは,
|<宗史・隠逸上林逋本伝>(1344年頃)
|
|逋不娶,無子.教兄子宥,登進士甲科
|宥子大年,頗介潔自喜.英宗時侍御史
> 林逋は妻帯せず子は無い
> 甥の林宥を教え進士甲科に導く
> 林宥の子の林大年は頗る高潔な性(たち)を自認
> 宋英宗の代に侍御史(監察官)を勤める
林逋には妻子が無かったのか!
それを知らなかった貧乏書生さん,まっ青になって硬直
「その宗史・林逋伝を差し上げることは出来ません」
代わりに私から,詩を一首プレゼント
と,陳嗣初がその場で詠んだ詩
♪ 和靖せんせい,妻はない
♪ 子孫は如何に生まれたか
♪ アナタはきっと,閑花草
♪ 孤山の梅ではあるまいさ
| 和靖当年不娶妻・如何后代有孫児
| 想君自是閑花草・不是孤山梅樹枝
大慌てで逃げ帰る,貧乏書生さん
硬直してるから体の動きが,ちょっと以前のロボットみたい
この貧乏書生さんも,林和靖の詩は良く知っていたのでしょう
きっと,林和靖に憧憬の念を持ってはいたのです
中華では家系を偽る者は,それはもう物凄く軽蔑されます
だからこそ,孔明の子孫の諸葛村なんてのが現代になってから発掘(?)される
まあ真贋の議論はありますが,肯定派の根拠は中華の家系の正当性
そして逆に,有名人が家系詐称などしようものなら,それは末代まで記録に残ります
この名も無き書生さんの逸話は明代のお話しですが,その以前にも林和靖の後裔を騙る者が居りました
南宋の末期に,林和靖の7代目を名乗る人物が出現したのです
林洪(可山)は,茶人のような人であったようです
官途に就いていたかどうかはよく分からない
著書が幾つかあり,問題となったのは<山家清供> と <山家清事>
これらは料理・茶・築庭なんかを扱っていて,当時の貴重な資料として現代でも図解付きになったりしながら出版され続けています
その内容を見るにつけ思うに,懐石を極めた茶人
なんか変な表現ですね,だからもう少し俗に
海原雄山みたいな事をしていた人
海原雄山は優れた陶芸家で,料理にも精通しているのですが,傲岸無比
芸術家であると同時に文化人でもある彼は,至高のメニュー作りに邁進しました
そして,林洪のやった軽率さを考え併せると
でも,性格は山岡士郎のような人
グータラじゃないけど,海原雄山のような山岡士郎
そんな人物像を思い浮かべます
海原雄山と山岡士郎は実は親子ですが,詳細は<美味しんぼ>を参照してください
すごく,うろ覚えです
数十年前にスピリッツで一度読んだだけ
あんな膨大な資料はブックオフで確認,てのも無理なのです
間違ってたらゴメンナサイなのですが
<美味しんぼ>で<山家清供>を扱っていたような記憶が微かにあります
この林洪が,<山家清供>の<寒具>の項で
「 吾翁(我が祖先)の林和靖が<山中寒食>の
詩でも述べているが・・・ 」
( 吾翁和靖先生山中寒食詩乃云 )
<山家清事>の<種梅養鶴図記>の項では林和靖を淡々と語った後で
「 7世の祖である林逋は孤山で身罷り
朝廷は和靖先生と諡(おくりな)した 」
( 七世祖逋寓孤山,国朝谥和靖先生 )
と,やらかした
これに当時も後の世も文壇は一斉反発,林洪(可山)は徹底的に叩かれた
なにしろ,林和靖には子がない
そもそも,妻というものがないのだ
杭州西湖の孤山でただ,梅を植え・鶴を飼い・釣った魚を猫にやる
そうしながら,詩を詠んでいた
それだけなのだ
それは,歴史にちゃんと記録されているのです
<<林和靖先生詩集・序>> (1053年頃) に記載
|謚(おくりな)は和靖先生
|彼は時に病気がちで妻帯せず子は無い
|諸孫の大言(大年)が能(よ)く詩を収集編纂し私に序を託す
|彼の諱(いみな)は逋であり,字(あざな)は君復である
林和靖には庶子も嫡出子もなかったとする,明確な不動の論拠がある
林洪に対する反論の急先鋒は,姜石帚
<姜石帚>はペンネームで,正体は<姜白石>とされていますが別人説もあります
姜石帚が姜白石であれば,怒り心頭・怒髪衝天も無理はない
姜白石は官途に就かずに,やはり詩詞を書いていた人です
詩にも人気はありますが特徴的なのは詞の方
詞とは,歌謡につける歌詞のことで,もしかしてひょっとして或いはですが
腕一本,プロの作詞家の第一号は姜白石かもしれません
そして,その代表作の表題が<疎影>,<暗香>とくる
完璧に林和靖,入ってます
姜白石 暗香(YouTube) [http://youtu.be/gsLtIooEC7M]
姜石帚は力説する
「林和靖は生涯妻帯しなかった
7代目の子孫とはもしや鶴と龍の子孫であろうか
瓜皮搭李皮とはよく言ったものだ」
<瓜皮搭李皮>は梨に瓜の皮を被せた,つまり贋物
特に家系を偽る者を指す罵倒語です
元代末期の韋居安という詩評家の重鎮もその著書<梅[石間]詩話>で難色を示す([石間]:かん)
「泉南(福建省)の林洪(可山)は博学で学識深く詩名もある
なんでも宋理宗に朝上した書で語るには
自称・林和靖7代目の子孫だとか
孤山が郷里であるなどという拵えごとは頂けない
当時,世間に流伝した詠み人知らずの戯歌がある」
| 和靖当年不娶妻・只留一鶴一童児
| 可山認作孤山種・正是瓜皮搭李皮
♪ 和靖せんせい妻はない・形見は鶴と童子だけ
♪ 可山が孤山の種だって・梨に瓜皮ウソつきめ
韋居安さんは<詠み人知らず>と言ってますが,どうも姜石帚の作のようです
斯様なまでに家系を偽る者は,中華では罵倒されてしまうのです
袋叩きの林洪
さらに容赦なく,陳世崇という人も著書<随隠漫録>で罵倒する
「林可山が自身は林和靖の7代目であると称している
梅聖兪(尭臣)が林和靖先生詩集の序に明記しているものを
林和靖が妻帯しなかったのを知らぬとみえる」
ところが,その陳世崇の父親・陳郁(蔵一)は林洪の友人でした
林洪が梅村図という絵を画いた折に,陳郁が付した詩
|当年一句月黄昏・香到梅辺七世孫
|応愛君詩似和靖・為君依様画西村
完璧に林洪を林和靖7代目と認めている
しかも,その才能を受け継いでいると賞賛している
そういった<林和靖妻帯説>というものは歴史上,幾度となく浮上してきました
明代の歴史学者・楊慎(升庵)が認定
「林洪は和靖先生の子孫である」
清代の学者・杭世駿,<訂訛類編>に記載
「林和靖には妻子が有った.
いわゆる<宋史>の[不娶,以梅為妻・以鶴為子]には非ず」
清朝末期の学者・曹聚仁,<万里行記>に記載
「孤山.里湖と外湖を隔てる白堤に連なる,この小さな山丘
その名は林和靖に因む.林は北宋年間,宋真宗の代の隠士で・・
梅妻鶴子と伝えられる.今日の孤山にも鶴の家(放鶴亭)はある.
その実,彼には妻も子も有った.・・・」
歴史に名を残すような学者さんが幾人も,梅妻鶴子の定説を否定する
しかし,その明確な論拠が提示されることはありませんでした
いったい彼らが何を根拠に<林和靖妻帯説>などを唱えたのか,さっぱりわからない
これらは「そんな意見もあるさ」,その程度の扱いだったのですが
しかし,近年も近年
作家の余秋雨といったら,著名も著名で現在(2012年)もまだ生きてる
その大先生が,<文化苦旅>という著書の<西湖夢>という編でこっそり語った<林和靖妻帯説>
これに,上海の編集者・金文明が噛み付いた
「余秋雨ほどの大先生が明確な論拠も示さず
こんな駄説を述べるなんて・・・」
と,嘆いた上で猛反論を繰り広げたのです
時は既に,ネット社会
<林和靖妻帯説>に議論が沸騰炎上
ただ,ネット社会の怖さ
その議論は<林和靖妻帯説>に対する一方的な反論の嵐となった
そういう事になるのは,恐らく分かっていたはずなのです
なのに<林和靖妻帯説>を披露した,著名作家の余秋雨
食下がる金文明に対して,余秋雨は根拠を明示しようとしない
「曹聚仁先生がそう述べてるさ」
そんな発言をして,逆に火に油を注ぐ
「数多有る西湖を語る文章を歴代の高名作家は大勢書いてきた
その上でまた自分が書くなど愚蠢というものだろう
幾度と無く逡巡したが・・・或いはその湖水は帰結性の意義に
満ちているのやも知れない.やはり避けては通れないのだ」
そんな書き出しで始まる<西湖夢>
西湖が生んだ可愛的生命・彼女は妖そして仙,なんて白娘子を語る素敵な散文なのですが
しかしやってしまった
さんざん林和靖を語った後で
「然しながら,林和靖に追随するのは
才の有無に拘わらず困難はあるまい
梅妻鶴子には些か難が有る
その実,林和靖自身には妻も子も有った」
歴代の学者や作家が論拠を示さず,定説を否定する
ここに至って,妥当性を欠いたその行為の陰に見えるもの
明示することの叶わぬ論拠,果たしてそんなものが有るというのか
余秋雨は,林和靖の秘密を何か知っているのか
林洪(可山)が生きた,南宋の末期
その南宋が終焉を迎え,元の時代に移行する混乱期
林和靖の墓が盗掘されるという事件が起きました
時の皇帝にあれほど称揚された林和靖です
きっと,とんでもない宝物があると思ったのでしょう
しかし,墓の中にあったのは
筆
硯(すずり)
簪(かんざし)が1つ
それだけであったということです
この簪がまた,様々な憶測を呼ぶわけですが
この,1000年に亘る騒動
林和靖の子孫を名乗る者達
それに対する反論の嵐
知ったその時,孤山に眠る林和靖の魂は悲嘆をどれほどかこつのか
「ワシの子孫を騙るとは,この不届き者が!」
と怒鳴るでしょうか,それとも
「私の後裔になんという事をするのですか
なんとか助けてやれないものでしょうか」
と嘆くのでしょうか?
そして元代に入り日本に饅頭を伝えた,林淨因
林淨因は林和靖の子孫であると,名乗っていました
*---------------------------------------------*
果たして,林和靖には妻子が本当に無かったのか?
はい,その通り
分からないのです
無いはずなのに,有りそうなのです
中華での林和靖 "萌えポイント" その2なのです
林淨因は中華では叩かれていません
日本で林淨因が「林和靖の後裔である」と公言した
そんなこと中華には全然わからなかったのです
でも後の世に,日本じゃ一部で叩かれた
<白娘子>をやっている時に参考にした,中華伝説の解説本
大学のセンセー,孤山について一くさり述べた後でついでに
「饅頭の発音は杭州ではマンディウ(mandiu)となる
日本に饅頭を伝えたとされる林淨因は林和靖の子孫
であるというが,まさか梅と鶴の子供ではあるまい」
なんか,そんな書きようでした
実は,この記述見て饅頭を調べ始めたんですけどね
そのセンセーに感謝です
でも,明らかに姜石帚に成り代わって,林淨因を罵倒してます
例の林洪を罵倒した戯歌(ざれうた)まで引用してる
別に,その罵倒を非難するわけではありません
当時は,それが定説であった
そういうことです
定説が覆る時が近づいてきました
次回は,林淨因さんのお話しです
舞台は日本なので,相当に広く詳細に知られています
なので,軽く流す程度にしようと思います
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